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君の影に告白を

あのカフェ以来、この一週間、一縷と会うことはなかった。そのまま2学期が始まる。一成に何度か連絡をとってみたのだがあまり良くない状況で一縷は外出することを禁じられ、一成は一縷と会話することを咎められたという。どのみち今日の教室で出会えるのだ。残暑の日差しはなかなかつらい。チャリを漕ぐ足に力を込めた。 「おはよーハルちゃん」 「おはよ、」 鞄を置く。 「一縷」 相変わらずの合服。他を寄せ付けないオーラ。名を呼ぶとびくり、と肩を震わせた。 「おはよ」 「ああ」 こちらを見てくれない。どうしたのだろうか。 「一縷?」 肩に手をかける。驚いたように顔が上げられた。その顔にはまた以前より酷くなった隈。そして頬が腫れていた。Yシャツの第一ボタンまできっちりとしめて、首を絞めるようにネクタイをしていた。何かを隠してるなんて、すぐにわかるほどに。 唖然としていると、また深く俯かれた。 「一縷、お前ちょっとこい」 腕を引いて立ち上がらせ、朝の廊下の喧騒の中を流れに逆らい歩いた。向かった先は、ひと気のない屋上へ続く階段。 「なにがあった」 「すまない、約束をまも「んなことは どーでもいいんだ!」 思わず怒鳴ってしまう。びくり、と跳ねた肩。 「母が、部屋まで…」 母親が三泊の外泊と一成の態度の変化を一縷のせいにして怒り狂い、外出を禁じ、毎晩一縷を部屋まで殴りに来たという。一成も母親から見張られる生活だったらしい。一週間一睡もしていない様な目の前の一縷は、気を抜いたら倒れてしまう、そんな感じだった。 「今日、一緒にかえんぞ」 「し、かし」 「委員会とでも言えばいいだろ」 チャイムがなる。階段を降りていく。 「キツくなったら俺に言えよ」 始業式は大丈夫だろうか。 「ああ、」 後ろから着いてくる一縷。待つ様に立ち止まった。隣にきた一縷の頭を乱暴に撫でる。何も言わず目を細めただけだった。ホームが始まったらしく廊下は、教師の声しかしない。横を歩く一縷はいつもの前を見据えた姿勢ではなく、どこか顔を隠す様に俯いていた。 「あ、一縷。お菓子買って帰るか?」 何時もの二人乗り緩やかな坂道。夏の日差しも 傾いていた 「いい、」 背中越しに首を横に振るのが分かる。やっぱり今日の一縷はどこか違った。 アパートについても視線を下げている。ベッドを背にし、膝を抱える様にして座る姿。一層小さく見える。 「一縷、サイダーと烏龍茶、どっちがいい?」 反応はない。テーブルを挟んで向かい側のテレビの前から一縷の横へ腰を下ろす。 「一縷」 肩に触れるとびくり、と揺れる。 「っ、なんだ?」 「どうした?体調悪いのか?ボーっとしてる」 「大丈夫だ」 平気だ、と繰り返しながら、首すじを隠す様に 髪を梳く。 「んー」 朝からどうも首すじを庇う。床に手を着いて下から覗き込んだ。 「!!」 「朝からなーんか、庇ってるよな。」 心配になる。辛くても隠し通す癖があるから。じっ、と見つめると、息を止めるかのように張り詰めていた表情が、諦めたように緩んだ。俺はいつも何となく悲しくなる。一縷の諦めた顔に。どうしようも無いから、仕方ないから。そういった感じ。ネクタイに手がかけられる。しゅるり、と解いて、ひとつボタンを外した先にあったのは、 あざ ただのあざじゃない。首すじに走るそれは、どう見ても首を閉められた跡で。絶句してしまった。 「ここ一週間、毎日のように母は俺の首を締めるんだ」 あざをなぞるように触れた。 「母は俺を、」 切られた言葉。泣いて居るのかと視線を上げると、苦しそうに寄せられた眉間。小刻みに震える唇。その先の言葉を言ってほしくない。悲しすぎる言葉。吸い込まれた空気を吐き出さないように、震える唇を口で塞いだ。それと同時に 一縷のまぶたに溜まった涙が流れ落ちる。 唇をゆっくり開放する。額がくっつきそうな距離。 「ごめん、」 「ちが、う」 引き止めるように、俺の制服を握りしめる一縷。涙はまだ止まっていない。いたたまれなくなって、細い肩を抱きしめた。