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第31章
部室に向えば
「おう、立花」
と背後から声をかけられ目を輝かせながら振り向く。
あの陰気な男子生徒に呼ばれたと分かった瞬間、すっと影が下りたが。
「一瞬だれかと思った」
男子生徒はぽかんとした顔だった。
先程の嫌悪感はなく、パグ犬のような愛嬌があった。
「そう?」
豊高は眉間に皺を寄せる。
「なんか、思ったより普通なんだな」
男子生徒はぽつりと呟いた。豊高はむっとした。
侮辱されたと感じたのだ。
沈黙に喋り声が混じり始め、他の部員たちが集まってきた。
2人はそれに倣い部室に入っていく。別々の席に座った。知らぬ間に、部員たちは自分の席を決め自然とそこに着席するようになっていたためだ。
豊高も自分の定位置に座る。前から3列目の席で、石蕗と初めて一緒に座ったところだった。
だが、石蕗の定位置は1列目であり、豊高は時折テキストから顔を上げて広い背中を見つめるのが常だった。そしてそこに抱きつけたら、と妄想するのだ。
今日は抱き締められたことを思い出し、表情筋に力を込め、ニヤつくのを抑える。
部活が終わると、ずっとあの男子生徒がこちらを見ていることに、気味の悪さを通り越し呆れた。
何がそんなに面白いのか。豊高は冷たく一瞥をした。男子生徒はそれでも視線で追ってきたが。
耐え切れず豊高は
「なあっ、」
と声を出した。
男子生徒は途端に目をそらし、それが豊高を苛つかせた。
「言いたい事あったら言えよ。気持ち悪いんだよ」
ほとんど聞くことのない豊高の声に、物珍しげな視線を投げつける者もいた。男子生徒は何処かおどおどしながらブツブツと言った。
「・・・・・なんでもない」
「は?ならじろじろ見るのやめてくんない」
「ごめん・・・・・」
男子生徒は俯き、豊高は自分が弱いものいじめしているような気分に陥った。豊高もバツが悪くなり、むっつり黙り込む。
「じろじろ見るの、やめてくれればいいから」
そう言って、逃げるように部室を出た。
「お疲れ」
入り口で、石蕗がドアに手をかけ立っていた。そうして部員たちに声をかけるのがいつもの光景だが、豊高はさっと目を逸らし部室を出る。
石蕗が、怪訝な表情をしたのには、気づかなかった。
豊高は、帰る場所を迷った。
家に帰れば無断で外泊したことを咎められるだろう。
楓の家には、行き辛かった。
あの、触れたい時に触れられ、離れたい時に離れられるような距離感が心地よかった。しかし、あの夜に、楓との距離は近づきすぎてしまった。単純に、どんな顔をして会いに行けばいいのか分からない。
憂鬱な気持ちを引きずりながら、帰路に着くしかなかった。
自宅の玄関には鍵がかけられていた。どうやら両親は共に帰っていないようだった。豊高は合鍵で鍵を開け、ほっとしていた。
中から、話し声が聞こえるまでは。
豊高は半分ドアを開けたまま凍りつき、耳をそば立てた。空き巣が入ったのか、それともーーー
豊高はなるべく音を立てぬようドアを閉め、廊下を踏みしめる。
進むたびに、呼吸が深くなり鼓動が早くなる。
話し声が近づき、男女の声が重なり合っていると分かった。早口で涙混じりの女声と、静かな男声だった。
やがて、不意にリビングの扉が開く。豊高は咄嗟に隠れなければ、と感じたが身を隠す所などなかった。
父親と対面することとなった。豊高の頭の中で警鐘が鳴る。
「・・・・・どうした?」
父親が低い声で唸る。
「なんで、鍵掛けてんの?」
「帰っていなかったのか?」
不機嫌そうに軋む表情と声に口を滑らせたことに気づいた。
「おい、どういうことだ」
リビングの扉が乱暴に開けられ、机に突っ伏す母親の背中が見えた。泣き腫らした顔が挙げられた。
体の下には、緑色の文字が並ぶ真新しい紙が、ポツポツと涙で濡れていた。
それが何なのか容易に想像がついてしまった。
父親が何やら怒鳴り、母親がわめき散らしていたが、無声映画を見ているように一切耳に入らなかった。
遂にこの時が来たか、と思ったが本当に来るとは思わなかった、という衝撃があった。
楓との関係の変化、不気味なクラスメイトの存在、家庭の崩壊の影。
緩やかに何もかも壊れていく予感がし、漠然とした不安に襲われる。
争う両親を無視し、自室に篭った。無断で外泊したことには触れられなかった。
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