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番外編 1 知らないでしょ?

 日本から夏よ、なくなれ――  そう思いながら、どんより雲に覆われた空を音楽教室から見上げた。このまま七月も八月も梅雨のままなら、水泳部は泳げないだろ? そしたら、郁登のあの、エロい乳首を血気盛んな男子高校生の前に晒すこともなくなり、俺もヤキモキしないで済む。いや、夏はなくならなくていいから、水泳部の練習がある曜日の午後だけ、「にわか」でかまわないから雨が降ってくれれば。  あー……にわか雨くらいじゃ、郁登は気にしないかもな。あいつ、雨とか台風とか気にしないもんな。全然関係ないけど、この前、生のブロッコリーを腹が減ったって言って、テレビ観ながら齧ってたもんな。ブロッコリーの塊を齧る奴なんて始めて見た。 ――あっ、あぁぁっ……ン、ぁ、乳首、吸って、健人ぉ。  そのくせ、セックスの時はのぼせそうなくらいスケベになる体育教師なんて始めて見た。 「……郁登?」  そんなゲイじゃないどころか、女好きな、体育とか青春とかと真逆なところにいた音楽教師の俺をぞっこんにさせた郁登を見つけた。シトシト一日中降り続く雨で泳げない放課後、でも部活はあるから、水泳部のでかい男子高校生を引き連れてトレーニングのため体育館へ行っているはずの郁登が生徒指導室から女子生徒と一緒に出てくるところを見つけた。 「?」  あの生徒、知ってる。たしか、男子人気があって、ちょっと女子から嫌われてるような、そんな生徒。ただの噂だろうが、色々飛び交っていたりもする子だ。  郁登との接点、ないだろ? 授業は受け持っていたかもしれないが、でも、体育の授業でしか接しない、担任でも副担任でもない郁登がなんで? 「……」  女子生徒は笑顔で郁登に頭を下げて、その場を駆け足で立ち去る。  そんな後姿を見送りながら、郁登が笑っていた。  一緒に暮らすようになって二年。倦怠期? そんなものいつ来るんだよっていうくらい、どこにも隙間が見当たらないくらい、郁登のことが好きなままでいる。こんなこと、人生初だよ。郁登みたいな奴に会ったのも、こんな恋をしたのも、こんなに長くずっと、ずっと好きでいられる、この毎日も。俺にとっては何もかも初めてだ。  あんたは知らないかもな。まだ、好きになる。昨日よりもまた好きになっているなんて、言えない。いい年した大人が、ずっとどこか白けた感じに振舞うのが普通だった、この俺が、若干重いだろってくらい、同性で、同僚のあんたを好きだなんて。 「おい! 郁登!」 「うわっ! ビビった!」 「あんた! 何してんだ!」  同棲するようになってから、逆にお互いの距離感には気をつけるようになった。職員室ではフレンドリーに話すけれど、そのくらい。音楽と体育で系統も違っている俺たちは、良き同僚としてのスタンスを保つことをいつも心がけている。 「何って、帰ってるんだろ?」  だから、帰りも別々。俺の車に郁登は乗らない。雨の日だって、それは変わらないけど。 「傘はっ! 今日、雨降るって知ってただろ!」 「あー、貸した」 「はぁ? とにかく、乗って!」  傘ないのなら連絡くらいしろよ。スマホでメッセージひとつ送ればどこかで待ち合わせて、車で帰ることもできるし、俺の傘を渡すことだってできる。  なんで、大降りじゃないにしたって、頭からTシャツまでびしょ濡れにしながらトボトボ歩いてるんだよ。  車に乗れと言われたことに素直に驚いて、シートが濡れるぞなんて、要らない、本当に要らない気遣いを見せた郁登を半ば引っ張り込むようにして助手席に座らせた。  あんたとシート、どっちが大事だと思ってんだよ。苛立ちながら、メッセしてくれたら傘を貸したのにって言えば、笑顔で「そしたら健人が濡れる」なんて言う。  なんなんだよ、もう。 「あのね……」 「ありがと、健人」 「っ」  なんなんだ、あんた、なんで、またこんなに好きにさせるんだよ。本当に、どこまで夢中にさせるんだよ。 「はぁ? なんだ、それ」 「今、多いんだってよ」  車内での会話は俺がさっき見かけた女子生徒とのツーショットのことになった。切り出したのは俺じゃない。郁登だ。  唐突に「なぁ、俺が嫌がることをお前はするか?」