自分でも分からない行動。怖がらせたかもしれない。ごめん、と繰り返した 「嫌、ではない」 ぽつりと発された言葉。 「そっか」 そのまま日が暮れるまで、ただ抱きしめ合ってた。緊張や鼓動さえも伝わるような空間。体を預けるようにもたれかかる一縷。 どうにかして守りたい。頼られていることの愛しさ。好きとかいうそんな言葉では言い表せない大事な存在だと、やっと気づいた。 「一縷」 「なんだ」 玄関で振り返る。顔を近づけると、目をぎゅ、と瞑る。 「じゃあな、」 髪をがしがし、と掻き回す。 「ああ」 見上げて細められた目。ドアの先からは、夏の終わりを告げるような肌寒い風が吹き抜けた。 涼しくなってきた帰り道。 ふと、唇を指でなぞった。 以前なら、人に触れられるのは不快だった。むしろ自分に触れる者などいなかった。なのに何時の間にかハルの腕の中が一番安心出来る場所になっていた。心地よくて優しくて、感情がコントロール出来なくなる。ただ、憐れんで優しくしてくれているのだろう。自分がハルに縋り付いているのも自覚している。だけどどんなことがあっても手放したくない手放せない場所。 唯一の拠り所。 大丈夫だ、今夜も乗り切れる。家の玄関をそっと開けた。 「あ、お帰り!一縷」 リビングから出てきた一成。 「た、だいま」 「大丈夫。ママはまだ仕事中だよ、今夜は遅くなるって」 リビングに促される。久しぶりに入ると観葉植物やカーテンの色が変わっていた。三つしかないダイニングの椅子も、飾られた写真も、ちくり、と胸を刺す。 もうとっくに慣れたはずなのだ 「一縷、これあげるよ」 一成がソファーに投られた荷物から、取り出したのは白いカバーのスマホ。もちろんスマートホンなんて持ったことがない。 「今まで通話だけそのスマホだったんだけど 一縷にあげる。ハルと僕の番号が入ってるから後は好きに使っていいよ」 「いいのか?」 「ママには見つからないようにね」 「分かった」 その後、スマホの使い方を、色々聞きながら食事をとった。初めての二人だけの食事。手元のスマホも並べられた料理も自分には不似合いな気がする。 「ハルに電話してみる?」 「え、」 突然言い出した一成。恐る恐る画面に触れる。 「ここのボタン押して、うん。そう。そしてここを押したら繋がるから」 呼び出し音が聞こえる。 「ハル、きっとびっくりするよ」 『一成?どうした?』 「ハル、」 何故か緊張して声が震えた 『一縷?!なんでだ?』 「一成がくれたのだ」 『スマホをか?よかったな!』 「ああ」 『何時でも掛けて来ていいからな!あーよかった、なんか安心したわ、俺』 心地よい笑い声。頬が緩んでしまう。 と、カーテン越しに車のライトが映る。 「一縷!」 一成が慌てたように言う。スマホを掴んだまま、二階へ階段を駆け上がる。物置部屋のはしごを上り、ぎぃ、と屋根裏部屋の入り口を閉めた。息が上がる。座り込むと気づいた、 通話中のスマホ画面。 『一縷!』 「すまない、母が帰ってきた」 走ったことと不安で動悸がする。一階から微かに聞こえる、酒の入った母の高い声。 「また、かけても良いか?」 『ぜってーかけてこいよ。電話来るまで寝れねーからよ』 「分かった、」 スマホを耳から外すと声がした 『待て、一縷!』 「なんだ、」 『俺がいること忘れんなよ』 「ああ」 首をさすった。今日も付けられるだろう憎しみの印。大丈夫だ、ハルがいる。もう一度スマホを両手で握りしめて、バッグの奥底に忍ばせた。 一縷から最初の電話があって二時間半。約束した電話は一向にかかってこない。テレビを見ながら適当に作った夕飯を流し込むが、脳裏に浮かぶのは、一縷の悲痛な姿。 今、たった今、あの傷が付けられているのだ。箸も止まった。笑い声が煩わしくて、テレビを消した。ただスマホだけを握り締めて、ぼー、っとベッドに横になった。抱きしめ、眠った時の細過ぎる体の感覚。夜中、突然怯えるように震え出す背中。無意識にしがみついてくる細く白い指。ひとつひとつ思い出されて。胸が締め付けられる。 一縷と出会って一ヶ月。何時の間にかあいつの存在が思考の大半を占めていた。 