30 / 48

第29章

豊高が目を覚ますと、まだ夢の中にいるのかと錯覚した。 壁紙も絨毯も淡いグリーンで統一され、朝日に照らされる部屋は、木漏れ日が差し込む森の中のようだった。 眼鏡をかけたまま眠ってしまい瞼が重い。 しばらくベッドに座りぼぅっとしていたが、ここは楓の家であり自分は眠ってしまっていたことを思い出した。よくもまあ熟睡できたものだと自分に呆れた。 そして、学校の事を思い出した。また、家に帰っていないことも。 携帯電話を開ければ画面は黒く塗りつぶされており、電源は落ちていた。吉野に会った際、アプリに繋げたままだったことを後悔する。 豊高はベッドから飛び出し廊下に出た。 並んだ窓に切り取られた朝日が、等間隔に長方形の陽だまりを作っていた 。 豊高は美しい光の回廊を歩きながら、自分がどちらから来たのか、ということに頭を悩ませていた。 しばらく歩くと、楓が正面から歩いてきた。白いシャツが眩しく、彫刻のような顔立ちがこの風景と溶け合い、絵画や映画のワンシーンを思わせる。 「ユタカ」 楓は豊高の姿を目に止めると微笑んだ。 「起こそうと思った」 「今何時?」 「8時だ」 「遅刻だこの野郎」 豊高は楓を睨む。 「俺はお前の母親ではない」 と返され黙り込んだが。 しかし、母親、というキーワードで昨夜のことを朧げに思い出す。父親の名前を知っていたこと、そして、帰せないという言葉。 抱き締められたまま眠ったことやキスをされたこと、楓の前で涙を流したことも蘇り、声が出そうになるほど恥ずかしさが込み上げた。どうかしていた、と頭を抱える。 「どうした?」 いや、あの、としどろもどろになっていると 「昨夜のことか?」 と図星を突かれた。 「なんか、ごめん!忘れて!」 豊高は走って楓の横をすり抜ける。と、絨毯から急にフローリングの床になる。その先には階段があり、豊高の上体が傾く。落ちる寸前で、楓が豊高の体を引き戻したが。背中がひやりとする。 「気をつけろ」 少し厳しい口調だった。未だ心臓がどくどくと激しく動く。 「これは、落ちるよな・・・」 豊高は楓の顔を見た。楓は瞬きし、 「・・・・・ああ、そうだな」 と口角を上げる。 その間に疑問を覚えた。 ーーー俺は、酷い嘘つきだ もしや、階段から落ちたというのは、と思考を掘り下げようとしたがハッと我に帰り 「ごめん、行ってくる」 焦燥感が先に立ち、全速力で学校に向かうのだった。 豊高が飛び出して行った後、楓はキッチンに降り2人分用意した朝食を見て溜息をついた。しかし、バケットが一つなくなっているのを見てクスリと笑う。 だが、口角が徐々に下がっていき、ぽつりと漏らす。 「・・・・どうかしていたな」 楓も、昨夜のことを思い出していた。危うく、何もかも曝け出してしまうところであった。 「知らない方がいい・・・」 楓は、包帯が巻かれた部分に手を当てる。身震いし、自身の腕をさすった。少し乾いた楓の唇から、豊高の名前が零れ落ちた。 豊高が教室に飛び込んで来たのは一限目が始まる直前だった。クラスメイトの注目を一斉に浴びたが、息を整えることに精一杯であった。 「す、すいません」 息も絶え絶えにそう言うと、硬直してぽかんと口を開けていた男性教師は戸惑ったように返事をし板書に戻った。 席に着き、少し落ち着くと珍しい生き物を見るような視線がチクチクと突き刺さり、ひそひそと話す声が耳を嬲った。 豊高は、それらが昨日よりも気にならなくなかった。 なぜだろう、と考えた時、楓の顔が思い浮かんだ。優しく微笑む顔に、抱き締められた時の体温。 昨夜の事が脳内で再生されそうになり、顔が熱くなる。それにまた、周囲の生徒たちの口が蠢く。 だが、不思議と嫌な気持ちにはならない。 むしろ落ち着いている。 身体にはまだ楓の腕の感触が残っている。 守られているような、そんな気がしていた。 一限目が終わると移動教室だった。豊高は教室棟の三階にある理科室に向った。 「なー、今日どうして遅刻した?」 廊下を歩いていると、クラスメイトの男子生徒が、2、3人固まって豊高に並んだ。豊高は不愉快な気持ちを隠しきれず、顔をしかめる。 「・・・・・寝坊、した」 「エッチのやり過ぎで?!」 生徒たちはゲラゲラと笑う。豊高はますます眉間の皺を深めた。 「そんな怒んなよ、フツーに聞いてるだけ!」 「んで男と?女と?」 またドッと笑い声が上がる。 豊高は耐えきれず、キッと睨んだ後、早足で教室に向かう。 「あ、おい待てよー」 「立花ー」 男子生徒たちの声が豊高を追いかけるが、豊高は振り返りもしなかった。やがて、後ろから舌打ちや「何だよ、アイツ」と聞こえてきた。心が鉛のように重くなる。早く逃れたくて、歩みは益々早くなる。 そして、理科室から出てきた生徒にぶつかった。 「あ、おう、立花」 顔をあげれば 「センパイ・・・・・」 石蕗が、豊高を見て少し驚いた表情をした。三年生の授業だったようだ。石蕗は突然顔を歪め、 「あのさ、・・・いや、ちょっと来い」 と豊高の手を取り廊下の方へ引っぱっていった。

ともだちにシェアしよう!