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第四十六話

 ジャンの新居は、法律家を目指す貴族やジェントリーの子息達が通うインナーテンプルが建つ、法曹界地域にあった。  エリザベス女王の従姉の娘にあたるレティス夫人が相続しているタウンハウスの何室かを借り受ける形で、ここに住み始めたのだという。  ジャンに促され、ロイとジョージ親方は、美しい彫刻で装飾されたテーブル奥の椅子に隣同士で座り、その正面に向かいあうように、トーマスとジャンが腰をかける。 「さあ、一体どうゆうことなのか説明してもらおうか」 「親方、まずは俺の話を聞いてくれませんか?」  ロイは、ジャンに対して喧嘩腰のジョージ親方に、自ら口火を切る。 「この人は、俺を助けてくれたんです」 「助けた?」 「ごめんなさい親方!あの時親方に話した事は全て嘘だったんです。俺は、マンチェスターに働きに行くことになったんじゃない。娼館に売られたんです」 「娼館?どうゆうことだ?」 「脅されたんです、もし他の人間に言ったら、母と妹を売りとばすと言われて…俺は、二人の代わりに…」  話しながら、自分の身に起きた事実の醜悪さに、ロイは言葉を詰まらせる。 「つまり、男娼になったおまえを、この男が買って助けたということか?」  だが、自分の説明がかえって誤解を与えてしまったことに気づき、ロイは慌てて首をふる。 「違います!彼は俺を男娼扱いすることはなかった」 「じゃあなぜおまえは女の格好をしてたんだ? 俺はな、演劇をやってる奴が娼婦のような事もしていると知ってるんだ!相手が娼館の客からこの男に変わっただけだろう!」 「違います!それは誤解です!」 「いいかげんにしろ!!」  ロイとジョージの言い合いに、声を荒げて入ってきたのはトーマスだった。 「ロイはな、あんたの事を自分の恩人だと話してたんだぞ!なのになんだよその言い方は!ちょっとはロイの話を信じてやったらどうなんだ! それにな!ジャンは少年を金で買っていたぶる趣味はない!これ以上こいつを侮辱するな!」  誰よりも激昂するトーマスに、3人は驚き目を丸くする。一瞬の沈黙の後、やがてジャンが思わずというように微笑み、ジョージ親方に語り始めた。 「乱暴な口の聞き方をしてしまって申し訳ありません。彼はとても友情に熱い奴で、どうか許してやってください。 ただ本当に、私とロイの間に、あなたが思われてるような関係はないんです。私は、彼の美貌と才能に惚れ、このオーク座の俳優になってもらうためにロイを買いました。彼の才能は、アリアンを見て下さったならわかるでしょう?」  ジャンの穏やかな口調に、ジョージ親方もいくらか勢いが削げたようだが、それでも疑わしげに反論する。 「だからって、あんな女の格好をさせるのはおかしい。俳優として買ったのなら、男の役だって良かったはずだろう」 「ロイと出会った時、丁度アリアン役をやるはずだった少年がやめてしまっていたんです。 知っての通り、舞台に女性が立つ事はできません。俺も学生の時、女役を演じた事がありますが、舞台で男が女性を演じるのは、俳優にとって決して珍しいことではないんです」 「…」  ジョージ親方は、視線をジャンからロイに移し問いかける。 「おまえは本当に、無理矢理やらされてるんじゃないのか?」 「違います!」 「それじゃあなんでマリアとソフィに会いに行かない?やましい事がないなら、すぐに会いに行ってちゃんと話せたはずだろう?」 「それは…」  ジョージ親方の言う通り、確かにロイは、俳優で得たお金をジャンの計らいで仕送りしながらも、母と妹に会いに行くことは故意に避けていた。しかしそれは決して、女役が恥ずかしいからではない。ロイは、オーク座にきた経緯を適当に作り出し、嘘を突き通す自信が全くなかったのだ。  慈悲深い母はまだ、父の中の愛と良心を信じている。もし父が、母と妹を借金の形にし、そのせいでロイが娼館に売られた事を知ったら、きっと深く嘆き悲しむだろう。  それならば、マンチェスターで親方になるべく頑張っていると思っている方が、母や妹にとって幸せなのかもしれないという考えが、ロイに二の足を踏ませたのだ。 「いつかは、話にいこうと思っていました。だけど…」  心の内をうまく整理して話すことができず、言葉少なになるロイに、ジョージ親方はさらにたたみかけてくる。 「マリアもソフィも、おまえが靴職人の親方になると信じておまえの帰りを待ってる。おまえだって、親方になって二人を幸せにしたいと言ってたじゃないか?俳優なんてのは水物だ!それが本当におまえのやりたい事なのか??」 