「一縷、」 ♪~♪~ 着信が鳴る。あわてて取ると待っていた電話だった。 「一縷!」 『ハ、ル』 疲れた、掠れ気味な声。胸が苦しくなる。言葉に詰まる。 『ハル…?』 「ん?」 『痛い、』 小さな呟きは、しっかりと受話器越しに聞こえた。初めて一縷の口から聞いた言葉。慌てて声が上ずる。 「だっ大丈夫か?痛み止めは…残ってねーよな。」 痛い、という言葉が助けてと言っているように聞こえる。不安が増した。痛み止めをもっと渡しとけばよかっただの、一成に連絡すべきなのだろうかだの、あれこれ考える。 『ハル、話せ』 「は?」 『なんでもいい、話して』 唐突な命令が思考を止める。 『今日の夕飯はなにを食べた?』 「あー、 カレー作った」 促されるままに話す。取り留めの無い話。一方的にだらだらと話した。その間、一縷は静かに聞いていた。。俺はそんな話よりも一縷が心配だったが、本人がせがむのだから仕方がない。 話題がなくなり、会話が途切れる。 『起こして悪かった』 「一縷、大丈夫か」 『だいぶ楽になった、』 「明日痛み止めやるからな」 『すまない』 「またなんかあったらいつでも良いから、電話しろよ。」 『分かった』 「じゃーな、おやすみ」 『ああ』 電話を切った。通話時間は32分。俺が話し続けただけの32分だった。それでも最後の声が幾分柔らかかったから。明日も電話をかけよう。そう決めて眠りについた 「おはよ、」 「今日は早いな」 まだ人の疎らな教室。いつもより30分も早く家を出た。教室のドアを開けたとき、窓際の席で何時ものように本を読む姿を見つけて安心した。 「大丈夫か。」 思わず鞄も下ろさずに一縷の頬に触れる。少し熱を持って腫れぼったい。 「大丈夫だ。」 振り払うように顔を背ける。 「なら、いーけどよ。あ、スマホみせろよ」 「一成が使っていたものなのだ」 鞄から大事そうに取り出した白いスマホ。 取り出す動作もぎこちない。 「俺のLINE入ってるか?」 「ら、イン?」 きょとん、とした顔。 「んーとな、通話アプリ。それがあれば電話もメールもできるんだよ。」 「分からない」 そう言って俺にスマホを差し出した。頭はいい癖にこういうのは苦手らしい。俺のスマホと2台を操作する。一縷はそれを驚いたように見ていた。 「なになにハルちゃん、スマホ変えたの?」 何時の間にか登校していたらしく、前の席から振り返る桂助。 「俺のじゃねーよ。一縷のだ」 「へぇ、委員長、スマホ持ってたんなら言ってよ。LINE教えて」 その言葉に手が止まった。 「そのらいんとやらが…「まだ買ったばっかで使いこなせてねーからまだいいだろ」 「……それもそーだね。委員長、また今度教えてよ」 にやにや笑う桂助。 「なんだよ」 「なんでもなーい」 へらり、笑って手を振る何時もの仕草。いい奴だってことは分かるが相変わらず思考の読めない奴だ。 「今日は何時まで居れるんだ?」 「今日は母が帰りが遅いらしい」 アパートの鍵を開ける。放課後すぐにチャリを走らせた。どうせ、昨日もろくに眠れてないだろう。 「じゃあ、飯食って帰るか」 「いいのか?」 「あーでも昨日の残りのカレーしかねーわ」 「カレーで充分だ」 もう俺のアパートには慣れたらしく、定位置にベッドを背もたれにしてすとん、と座る。俺もいつもの様に用意するのは、コップ一杯の水と痛み止め。相当眠たかったのか、キッチンから顔を出した時には既にうとうとしていた。 「一縷、眠るならベッドで寝ろ」 「大丈夫だ」 コップを受け取る。合服の袖から見える細い手首。薬と水を含むその唇、横顔。惹きつけられるように見ていた。 「なんだ」 コップが置かれる乾いた音。 「いや、」 見上げる訝しげな瞳。その時、見下ろした視線の先。ワイシャツから覗く首筋に、無数の傷を見つけた。 「ちょ、お前、首の傷酷くなってねーか?」 慌てて隠すように伸ばされた手。 「おい、見せてみろ」 無理やりネクタイを取り、第一ボタンを外す。 びくり、と一縷の肩がはねた。現れたのは赤いあざの上に走る引っかき傷。所々血が滲んでいる。 「一縷、」 なんとなく悟って目線を合わせた。