なんて聞かれて、視界の悪い夕方の雨の中、ハンドルを間違えて切りそうになった。  あの女子生徒は好きな大学生がいるらしい。相手はイケメンで年上で、女子高校生にとってはとても大人な男に思えた。そんな男が最近、いかがわしい写真を撮らせて欲しいとねだるようになった。かわしてはいるけれど、でも、ねだられる頻度は増すばかり。どうしたらいいのか、となぜか郁登に相談してきた。  そもそも、なんで、そんなことを郁登に相談する? 普通、そういうことなら同性に相談するだろ?  で? そんな相談を男である郁登に、放課後、生徒指導室で? ふたりっきりで? 少し、おかしくないか? 「そう? 別におかしかないだろ。断ればいい。本当に好きなら、ちゃんと断って、普通に付き合えばいい。そう話したよ?」 「んで?」 「んで……相談終わって帰ろうってなったら、雨で、傘がないから帰れないって」 「……は?」  それ、普通におかしくないか? 今日、雨が昼前から降り出して、そのあとは一日中雨だって、どこの天気予報も言っていたのに。それでも傘を忘れたのか? それとも下駄箱の傘立てには置いてあったけど、でも、それを誰かが拝借でもした? こんな、降水確率百パーセントの日に? 「あのさ……郁登」  それって、単純にあんたを誘ってた、んじゃないのか?  元々、男好きとか、そんな噂が流れていた、女子には嫌われる、男子には好かれる、典型的なタイプ。プライベートな相談があるって言って、個室にふたりっきりになるようにして、そこで郁登に色仕掛けで迫ろうと思っていた。雨で帰れないと言えば、優しい郁登と居残ってくれる。そう考えて。 「んー?」  呑気な返事が腹立たしい。 「なんか、本降りになってきたなぁ。よかった、健人がちょうど通りかかって」  家の駐車場に来た頃にはもうシトシトどころか、ワイパーを早く動かさないといけないほどに降っていた。それを口開けて、フロントガラスから空を覗くように見上げている。よく動き回る郁登はこの季節になればジャージの上は着ない。Tシャツ一枚で全身びしょ濡れにして、無防備で。  車の中に一本だけある傘はまだ濡れていない俺が使えとか言っていることも、ひどく腹立たしくて、傘なんてそのまま車内に置いて、車を降りた。 「え? ちょ、健、ひとっ……」  一瞬でびしょ濡れだ。でも、かまうことなく連れ込むように車に乗せた郁登を今度は強引に引っ張り出して、そのまま、傘は置きっぱなしで部屋へと帰る。 「どうしたんだよ。俺はいいけど、健人はっ、ンっ……ん」  ボタボタを音を立てて大粒の雨水が玄関を濡らす。驚きっぱなしの郁登を強く抱き締めて、そのまま深く口付けた。濡れた服同士が、べちゃ、と音を立ててくっつく感覚。普通ならきっと気持ちの良いものじゃないんだろうが。 「ン、んっ……健、人っ?」 「好きなら、嫌がることはしない?」 「……え?」  郁登となら、それすらも快感に繋がると初めて知った。雨で張り付いた布はくっきりと、この身体のラインを浮き彫りにする。細さがエロい腰も、引き締まって、俺の上に跨ってセックスする時、異様な色気を振りまく引き締まった腹も、すぐに卑猥な粒に変わる、乳首も。 「このやらしい身体を見せびらかすのを俺がイヤがってるって、知ってるだろ?」 「あっ」 「ほら、指で摘んだだけで、こんなやらしい声を出すのに、どうして雨に濡れて、透けて見えるこの裸をそのままにしながら歩いてんの?」 「やぁっン」  指で摘んでクリクリ刺激してやると、それだけで、細い腰が揺らめいて誘ってくる。スケベでエロくて、やらしい身体。 「それに、何、勝手に誘惑されてんの?」 「は? 何、言って、俺は、相談を」 「イヤだって言ってんの」  あんたのこの身体を誰かが見ることも。あんたを誰かが好きになることも。あんたが俺以外の誰かとふたりっきりになることも。 「俺のイヤがることはスルーするんだから」 「ぁ、ンっ……健人っ」 「俺も郁登のイヤがることはスルーしていい、ってこと、だろ?」  知らないだろ? 俺は昨日よりも一分前よりもあんたが好きになってるって、わかってないだろ?

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