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第1話

 町から離れた山の上にある私立大学。ここで僕、吉野深雪は准教授として働いている。自然に囲まれた立地は交通の便が悪いが、僕にとっては研究対象そのもののような場所だ。  僕の専門分野は動物学で、中でもオオカミを専攻としている。この分野に足を踏み入れて十数年、ずっと狼だけを研究し続けている。  まだ残暑の残る九月中旬、昼下がりの柔らかい日差しを感じながら僕は食堂へ向かった。午後二時を過ぎると人の姿はまばらだ。  窓際のテーブル席に落ち着いて、僕は牛丼をかき入れようとした。 「ハロー、ユキ」  突然そう呼ばれた。軽やかな落ち着き払った声に、僕の胸がどきりと高鳴る。僕は笑顔で顔を上げた。 「ハロー、プロフェッサー」  ルドルフ・ハーゲンはいつも通りの柔和な笑顔で応えた。すらっと長い身体を折り曲げて、彼は僕の向かいへ座った。 「疲れてるな。休めてないのか?」 「ゼミの学生が課題を提出してくれなくてね。まったく、参るよ」  答えながら僕はさりげなく彼を眺めていた。  ルドルフは僕と同じ准教授のイギリス人だ。専門はイギリス文学。十年以上日本に住んでいるので日本語は僕より堪能。  彼とは五年ほどの付き合いになるが、初めて出会った時から目を引く存在だった。  美しく肩まで伸ばした銀色の髪、見るものを射抜くような切れ長の瞳。光の加減で金色に見えるが薄い茶色をしている。  僕の第一印象は狼そのものだった。 「あまり無理はするなよ。俺たちはまだ准教授に昇格したばかりなんだし」  言いながらルドルフは、箸で器用に魚を解していく。  彼の言うとおり、僕たちはこの四月に昇格したところで、本格的にゼミを担当するのも、僕は初めてだった。三十五歳で准教授というのは出世なのだろうけれど、正直しんどい。  目下、自分の研究を進めることを楽しみとしている僕には、学生を育てるという仕事は重荷だった。 「ありがとう。でもルドルフのところほど学生はいないから」  イギリス人のイケメン教諭、というのがどこまで影響したかは知らないが、定員を二十人以上オーバーする希望者がいたらしい。それに比べて僕のところは十人もいないので弱音など吐けるはずもない。  こと、同期の前では。  外国人はみんなそうだが、どうしてこうも歳の差があるように見えるのだ?

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