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第十二話

(今度は一体どこに連れて行かれるんだ?)  産まれて初めて乗る馬車にカタカタと揺られ、ロイは行き先を告げられぬまま、ジャンと共に再びどこかへ向かっている。 「大丈夫か?今日は朝から一日中移動してたからさすがに疲れただろう?」 「いいえ、大丈夫です」 「本当か?そのわりには、さっきまで俺の肩に頭乗せて熟睡してたぞ」 「それは…申し訳ありません」  揶揄うように耳元で囁かれ、ロイは赤面し素直に謝った。実はほんの数分前、貴族のお屋敷にいるという緊張感から解放されたからか、ロイは馬車の中で不覚にも、ジャンに寄りかかり眠ってしまっていたのだ。 「お、口元に寝ながら垂らしてた涎が残ってるな」 「え?」 「嘘だよ」  ロイが慌てて唇を拭うと、ジャンは悪びれずに笑い、可愛いよリリーと言いながらロイの頬にキスをしてくる。その行為に顔が熱くなり、思わず俯向くロイの肩を、ジャンは優しく抱き寄せた。  役のためとわかってはいても、この距離感と女性扱いには中々慣れることができない。   しかもロイの反応を面白がっているのか、ジャンの恋人のふりがエスカレートしているように感じるのは気のせいだろうか? 「ジャン様、到着しました」  御者の声と共に馬車のドアが開き、ロイはこの空気から逃れられることに心底ホッとして、弾けるように顔を上げる。  ジャンは素早く馬車から降りると、嘘くさいほど優雅な仕草でロイに手を差し出してきた。その手の意味がわからず、無視して降りようとするロイを、ジャンはダメダメと言いながら再び馬車に押し戻す。 「何普通に降りようとしてるんだよ。レディは紳士にエスコートされて馬車を降りるもんだろ?ほら、俺の手を握って」  御者の前でレディなどと言われ、羞恥心でいたたまれなくなったが、ロイは諦めるように小さくため息をつき、渋々ジャンの手に自分の手を重ねた。御者は、そんな二人の様子を訝しることもなく、すました顔でロイが降りるのを待っている。  ずっと不思議に思っていたのだが、ジャンのロイに対する扱いは明らかにおかしいのに、アンナもこの御者も、全く気に止める様子がない。 (貴族は、男色家だからと訴えられて逮捕されることはないのか?そういえば、アポロンに来ている客も、皆身分が高い人達ばかりだと店の主人が言っていた)  勿論、ロイを女性扱いしているからといって、ジャンが男色家でないことはわかっているのだが、もしロイの考えが正しければ、御者やアンナの態度も頷ける。きっと彼らも、ジャンの仕事の性質をよく理解し、特に心配して咎めることはないのだろう。 (それに、もしかしたら今までにも、女役の少年を屋敷に連れてきたことがあるのかもしれない)  だがそう考えた途端、ロイはなぜか、落胆にも似た気持ちがこみ上げてくるのを感じた。  ジャンが女役の少年に優しく接っするのはごく当たり前のことで、別にロイが特別なわけではない。その考えの何が、自分をこんなにも落ち込ませるのか? 『初めて会った時、俺お前に人間?って聞いただろう?実はあの時さ、窓から飛びおりてくるおまえの背中に羽が見えて、この世の者じゃない天使だと思ったんだ。天使と言っても子どもの可愛い天使じゃないぜ。あの悪魔と戦った大天使ミカエル様』 『俺にはそう見えたんだからいいんだよ。とにかく俺は、それくらいお前をかってるの』  疑問を持つと同時にジャンの言葉を思い出し、心の奥が喜びで満たされていく。  自分は嬉しかったのだ、ジャンの言葉が。  男娼に身を落とさざるおえなくなった時、ロイは、所詮自分は、何の力も持たない非力な子どもにすぎないことを痛感した。  そんなロイにジャンがかけてくれた言葉は、神に授けられた王冠のように輝かしく、ロイの心に自信と誇りを与えてくれた。  でももしそれが、ロイに女役をさせる為の方便だったとしたら。他の誰にでも、言っているのだとしたら… 「リリー、何ボーッとしてるんだ?」 「あ、はい」  ジャンに声をかけられ、ロイは小さく首を振る。余計なことを考えても仕方がない。たとえジャンの言葉が嘘だったとしても、ジャンがロイをアポロンから救ってくれた恩人であることに変わりはないのだ。 「おいで、リリー」  ジャンにエスコートされ馬車から降りたロイは、狭い空間から出られた開放感を全身で感じながら辺りを見渡した。  目の前には、真っ白い漆喰の壁と、いくつもの格子窓を持つ三階建ての立派な屋敷が、荘厳な佇まいで建っている。  一見貴族の所有するカントリーハウスのように見えるこの屋敷は、医者、弁護士、議員などの中流階級以上の名士から、公爵、伯爵といった上流階級の貴族までを顧客に持つ高級娼館なのだが、そんなこと知る由も無いロイは、ジャンに手を引かれるままその後に続いた

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