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 放課後。部活へいくゆきなを見送ったあと、なんだかんだ花田と一緒に帰ることになった。  校庭でウォーミングアップを行う野球部を花田は今日も遠い目で眺めていたが、奏の視線に気づくと、何ごともなかったように「腹減ったなー」とぼやいた。  昨日と同様に駐輪場へ寄って、花田はカラカラと自転車を押して。無口な奏の分まで花田はあれこれ話しかけてくるが、不思議とうっとうしく思わなかった。  口数の少ない自分と一緒にいて、花田は退屈しないのだろうか。 「お前、どうして俺にかまうんだ」  奏の唐突な質問に、花田は宙を見上げてうーんと考え込んだ。答えを待つあいだ、奏は少しだけ緊張する。空の青と田畑の緑、二色の絵の具だけあれば描けてしまいそうな景色の中を、花田と並んで歩き続ける。 「猫っぽくてほっとけないからかな。かまいたくなる」 「……ねこ」 「そう。俺、超猫好きのくせに猫アレルギーでさ。触りたくても触れないんだ」  つまり大好きな猫が飼えないので、その代わりということらしい。猫っぽいなんて初めて言われた。 「俺が猫なら、あんたは犬だ。でかいやつ」 「大型犬? なんで?」 「体がでかくて、ひとのそばをちょろちょろついてくるから」 「ふーん。奏がご主人さまなら、犬でも悪くないな」 「……俺は飼えない」 「どうして?」 「動物は飼ったことがないし、かわいがり方もわからない」 「奏、動物に懐かれなさそうだもんなあ」  そのとおりなのだが、人に言われるのは何となく癪なので、前髪の隙間から横目に不満を訴えた。花田はごめんごめん、と悪びれずにヘラヘラしている。つんと前を向く奏の顔を、花田は隣からのぞき込んできた。 「ご主人さま、前髪切んないの?」 「ご主人さまじゃない」 「じゃあ猫ちゃん」 「猫でもない」 「猫ご主人さま、こっち向いてみ」  花田が立ち止まるので、自然と奏も足をとめる。隣の花田をつい見上げたとき、同時におおきな手のひらが伸びてきた。前髪を持ち上げられ、途端に額が涼しくなる。 「切ればいいのに。きれいな顔してんのに、もったいない」 「っ……」  奏は目を見張った。花田の手をとっさに振り払おうとしたが思いとどまり、手首を掴んでそっと引き剥がす。それを何となく握りしめたまま、行き場のない視線を横に流した。 「……長いほうがいいって言われた」 「誰に?」  食い気味にたずねる花田を前に、奏は言いよどみながらも口をひらく。 「好きだった人」  花田の手首を手放し、奏はまた歩き出す。カラカラいうタイヤの音が横についてくる。  ――遠野の長い前髪、ミステリアスな感じがしていいな。  彼の言葉をバカみたいに真に受けて、瞳にかかる長さをずっとキープしていた。あの頃の自分がひどく滑稽に思え、気分がどっと沈む。 「奏にも好きな子がいたんだなあ。どんな女の子だった?」  呑気な声が隣で聞こえる。奏の過去など何も知らない花田は、笑顔でそばをついてくる。何も知らないからそんな顔ができるのだ。 「いつ相手が女だって言った?」  花田がそれこそ犬のようなくりっとした瞳で首をかしげる。我慢ならなくなった奏はふたたび立ち止まると、自分よりもずっと高い位置にある花田の瞳を鋭く見上げた。 「俺はゲイだ。教師と関係を持って、それがバレて学校を辞めた」 「え? ……え」  驚愕を隠さない花田にかまわず、奏は続ける。 「相手には婚約者がいた。俺は知らなかったけど……。ショックでピアノも弾けなくなった。若気の至りで、全部なくした」  花田は固まっていた。いつもは人懐っこい表情を見せる顔がかたく強張っている。  もう、どう思われてもいい。どうせY字路はすぐそこだ。そこで花田とわかれて、明日からは距離を置くだけ。 「気持ち悪いだろ。もう俺にかまわなくていい」  隣の花田から徐々に遠ざかり、Y字路の右方面へ進もうと踏み出した瞬間。力強く腕を引かれ、奏はおのずと振り向いた。 「奏、花火やろう!」 「は……花火?」 「そう、今夜! 俺んちにいっぱいあるから」  花田の瞳の引力に縛られて視線が外せない。馬鹿力で掴まれて腕が痛かったが、奏は指摘できなかった。捕まったまま数秒、十数秒――やっと絞り出した声はかすかに震えてしまう。 「花火は夏にやるものだ」 「別にいつやったっていいんだよ」 「でも――」 「いいから。俺、奏ともっと遊びたい」  やっと奏を放した花田の手が、今度は自転車のハンドルを握りしめる。 「七時に立山南公園の広場な。待ってるから」  そう言って花田はサドルをまたぎ、奏がいくのとは逆の道へとペダルを漕いだ。けれどすぐにブレーキを踏み、うしろを振り返る。 「あと俺は、前髪切ったほうが絶対にいいと思う!」  花田はまたすぐに走り出して、Yシャツをはためかせながら小さくなっていく。まるで走る花田が巻き起こしたみたいに強い風が吹いて、奏の伸びた前髪を浮き上がらせた。  洗面台の前に立ち、鏡に映る自分とにらめっこを始めて数分。意を決し、長らく握ったままのハサミを宙でじゃきっと鳴らしたとき、背後の戸が突然ひらいた。 「うわっ、お前何やってんだ」 「……前髪を切ろうとしてた」 「モンチッチになっても知らねえぞ」 「モンチッチってなんだ」 「若い奴は知らねえか」  清隆は自嘲気味に笑いながら、奏からハサミを取り上げた。代わりにプラスチックの洗濯桶が手渡される。 「切ってやるから、これ持ってリビングの椅子座ってろ」  店が定休日でラッキーだった。指示どおりに椅子に腰を下ろして待っていると、コームとハサミを持って清隆がやってきた。さっきまでの工作バサミとは違う、美容室でよく見かける変わった形のやつだ。 「どんくらいいく?」 「眉毛の少し下がいい」 「なんだよ、少ししか変わらねえじゃん」  文句をつけながらも清隆はハサミを鳴らした。前髪を少量指に取り、刃を縦に入れて少しずつ切っていく。抱えた洗濯桶の中に、短い毛がはらはらと落ちていく。 「ここから立山南公園ってところまで、歩くとどれくらいだ?」 「十分もかからねえんじゃねえの。なんで?」 「夜、いく」 「夜遊びかよ。誰と?」 「前の席の奴」 「へえ。友達できたのか、お前」 「……わからない」  友達、と言っていいのだろうか。奏には友達の定義がわからない。 「で、何しにいくんだよ」 「花火」 「花火ぃ? 夏にやるもんだろ」 「別に、いつやったっていいらしい」  花田の言葉をそのままなぞって言った。切った前髪がまつげに絡まったので、数度まばたきをして落とす。  勢いに任せていろいろとカミングアウトした奏を、花田はどういうつもりで遊びに誘ったのだろうと想像する。同情? 花田はやさしいからあり得る。  それでも嬉しかった。あの瞬間のY字路が花田との最後にならなかったことに、内心ひどく安堵していた。

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