もう見慣れた苦しそうな瞳。以前は気付かなかったちょっとした変化。毅然とした鷲色の揺れる瞳の奥。 「首を、締められている時の、手の感触が嫌で、嫌で忘れられない。夜中、目が覚めると何時の間にか、かきむしっている」 はあ、と吐かれた溜息。俺はどうかしているな、と吐き捨てるように呟く。自分でも自分がわからない。そんな風に頭を抱えていた。 ちう、 「ーっ!」 傷を舐めると血の味がした。 「ハ、ル!」 止めるように肩を押して抵抗してくる。何故か止められなかった。存在を否定された、そして自ら否定した、そんな跡だった。いたたまれなくなって、存在を引き止めるように、跡を消すように傷に口付けた。 「っ、ん」 一縷の吐きだした熱を持った声が、ぞわり、と背中をなぞるように走る快感に変わる。抱きすくめたまま、床に押し倒した。 「っ、ハル」 驚いたように見開かれた瞳。 「一縷、」 傷に口付けるたびに、震える呼吸が伝わってくる。髪を撫でようとした時に、肘がテーブルに当たった。 がんっ、ガシャン! テーブルが揺れた衝撃で置いてあったコップが 一縷の頭の近くで割れた。 「悪い、大丈夫か?」 守るように頭を抱えて抱き起こした。一縷はびくり、と身を強張らせている。 「ん、一縷?」 「ご、めんなさい」 小さな消えそうな声。抱きしめた肩が震えている。 「どーした?」 怪我したか、と顔を覗き込もうと身を離すと、手を振り払われた。逃げるように、壁際の四隅の一角、ベッドと壁の隙間1メートルほどの空間に壁を背にして座り込む。 ただただ、唖然とした。 「い、ちる?」 立ち上がり近づくと、頭を抱え込んで、膝に顔をうずめて震えていた。小さな子供のように。胸が締めつけられて痛いぐらいだ。 押し倒されて、訳もわからず不安でいっぱいの中、側でコップが割れた。以前、母親が物を投げつけてくる。そう言っていた。 今のあいつは、暴力に如何に耐えるか。それだけでいっぱいなんだ。いつものように。 「ごめん、ごめんな」 俺も同じ様に、隙間に座りこむ。頭を抱える手を握った。びくり、と身を引いたが手は離さなかった。 「一縷、ごめんな」 震えている手を握りしめる。お互いの呼吸すら聞こえそうな静かな空間。ただただじっと、何もできずに座り込んでいた。 「ハ、ル」 日が暮れて薄暗い部屋。狭いベッドと壁の間の空間。 「ん、」 どれだけ、2人でじっとしていただろうか。急に握り返された手と、名前を呼ぶ声。顔を上げるとすぐ側に困った顔の一縷。 「取り乱してすまなかった」 そう言って一縷は握った手を離すように引いた。 「一縷、ごめんな」 そっと頬に手を添えた。手は離さずに握ったまま。 どうすればいいか、分からない。と言うように見上げてくる瞳。 「ごめんな、」 腕の中へ引き寄せた。制服が擦れる音がやけに響く。ただただ、ごめんを繰り返していた。 その時、首にぎゅ、と腕が回された。 「いち、」 そしてそっとふれるように唇を塞がれた。おでこが触れ合うような距離で目が合う。 「カレーを食べ損ねた」 笑うように目だけ細めて身を離す一縷。 「あ、おう」 一瞬の出来事に頭が真っ白だ。 「もう帰らなくては、」 時計は7時を指していた。確か菓子パンがあったはずだ。痛み止めと一緒に渡そうと台所に立つ。一気に動悸がしてきた。ぱたぱた、と手で扇ぐ。いや、うん、一縷の方からキスしてくれた訳で。 「ハル」 「ん!?」 振り返ると鞄を持って廊下に立つ姿。 「帰る」 「おう、ほら。パンと痛み止め」 「すまない」 ごそごそと鞄にしまう。 「また明日な。」 「ああ」 ドアを開けると外はもう真っ暗だ。秋風に明日は合服にしようと決めた。 「また、電話する」 「おう」 たんたん、と階段を降りていく乾いた音。玄関先の通路から街灯に照らされ、歩く一縷を眺めていた。 「…好きだ」 そう小さく呟いて恥ずかしくなる。 好きだ、好きだ。 夜風に変わる風は、寒いくらいだ。火照った顔を冷やすためにも手摺りに肘をついて、ぼんやりと夜空を見上げていた。

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