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転入二日目。朝のホームルームでは不在だった花田は、噂どおり一限目の途中に駆け込んできた。「ほらね」とゆきなが小声で笑う。
花田やゆきなと一緒にいるせいで、休み時間になるたびに人がちらほら話しかけにやってくる。必然的に奏も会話に混ざることになる。話しかけられてもうまく答えられずに奏がつっかえると、花田がうまい具合につないでくれて会話が成立した。
三限目終了後。花田は授業を終えて奏に話しかけるとき、相変わらず体ごとうしろを向いて背もたれを抱きしめる。もうお決まりのポーズだ。
「なーなー。赤レンガ倉庫って、倉庫じゃなくて商業施設なのな。奏に笑われたワケがやっとわかった」
「……別に笑ってない」
「笑ってたんだって。俺は見逃さなかったし、どんな顔して笑ってたかも忘れない」
花田の両手が不意に伸びてきて、左右の口角を二本の人差し指がつつく。くいっと勝手に持ち上げられて。花田の瞳が細くなり、上下のまつげの密度がぎゅっと濃くなる。
「奏には、ずっと笑ってほしくなっちゃうな」
「……! し、知らない」
そんなやわらかな笑みを人に向けられることに慣れず、奏は花田の指から逃げるように顔を背けた。
「花田ー、遠野くーん」
やってきたのはクラスの女子二人組だ。互いに手をつないでいるものだからぎょっとした。きっと深い意味はなく、女友達同士にありがちないきすぎた戯れなのだろう。けれどマイノリティーを隠している奏にとっては過敏な問題だ。
「昨日からずっと遠野くんと話してみたかったんだよね。かっこいいよねー、横浜出身って感じわかる」
「てか花田、遠野くんと超仲良くない?」
別にかっこよくはないし、花田と超仲良くもない――と、口を挟む余裕は奏にはなかった。
「まあなー」
机に置いていた片手を花田に取り上げられ、奏はつい身を凍らせた。言葉を失う奏に構わず、花田はつないだ手を揺らして女子二人に見せつけながら冗談めかしている。
「仲良しだろ?」
女子はけらけらと愉快そうに笑っている。
何がおもしろいのだ。奏は唇を噛みしめた。花田の手をひと思いに振りほどき、瞠目する花田をにらむ。
「そういうこと、するな」
口べたな奏のつむぐ精一杯の抵抗だった。奏の反応が予想外だったのか、花田は口をぽかんとあけたまま固まっている。女子もすっかり黙ってしまった。奏のほうがむしろ気まずくなり、ななめ下へとしどろもどろに視線を逃がす。
「その、……手、また痛くされると思ったから」
言い訳をこじつけたが、花田を悪者にしてしまった自己嫌悪で余計にいたたまれなくなる。
花田は「あっ」とひらめいたように声を上げ、行き場のなさそうにしていた手をぐー、ぱーと動かした。
「俺が昨日、握手だっつって思いきり握りつぶしたからか……!」
「うわ、花田ひど! 馬鹿力なんだからやめなよ」
「遠野くん痛かったでしょー?」
「……平気だ」
花田のおおげさなものの言い方のおかげで、冷えた空気は無事和らいだ。ほっとした反面、奏の中には形のないもやもやが残る。手を振り払ったりして、花田は傷ついただろうか。傷つけていたらどうしよう。
チャイムと同時に、四限目の担当教師が教室に入ってくる。それぞれが席に戻っていき、花田は前を向き直してしまう。
自分のような人間をほっとかずにいてくれる花田に、ひどく冷たい態度を取ってしまった。謝りたいのに、謝るタイミングさえ失った。
ワックスでつんつん跳ねた花田のうしろ髪を、奏は落ち着かない様子でいつまでも眺めていた。
今日の昼休みはゆきなが不在だ。バドミントン部の仲間と昼食を取り、そのまま昼練に励むのだという。
先ほどのこともあり二人きりでは気まずかったが、花田のけろっとした雰囲気に流され、結局何ごともなかったように食事を共にした。ますます謝れない。このままなかったことにしてしまおうかと奏は悩む。
「六月の県大会でインハイいけるか決まるっつーからさあ。ゆきなにとっちゃ、今ががんばりどきなんだろうな。引退も近いし。あいつこれから忙しくなるだろうし、奏がきてくれて助かったよ」
花田は語りつつ、コンビニのカツサンドをかじっている。先にメロンパンをひとつ平らげているが、机上にはあとツナコッペとピザパンも置いてある。花田はとにかくよく食べる。同じ机に置いていると、人並みサイズの清隆製弁当が小さく見えた。
ゆきながいないからって、なぜ自分と昼を過ごすのだろう。花田にはほかに友達がたくさんいるのに。気になっても聞けない。聞き方がわからないから、奏は黙って弁当の卵焼きを食べる。
「いいよなあ、スポーツに打ち込むのって。青春って感じする。奏は? 運動得意?」
「嫌いだ」
「はは、だろうな。細いし肌まっしろだし。プールなんか毎回見学してそうだもんなあ」
「……」
図星で黙り込む奏をよそに、花田は窓に立てかけたスマホで花火の動画を観ながら「お、今の色合わせ綺麗だな」なんてひとり言を言っている。
たしか家は花火工房だったか。祖父のあとを継ぐために花田は修業中なのだと、ゆきなはそう言っていた。
「あんたは、実家を継ぐために野球を辞めたのか?」
何げない質問のつもりだったが、にこやかだった花田の表情が瞬時に冷えたのを見て、奏は察した。今、地雷を踏んだ。とっさにフォローの言葉を探したが、花田はすぐにいつもの人当たりのよさそうな雰囲気を取り戻す。
「んーん。そういうわけじゃない」
花田がカツサンドの最後のひとくちを口に詰め、咀嚼をしながら今度はツナコッペの袋をあける。口の中のものをごくんと飲み込み喉仏が上下するのが見えた。
「奏と同じだよ。できなくなったから、辞めた。それだけだ」
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