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1 明砂(Jul.18th at 9:08)
狭く、世界から遮断されたようなカプセルの中で、少年は目を閉じた。
「高峰 明砂 、2045年7月12日生まれ。17歳。インプランタブル・デバイスを確認。接続を開始します。」
カプセル内に女性の無機質な音声が流れ、少年、明砂は少しだけ身を固くした。
明砂が生まれる6年ほど前に、全国規模でインプラント管理法が設立され、その年に出生した全ての子供達は、両角膜内にデバイスを埋め込まれる事となった。
それは通信手段、GPS、拡張現実 機能に特化したもので、便利ではあるが、国に個人情報の一部を管理されているという代物だった。
その明砂のインプランタブル・デバイスが、昨日、タンパク質の異常を検知したと言って、アラートを鳴らした。健康管理用のアプリケーションが作動したのだ。
それにより、今日、病院で検査を受ける事になったのだった。
17歳の誕生日を迎えて間もない頃だった為に、心機一転からの暗転と明砂には感じられた。
この若さで病と生きていくなど、考えたくもない。
精神麻酔が導入されると、緊張感が保てなくなり、明砂は微睡みに飲まれていった。
意識があるような、ないような、不可思議な感覚の明砂の中に、大量の医療用ナノマシンが投入されていく。
それを感知しないままに、やがて明砂は完全な眠りへと落ちた。
検査開始から1時間ほどが経過した。
無機質な女性の声が、明砂の耳元で聞こえる。
「検査終了、ナノマシンを排出しました。」
明砂は目を覚まし、現実に引き戻された。
医療ドームと呼ばれている、白いカプセル様の蓋が、左右に分かれて下へ沈んでいった。
視界が開けた明砂は、体を起こす。くせっ毛のふわふわヘアを、両手で撫でつけて整えた。
そこへ、スーツを着た、30代前半といった印象の男性が入って来た。彼が担当の医師だ。
「お疲れ様。結果は全て正常の範囲だったよ。」
笑顔でそう言われ、明砂は肩透かしを食らった感を味わった。
「え?そうなんですか?…アプリの誤作動…だったんでしょうか?」
「滅多にない事なんだけどね。成長ホルモンの分泌に、過剰反応でもしたのかな…。異常タンパク質の蓄積も見られなかったし、何も心配はいらないと思うよ。」
明砂は頷き、安心した処で、気にしていた事を問う。
「あの、…性別に変化はなかったですよね?」
思い切って訊いた様子の明砂に、医師は何故か、少しだけ顔を紅潮させた。
「ちゃんと男の子だったけど?…あ、いや、あっちの方か!…変化はなかったけど、今時、珍しいね。君は性別に拘りがあるの?」
「僕の父と兄が特殊なので…。」
「ああ、そうだったんだ。…あれは完璧に遺伝するものじゃないからね。それに君の年齢からの変化は、あまり聞かないかな。」
「そう…ですよね。」
気落ちしたのを顔に出さないように、明砂は微笑んだ。
「…着替えたら、そのまま帰っていいからね。」
医師が部屋を出て、明砂は狭い個室に、また一人になった。
――思ったより、早く終わっちゃったな…。
検査用の水色の病衣から、高校の夏服に着替えると、明砂は窓の外に目をやった。
AR機能で気温を確認するまでもなく、外は蒸し暑そうだ。
学校に休むと連絡をしていた明砂だったが、少し迷った末、今から登校する事を選んだ。
検査室を出たタイミングで、デバイスが明砂に着信を告げた。彼の父親からだった。
病院から通知が届いたからなのだろう。
――メールとかでいいのに…。
そう思いながら、明砂は左の耳の後ろを軽く叩いて応答する。
「明砂、大丈夫だったか?」
心配そうな父の声に、明砂は思わず吹き出してしまう。
「通知、見たんでしょ?何も異常はなかったよ。…これから登校するつもり。」
「そうか。声を聞いて安心したよ。…それじゃ、気をつけてな。」
明砂は通信を終了すると、細い廊下を歩き出した。開けた場所まで来ると、その中央にある下りのエスカレーターに足を運ぶ。それに乗り、受付けに立ち寄る事もなく、病院の地下まで降りた。
ショップが立ち並ぶ、小さな地下街といった雰囲気のそこを通過して、目指した出入口から外へ出ると、そこは地下鉄の駅だった。
平日の10時過ぎという、人も疎らなプラットフォームには、明砂以外、高校生は見当たらない。
1分も待たずに地下鉄に乗り込むと、二駅目で降りた。そこは明砂の通う高校に直通の駅だった。
地下開発が進み、地下都市が確立している為、地上へは出ないまま移動できるのだ。
全ての場所に行けるわけではないが、地上に出ないまま生活する人々も、都会では多く存在している。
駅の階段を上がると、そこは高校のセキュリティ・ゲートで、そこの生徒である明砂は、なんのアクションも起こさないまま、ゲートを通過した。
明砂は玄関で上履きに履き替えて、静かな廊下を進み、自身の教室へと向かった。3階まで階段を上がった処で、今が2時間目の授業の途中だと気付き、そこで足を止めた。
「高峰!」
不意に背後から声を掛けられて、振り向くと、担任教師が階段を上がって来た。
「ついさっき、…お前が登校したって通知が来て、…確認に来たんだ。…今日は休みじゃなかったか?」
40代半ばの男性教師は、少しだけ息を切らせた状態で訊いた。
「思ったより、病院の検査が早く済んで…。登校しちゃいました。」
「そうか、問題なかったんだな?」
「はい、大丈夫でした。」
「それは良かった。…今、授業中だが、教室、一人で入れるか?」
息を整えた教師は、急に保護者のような顔になる。
「え…?ああ、授業が終わるのを、廊下で待ちます。」
明砂は時折、大人の、特に男性に優しく構われる事がある。
父や兄にも溺愛されて育った為、明砂は漠然とだが、そんな魅力が自分にはあるのかも知れないと、少しだけ自覚している。ただ、子ども扱いされるのは、あまり好きではなかった。
「あと20分近くあるじゃないか。良かったら、地学の準備室に来なさい。今は先生しかいないから、気兼ねはいらないぞ。」
「…じゃあ、行きます。」
明砂が承諾すると、担任教師は嬉しそうに彼を先導した。
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