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第六話

「で、ジャン様は今日どこに行ってるんだ?」 「ああ、今日は家に用事があるらしい」 「ふーん、どうせなら暫く帰ってこなくていいのに。正直あいつ、俺らの演技になんだかんだ文句つけてきてうざいんだよね」  舞台稽古の休憩中、ジャンの代行を任されているトーマスの元へやってきたオーク座の俳優オリヴァーが、ジャンへの愚痴をトーマスにぶちまける。 「オリヴァー、頼むからそれ、ジャンの前で絶対に言わないでくれよ」  通常劇作家は、原稿料と、公演による収益からいくらか報酬はもらえるものの、作品が一旦劇団に売られてしまえば、上演の配役や演出、戯曲の改訂や出版に一切関与できなくなる。だが、貴族でエドワード伯爵のお気に入りであるジャンには、ほぼ全ての権限が与えられていた。  そのため、同じ劇作家仲間は勿論、オーク座の中にも、ジャンに反感を持つ俳優が少なからずいるのだ。 「それにおまえだって、ディアフォトスのジャンの演出には感心してたじゃないか」 「…」  図星をさされたのか、不機嫌に顔を歪め黙りこむオリヴァーに、トーマスは笑みを浮かべる。 (まあこいつも、悪いやつではないんだよな)  ジャンの口調は確かに横柄で、オリヴァーの気持ちもわかるのだが、ジャンの演出や演技指導には、同じ演劇を愛する劇作家として感心するところも多々ある。そのためトーマスは、不満気な俳優達に、ジャンの言ってることを、なるべく本人が納得できるようフォローしながら伝える努力をしていた。  そうしていくうちに、トーマスは少しずつオーク座の俳優達と親しくなり、特にオリヴァーとは、二人で飲みに行くほどの仲になっていたのだ。 「ところで見つかったアリアン役ってどんな奴?本番までもう二週間ないけど、本当に大丈夫なんだろうな?」  と、急に今日一番聞かれたくなかった話題を振られ、トーマスは一瞬返答に躊躇してしまう。 「…ああ、大丈夫」 「今ちょっと間があったよね?」 「いやいや間なんてないし!」 「大体さ、元はと言えばおまえがあの日休むからこんなことになったんだぜ」 「はあ、なんで俺のせいなんだよ!」  それまで穏やかに話していたトーマスも、オリヴァーの言葉に思わず声を荒げる。  ジャンがアリアン役の少年をやめさせたその日、トーマスは他の劇作家仲間との合作の締め切りを抱えており、どうしても稽古に参加できなかったのだが、だからと言って自分が原因のように言われるのは到底納得できない。  今や時の人である宮内大臣一座のシェイクスピアや、本人も貴族で、オーク座付き作家のジャンならいざ知らず、トーマスのようなフリーの劇作家が1本の作品につきもらえる報酬は6、7ポンド。年に何本も書ければそれでも食ってけるのかもしれないが、作品を書き上げる時間と労力は莫大なもので、一人ではどう頑張っても年に2本までが限界だ。  生活のためにも、トーマスは常に何本もの合作の仕事も抱えており、オーク座の仕事だけに時間を捧げるわけにはいかないのだ。 「でもさ、あの時おまえがいれば、多分あの子出ていかなかったと思うんだよね」 「え?出て行くって、ジャンがおまえはイメージと違うって追い出したんじゃないの?」 「まさか、いくらあいつでも、大事な女役をそんな理由で追い出すわけないじゃん。 多分公演が近くなってきてあいつも熱が入りすぎたんだろうな。もっと色っぽくとか下品になりすぎるなとか、いつも以上に厳しく演技指導してるうちに、本人がもう無理ですって言って出てっちゃったんだよ」 「…そうだったのか」  オリヴァーの話を聞き、トーマスは、昨日頭ごなしにジャンを責めすぎたことを少しばかり後悔する。そういえばジャンは昔から、自分を悪者に仕立てあげる言葉をわざと吐くようなところがあった。 「だから俺はさ、あの時お前がいて声をかけてあげてればと思ったの。いくら少年劇団で演技の練習積んできたからって、男が女役やるってすごく大変なんだぜ?そこに来てもっと色気出せとか気高くとか無理難題出され続けたら、そりゃ誰でも逃げ出したくなるよ」  オリヴァーもかつては少年劇団に所属し、女役をやっていたこともあるだけに、辞めていった少年の気持ちがわかるのだろう。  トーマスは自分の考えを改め反省しながらも、ふと疑問が浮かびオリヴァーに問いかける。 「でもさ、そこまでわかってあげてるなら、おまえがビリーをフォローして出てくの止めてくれればよかったんじゃないか?」  するとオリヴァーはトーマスから目をそらし、悪戯な表情で舌を出す。 「だって、公演できなくなって一番困るのあいつだし、これを機にあいつもちょっとは謙虚になるかなと思ってさ」 「おい!公演できなくなったらジャンだけじゃなくて俺も困るしお前も困るだろ!」 「まあまあ、代役見つかったんだからよかったじゃん」  オリヴァーは、憤るトーマスの肩を叩き、丁度休憩が終わったと逃げるようにトーマスから離れていった。 「まったく、どいつもこいつも…」    一人文句を言いながら、トーマスは大きくため息を零す。  初めてリリーを見た時は、確かに綺麗な少年だと感心したが、演技などしたことも見たこともない靴職人を目指す徒弟だったことがわかり、期待が失望に変わってしまった。  だが、トーマスがどんなに素人をこの短期間で演技できるようにするなんて無理だと反対しても、ジャンは頑として聞こうとしない。ジャンとは学生からの付き合いだが、人懐っこいようでどこかシニカルなジャンが、あんなにも一人の人間に執着するのを見るのは初めてだった。 『アリアン役は絶対にリリーでいく。俺が全ての責任を持つから信じろ!』  はっきり言ってトーマスには、その日出会ったばかりの少年に入れ込むジャンが全く理解できない。しかし今は、黙ってジャンの言葉を信じるしか道はないのだ。 「ったく、言ったからには本当にどうにかしてくれよ」  トーマスは、主演の女役がいない舞台稽古に目を戻し、小さな声で祈るように呟いた。

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