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第11章
近づいてきた豊高に男性は少々面食らっているようだった。
「どうしましたか?」
「すいません、それ、家の傘なんスけど」
「あ、ああ。立花さんが持って行っていいと仰ってくださったんです」
男性は傘を軽く持ち上げる。
顔には早く帰たそうな色が浮かんでいた。
ーーー人のものを勝手に
豊高は父の傲慢さに腹が立った。
「すいません、それ、人から借りたヤツなんで」
豊高は傘の柄を乱暴に掴み引ったくろうとすると、男性は驚き傘を抱え込んだ。豊高は更に荒々しく引っ張り、男性と揉み合う形になった。
「離しなさい!」
「だからテメェのじゃねえっつってんだろ!」
男性がふいに豊高を突き飛ばすと、豊高の剥き出しの背中と後頭部が思い切りフローリングの廊下に打ち付けられ、鈍い音が響いた。
男性はこれには反省し
「悪い!大丈夫か!?」
と豊高の肩を掴み起き上がらせようとする。
しかし豊高の視点からは、まるで男性が上から覆いかぶさろうとしているように見えた。
昨日の光景がフラッシュバックする。
豊高は叫び突き飛ばすと、男性は玄関の扉に身体をぶつけた。
その音に父と母が駆けつけると、玄関にしゃがみ込む男性と廊下で上体を起こす半裸の豊高が目に飛び込んできた。
母親は口を両手で覆い、父親はカッと目を見開いた。
そして豊高を睨みつける。
怒りを押し殺した声で唇を震わせた。
「恥晒しが・・・・・」
そして足音荒く男性に近づき
「うちの倅が大変失礼なことをしてすまなかった」
と頭を下げた。
お互い軽く挨拶を交わし、男性は苦々しい表情で豊高を一瞥し帰っていった。
ドアが閉まり、しんと静まりかえった玄関に、沈黙がゆっくりと、重苦しくのしかかってきた。
父親は、くるりと豊高の方に振り返り、剥き出しの腹を蹴り上げた。
豊高は目を白黒させた。呻き声すらあげる間も無く何度も蹴り続けられる。
「そんなに、私に、恥をかかせたいのか!?」
胃液が逆流しそうになり、口を塞ぐ。
それでも容赦無く足が腹に捻じ込まれる。
「お前は、うちの恥だ!
汚らわしい、汚物だ!殺されないだけマシと思え!」
豊高は閉ざされていた目をゆっくり開き、全身の緊張を少し解くと激しくむせた。
「ふん、また男を誘惑でもしようとしていたのか?」
嘲る声が鼓膜に触れると同時に、豊高は跳ね起き父親を殴り飛ばした。
傘に足を取られかけたが、それを掴み外へ飛び出した。父親の怒鳴り声が身体を駆け抜ける。
悔しさと怒りがこみ上げ、振り払うよう全速力で走った。
雨がひらすら無防備な背中に雨粒を撃ち込むが、豊高の身体は熱かった。
「畜生畜生畜生畜生畜生畜生!!!」
豊高は千切れそうなほど手足を酷使して、雨の中でもがき続けていた。足元で激しく飛沫が跳ねる。
「俺は悪くない、何も悪くない!俺のせいじゃない!!俺の・・・せいじゃ・・・」
豊高は走り続けた。
そうしなければ、押しつぶされてしまいそうだった。
身体が鉛のように重くなり、鈍い痛みが腹部に甦ってきたころ、豊高はふらふらと見知らぬ所を歩いていた。
手には黒い傘。
何故こんなもののために、と情けないやら腹が立つやらで地面に叩きつけたい衝動に駆られた。だがとっくに体力は尽き手はかじかんでいた。
頭がぼうっとする。気持ちが悪くて今にもしゃがみこんでしまいそうだ。
突然、雨が背中を叩くのをやめた。
止んだのだろうか、と顔を上げる前に、唐突に手を掴まれ身体が引っ張られた。
掴まれた部分を確認しているうちに走らされ、気がつくと雨が止んだ。
いや、建物の中に入ったようだ。薄暗くてよく見えない。
パッと明かりがついて豊高は顔を歪める。
そして傘を閉じる誰かの後ろ姿が目に留まった。
濡れ羽の黒髪、白い肌、すらりとした体躯に見覚えがあった。そして、その人物がこちらに振り向いた時はっきりと分かった。
端正な顔立ちと切れ長の吸い込まれるような瞳。
口角を数ミリ吊り上げて微笑む仕草。
まさしくあの時の、美しい屋敷の主であった。
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