「…」 (俺の本当にやりたい事?)  何故かその言葉が、心に一際強く響き、ロイは深く考えこむ。かつてロイの夢は、確かに靴職人の親方になることだった。でもそれは、そうする事でしか、母とソフィを救えないと思っていたからかもしれない。  じゃあ俳優は?自分はオリヴァーやダニエル達と同じく、生涯俳優を続けていきたいという情熱を持っている?    自らの疑問に混乱し、ロイは無意識に縋るようにジャンを見つめる。ジャンの瞳が、優しく瞬きロイを映し出した時、ロイはまるで、天啓をうけたように全てを理解した。 (ああ、そうか…)  自分が本当にやりたい事。演技を続ける意味。  確かに今ロイは、演じる事を好きだと、楽しいと思いはじめている。でもそれ以上に、自分はジャンの側にいたいのだ。  この人の役に立ちたい。この人のために生きたい。そう気が付き口を開きかけたその時、ジャンがおもむろに言葉を発する。 「ロイ、一度家族のところへ行ってこい。 このまま俳優になるのか、ジョージ親方のところに戻って靴職人の親方を目指すのか、おまえの意志で選んで決めればいい。おまえの俺に対する借りはアリアンで十分に返してもらってる。今後どうするかはおまえの自由だ」  ジャンの言葉に、ロイは後ろから大きな鉛でも投げつけられたような痛みを覚えた。伸ばそうとした手を、冷たく振り払われた絶望感が、ロイの心に襲いかかる。 「…俺はもう、いらないってことですか?」  気が付けば、心で思ったことをそのまま口にしていた。 「違う!おまえはおまえの意志で、これからを決める自由があると言ってるんだ!どちらを選んだとしても、俺はおまえにも、おまえの家族にも支援を続けていく、それに…」  ジャンがロイに対し色々言ってくれているが、全てまったく頭に入ってこない。  どちらを選んでもいいということは、結局ジャンは、オーク座から自分がいなくなっても大丈夫だということ… 「分かりました。一度家族のところへ帰って、全てを話してきます」  必死に涙を堪え声を出すのが精一杯だった。 「ロイ…」  立ち去ろうとするロイの手をジャンが掴もうとしたが、ジョージ親方がその手を遮る。 「あとは俺がこいつをマリア達のところへ連れて行ってじっくり話し合う。さっきあんたが言ってた、ロイがどちらを選んでもこいつの家族を支援してくってのは本当なんだな?」 「ああ、本当だ」 「わかった、ロイ、マリア達の所へ行くぞ」  ジョージ親方はロイの手を引き、自分と共に来るよう促す。ロイはジャンの顔をまともに見る事ができず、心持ち頭だけ下げてジャンの屋敷を後にした。 「マリアとソフィにちゃんと全部話せるか?」 「はい」 「あの貴族は悪い奴じゃないのかもしれないが、俳優なんてのは一生食べてける仕事じゃない。しかもおまえがやってる女役なんてのは…」  ジョージ親方の言葉に空返事をしながら、ロイはこれから会いに行く母や妹の事ではなく、ジャンの事を考えていた。 『おまえの俺に対する借りはアリアンで十分に返してもらってる。今後どうするかはおまえの自由だ』  (自由なんていらないのに)  靴職人になろうと、俳優になろうと、ジャンに必要とされていないなら意味がない。  自分がこんなにも女々しいなんて知らなかった。父がいなくなってから、母と妹を守るために強くならなきゃと、必死に生きてきたはずなのに、今の自分は、たった一人の男の言葉で、この世から消えてしまいたくなるほど絶望している。 (オーク座にいて欲しいと、言って欲しかった。 女役を続けてくれと…)  だがロイは、自らの考えを否定する。 (…いや、違う)  オーク座とか女役とか、そういうことではない。ロイはただ1人の人間として、ジャンに必要とされたかった。  アリアンでジャンが演じたハリーのように、側にいてくれと言って欲しかった。愛していると… (ああ、俺は神の元へはいけない)  御前公演の日、罪深さを感じるほどこみあげてきた愛しさに、恐れ慄いたあの日の自分。  恋をしてしまったのだ。同じ男であるはずのジャンに、自分は恋心を抱いてしまった。  だからずっと、幸せなのに苦しかった。  ジャンの一挙一投足から目を離すことができず、ロイを見つめる目線や言葉だけで、時に胸が震えるほど歓喜し、時に深く傷ついた。 (馬鹿だな俺は、気がついたってどうすることもできないのに…) 絶対に叶うことのない恋。 神に背き、裁かれるべき感情。    この気持ちは、誰に知られることなく殺さなくてはならない。そのためにする選択は、たった一つしかなかった。

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