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第二十七話

(今日で、全てが決まる)  昨晩は結局一睡もできず、寝不足の頭を抱えたまま、ジャンはまるで、処刑当日の朝を迎えた罪人のような気持ちでベッドから起き上がる。  ついに今日、ジャンの運命が決まる一日が始まったのだ。    いつものように、晩餐室で女王と対面したジャンは、朝食も喉を通らず、心臓の鼓動が耳元で鳴り響いているような感覚に陥いるほど緊張した。  だが、女王のジャンに対する態度は今までと変わらずただ余所余所しいまま。なんの変化も見られない女王の様子に、ジャンは心底絶望した。  あんなにも強い覚悟を持っておこした自分の行動は、結局なんの意味もなさなかったのだ。 「陛下、食事の後少し休んだら、我々の庭の池で舟遊びをするのはいかがですか」 「それはよい考えだな」  ジャンの心のうちなど素知らぬ顔で、女王はフランシスの提案に深く頷く。  舟遊びは女王お気に入りの遊興だ。  昔は、女王の行幸といえば、地方のあらゆる場所を訪問し国民との交流を図る、政治的な意味合いが濃かったが、今の女王にその体力はない。  ヘッドヴァン家の画廊を鑑賞したり、音楽会を開いたりと、女王が心地よくゆったりと過ごす事に重きを置いている。    食事が終わると、女王はジャンの母リディアや、数人の侍女と共に小舟に乗り、水の揺らぎを感じながらリュートを奏でたり談笑したりと、長閑な時を過ごした。  緑豊かな庭園の池に浮かぶ小舟で、貴婦人達が楽しむ姿は一枚の絵画のように優美だったが、ジャンの心は失意に沈んでいた。 「期待外れだったな」 「え?」  女王達の姿を漫然と眺めているジャンに、フランシスが突然声をかけてくる。 「何がですか?」 「…」  ジャンの問いかけに何も答えず、フランシスは再び女王達に目を戻した。  相変わらず食えない男だと不快な気持ちになるも、今ジャンの心を絶望の淵に落としているのは父ではなく、まぎれもなく女王だ。 (失敗だったのだ)  ジャンなどまるでその場に存在すらしていないように振る舞う女王に、僅かにでも希望を持とうとする心は捻じ伏せられる。  結局女王にとって、あの夜のひと時も、ジャンの存在も、取るに足らない者だったのだ。  だが、小舟での遊興が終わり舟が岸に近づいてきた時、事態は突然急変する。 「ジャン」  女王は真っ直ぐジャンを見つめ、威厳のある声で自分の名を呼んだ。  女王がジャンの名前を呼んだのは初めてで、ジャンは喜びのあまり、全速力で女王の元へ駆けていく。互いを見つめ合い、女王の意図を察したジャンは、小舟から降りる女王をエスコートするため掌を差し出した。  女王はジャンの掌に自分の手を重ねると、ゆっくりと舟からおり、小さな声で尋ねてくる。 「昨晩はどうした?」  その言葉に、ジャンは身体中の血が沸き上がるような興奮を覚えた。  端的でありながら、女王がジャンに関心をもってくれていた事を表すその言葉は甘美な響きとなり、諦めかけていたジャンの心は息を吹き返す。 「お…許しください陛下、知りたかったのです、陛下の心が」 「心?」 「陛下のお側に、私がいてもいいのか…」  歓喜に沸く心と裏腹に、ジャンの声は緊張のあまり、無様なほど震えているのが自分でもわかった。 (あー、くそ、せっかくのチャンスを逃すわけにはいかないのに…) 「夜、あの場所で待っている」 「…」  女王はジャンに、艶然と微笑みかけると、その後は何事もなかったように、侍女達と共に屋敷へと戻って行った。  ジャンは、喜びを全身で表し叫びだしたくなるのをなんとか堪え口元を押さえる。 (まさかこんなに計算通りにいくとは…)    女王の心を知るために起こした行動。ジャンは昨晩、女王との逢瀬の場所に行かなかった。  それは、致命傷になるかもしれない賭けであり、並々ならぬ葛藤との戦いだった。    一晩中、ありとあらゆる最悪の事態の想像に苛まれ、女王に声をかけられるまでの間、ジャンは生きたまま鷲に内臓を喰われ続けたプロメテウスのように苦しみ続けた。  そして今、プロメテウスがヘラクレスに解放されたように、ジャンもまた、女王の言葉と微笑みによってようやく救われたのだ。    だが、まだここで手放しで喜ぶのは早い。  今晩無事逢瀬が果たされた時、ジャンは女王に取り入り、なんとしても嘆願を成功させなくてはならない。 (確実に女王の心を開き、気に入られるには一体どうすればいいのか…)  深く悩み抜くうちに日は刻々とおちていき、ジャンはついに、約束の夜を迎えた。

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