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第十三話

「ジャン様、お久しぶりでございます」 「フレディ、相変わらず景気が良さそうだな。イザベルはいるか?」 「はい、今日は久しぶりにジャン様にお会いできると喜んでおりましたよ」  中へ入るとすぐに、フレディという名の背の高いでっぷりとした紳士に出迎えられる。   導かれるままジャンと共に大広間へ通されたロイは、自分が生きてきた世界とあまりにもかけ離れた光景に目を見張り圧倒された。  3階まで吹き抜けになった高い天井には眩いばかりのシャンデリア、壁には繊細で煌びやかなタペストリー。ここまでは、ジャンの屋敷でも目にしたが、白いリンネルのテーブルクロスに覆われた円卓には、夢物語の中にしか存在しないような豪華な食事が並び、その周りを彩るように、美しく着飾った女性達と、見るからに身分の高い男達が談笑やダンスに興じている。  「ところでジャン様、この美しい少年はどなたですか?」 「ああ、今度俺の舞台でヒロインをやってもらう、女役の俳優リリーだ」 「まだ随分とお若そうですね」 「ああ、まだ何も知らない初心な少年な上に、演技をしたこともないまるっきりの素人だ」 「素人!相変わらずジャン様は大胆なことをなさいますね」 「貴族から娼館の主人になったやつに言われたくないな」  ジャンの皮肉めいた言葉に、フレディは戯けた声で答える。 「貴族の称号を持ってたって金にはなりませんからね、人は裏切るが金は裏切らない」 「あんたのそうゆうところ好きだよ」  しばらく親しげに話していた二人だったが、やがてジャンが本題に入りたいと、真剣な口調で話しを切り出した。 「見ての通り、こいつはまだ女を知らない初心な少年だ。だがやはり女を演じるには本物の女を知るのが一番だと思ってな。と言っても、リリーの最初の女はその辺の女じゃダメだ。今回リリーには、妖艶さと気品、そして男を誑かす残酷な奔放さも併せ持つ最高の女神を演じてもらわなくてはならない。 イザベルはまさに俺の思い描く理想のヒロインそのものなんだ。料金はもちろん二人分払うから、イザベルにリリーの相手をしてやってほしい」 「決めるのは私ではなくイザベルですからね、彼女が彼を気に入れば、私は全く構いませんよ」 (女を知る?料金?俺の相手?)  勝手に話を進めていくジャンとフレディの会話を頭の中で反芻し、ロイはようやく理解する。  ここはアポロンと同じ娼館だ。売るのが男か女かの違いだけで、自分達は女を買おうとしているのだ。気づくと同時に吐き気が込み上げ、アポロンで客を待っている間、ロイを苛み続けた羞恥と恐怖がみるみると蘇ってくる。    この一見煌びやかに見える会場のどこかに、ただ男の欲を満たすためだけに客を待つ女が待機しているにちがいない。ジャンの言う通り、ロイに女性経験はなかったが、自分のように絶望に打ちひしがれているであろう女を抱くなんて絶対に嫌だった。 「ジャン様!申し訳ないですけど俺は…」  どうしても黙っていられず、ジャンの提案を断ろうと口を開いたたその時 「ジャン、久しぶりね。今日はあなたに会えると聞いて楽しみにしていたのよ」  小鳥の囀りにも似た高く澄んだ声が、ロイの言葉を遮る。現れたのは、息を呑むほどに美しい一人の女性。  真っ白い肌で覆われた鎖骨と、胸のラインを際立たせる薄紅色のドレスに身を包んだその姿は、扇情的だが気品があり、艶やかに光る金色の髪と鳶色の瞳が魅惑的に輝いている。ロイはジャンに伝えようとしていた言葉も忘れ、呆然と彼女の美しさに見惚れた。 「会いたかったよ!イザベル」 「よく言うわ、ここ最近まったく姿を見せなかったくせに、今やすっかりサザークの安いパブに入り浸りだって聞いたわよ」 「誰だよそんなこと言ったの」 「あなたのお父様」 「あの人の話は勘弁してくれ」  と、ジャンに向けられていたイザベルの視線が不意にロイを捉え、妖艶に微笑みかけられる。その瞬間、ロイの頬はみるみる熱くなり、自分の顔が耳まで真っ赤になっているであろうことをまざまざと自覚した。 「ジャン、この可愛い人は私にしか見えていないのかしら?」 