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 物足りない左手を見遣り、痕だけが残った薬指を微かに動かした。  この時間にこうやって椅子に凭れて青い空をぼんやり見る なんて事が、働き始めてあっただろうか?  それも進んでいた商談が白紙に戻ったからだが、人間は怒りが勝りすぎると虚無に苛まれると言う事が分かった。 「タヌキジジイが」  吐き捨てて目を瞑り、ぐっと目頭を押す。  商談が潰れた理由は分かっている。  あのタヌキジジイが裏で手を回しているのも分かっている。  分かってはいるが、正直、何度も何度も、ここまで執拗に手を回されるとは思ってはいなかった。  逆らったから、気に食わない。  理由は至極簡単だ。    策略を巡らす事に長けていると分かっていたはずだったのに、どこかで義父だから と甘えが出ていたのかもしれない。  気付いた時には遅かった。  追い込まれ、囲い込まれ、最後にはタヌキジジイの前に引き摺り出されて、どうするか尋ねられた。  左遷か、それとも、 「 ────社長」 「どうした」  おどおどと気まずそうにこちらを伺いながら扉を開けて、俺の機嫌を察したのかびくりと身をすくめる。  怯える小動物のような態度が加虐心を煽るのだと、こいつはまだ分かっていないらしい。  頭は悪くない筈なのだから、いい加減学べばいい物を…… 「本日の件、二十時よりもう一度席を設ける事が出来ました。店はいつもの   っ」  蹴りつけたデスクの立てたけたたましい音が男の言葉を遮り、それでなくとも白い顔色を更に白くさせた。  自分を奮い立たせるかのように噛み締められた唇だけがやけに赤く見えて、苛々のままに睨みつける。 「無駄な事を」 「…………対抗派閥の方に伝手を辿れました。これなら安易に白紙になる事は  」  は と思わず漏れた吐き捨てるような笑いを、この男はどう取ったのか。怯えて泣き出しそうな顔で俯き、「出過ぎました」と蚊の鳴くような声で返してきた。  出過ぎた なんて事はない、寧ろここは良くやった と笑顔で返してやるべき所なのだろうが……  こうなって 自分の力の限界を痛感させられる。 「こちらに来い」 「  っ あの  っ」  ぐっと握り込んだ手で拒否しようとしてきた男を睨みつけ、金属の輪っか一つ無くなっただけで頼りなく感じる左手を出す。 「来い」  震えながら後ろを見たのは鍵を掛けなかった事に気が付いたからだろう、けれどそれを分からないふりをしてデスクの天板を爪で叩いて見せた。泣きそうになりながら、せめてブラインドを降ろさせてくれと言いたそうに窓に視線を遣るのをあえて見なかった事にして、何も言わせないように睨みつけた。

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