81 / 205

.

 扉の前に座る黒猫に惹かれて歩みを止めた。  しなやかで艶のある被毛をしっとりと光らせながら、長い尾をきちんと行儀よく揃えた足に絡ませて座る。  なぁーぅ…  一鳴き、  それだけで、その黒猫は彼を店の中へと誘った。  艶々とした肉厚な葉の観葉植物を見ながら店内へとそっと入ると、カウンターの中の男が手を止めて「いらっしゃいませ」と微笑む。  少し背の高い…中年になりかけの男だった。  柔和そうな、それでいてどこか影のある微笑に惹かれてカウンターに腰掛けた。  とと…と、足元を黒猫がすり抜け、高いスツールの上へと飛び乗る。 「あっ…あの、椅子に猫が…」  飲食店のイメージからそぐわぬ事態に、狼狽えてこの店の店主を見上げる。 「そこは、ノアの席なんですよ。他の席には絶対に座りませんから」  きっぱりと言われてしまっては口を閉ざす他なくなってしまい、仕方なく彼はもそもそと座り直した。 「じゃあ…珈琲を…」 「はい。ありがとうございます」  目尻の皺をやや深くしながらマスターは微笑み、棚から華やかな花の描かれたカップを取り出す。  個々に強い個性がある棚のカップの中で、一際主張するかのような色使いに思わず見惚れる。 「…きれい…ですね」  思わず言葉が漏れた。 「でしょう。普段は料亭向けの器を作っている工房のものなんですよ」  そう…と口の中で呟き、彼は俯いてしまう。  きぃ…  と、微かな音を立て、扉が開いた。

ともだちにシェアしよう!