「ああ、紹介するよ、彼は今度俺の舞台でヒロインをやる新人俳優のリリーだ」 「リリー、素敵な名前ね。私はイザベルよ、よろしくね」 「よ、ろしくお願いします」  ロイはなんとか言葉を発したが、真っ直ぐ自分を見つめてくるイザベルを直視することができず、目をそらす理由を作るように頭を下げそのまま俯いてしまう。 「おいリリー、彼女をちゃんと見ろ、お前が演じるヒロインのモデルだぞ」 「あら、そうだったの?」 「ああ、本来なら君に演じてほしいくらいだ」 「それは光栄だわ」  ジャンに促され、ロイは顔をあげてもう一度イザベルの姿を視界に入れる。  どこからどう見ても非の打ち所のない、優雅で美しい女神のような女性。こんな女性を自分が演じるなんて到底無理としか思えない。元々なかった自信がさらに無くなり意気消沈していると、イザベルがロイの顔を覗き込み、聖母のように優しく語りかけてくる。 「リリー、そんなに緊張しないで、あなたに私がどう見えてるかわからないけど、私はこのヴィーナスの娼婦、ただの女よ」 「…!」  しかし、イザベルの口から娼婦という言葉が出てきた途端、ロイは激しい衝撃を受けた。  ジャンとフレディの会話を聞き、ここが娼館で、彼女がジャンの言うイザベルだと頭では分かっていたのに、ロイは目の前にいる彼女が娼婦だとは思えなかったのだ。  イザベルからは、身体を売っているという苦痛や悲壮感が微塵も感じられない。ジャンと対等に会話をし、美しく自信に満ち溢れたその姿は、ロイの娼婦というイメージを根本から覆すものだった。  「ジャン、あなたここがどういうところだかちゃんとこの子に言ってなかったの?」 「言ったらついてこないと思ったからな。 でもお前もガキじゃないんだからさすがに察しがつくだろう?しかもそんなに真っ赤になって、自分はチェリーだと白状しているようなものだぞ」 「…」  ジャンの刺々しい明らさまな揶揄に、ロイは思わず言葉を詰まらせる。 「ジャン、あなたって相変わらず気に入ってる人間には意地悪ね」  ロイを庇うようにイザベルがそう言うと、ジャンは、はいはいと投げやりな態度で返事をし、ロイの手を掴んで強引にイザベルと握手をさせた。 「もう立ち話はこれで終わり。イザベル、こいつにレディの立ち居振る舞いから男の誘い方まで色々教えてやってくれ」  自らではないものの初めて触れるイザベルの肌は吸い付くように瑞々しく、精巧なガラス細工のように可憐な指先は、意外なほど温かで  ロイは改めて彼女が生身の人間であることを認識し、その艶めかしさに頭がどうにかなってしまいそうなほど困惑する。 「いいわリリー、色々教えてあげる。私の部屋にいらっしゃい」  イザベルは屈託なくロイの手を握り、自分についてくるよう促してくる。  「いや…あの…」  イザベルの美しさに魅了されながらも、女性経験のないロイは、緊張と不安で思わず助けを求めるようにジャンを見上げた。  ジャンは、先ほどとは打って変わった優しい表情でロイを見つめ、小さく頷きながら行って来いと唇を動かす。 「そんなに心配ならあなたも一緒に来たら?」 「は?そんな野暮なことできるわけないだろ」 「冗談に決まってるじゃない」  ジャンは見るからに不機嫌になり舌打ちしたが、すぐに大きくため息をつき、もう行けとロイ達を追い払うように手を振ってみせる。  常に余裕あるジャンしか見たことのなかったロイには、イザベルにいいように揶揄われ感情をあらわにするジャンがとても珍しく映り、二人がただの、娼婦と客というだけの関係とは思えなかった。 (ジャンは、彼女のことが好きなんだろうか?)  もしそうなら、演技のためとはいえ、イザベルをロイと二人きりにし関係を持たせるのは、ジャンにとって苦渋の決断だったに違いない。 「リリー、行きましょう」  イザベルに手を引かれながらも、ロイはイザベルの部屋に行くことに罪悪感を抱き、もう一度だけ振り返りジャンを見上げる。  ジャンは口元に笑みを浮かべ手を振っていたが、その瞳は潤み、寂しさを湛えているように見えて、ロイの心はひどく痛んだ。    

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