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第2話 娼楼の外で・5

 急いで部屋に戻った俺が二人に経緯を説明すると、 「いやぁっ、田崎の旦那様が来てくれたんだ! しかも彰星と一緒に? よく分かんないけど嬉しいなぁ!」  はち切れんばかりの笑顔で雷童さんが立ち上がり、早速身支度を始めた。鏡台に向かって化粧水を浴びるように塗っているその横顔は、恋焦がれた男に会う前の女学生のようだ。 「凄い久し振りで緊張するなぁ。旦那様ってば俺のこと忘れちゃったのかと思った」  浮かれる雷童さんから視線を移動させ、俺はこっそりと風雅さんに訪ねた。 「『旦那様』じゃなくて、お義父さんは『大旦那様』って言ってましたよ。雷童さん間違えてるんですかね?」 「いや。ここでは自分の世話をしてくれる太客は全部『旦那』と呼ぶんだ。そう呼べるのは本人から見初められた男遊だけだから、お前は『大旦那』って呼ばなきゃ駄目だぞ」 「き、聞いておいて良かったです。間違えないようにしないと……」  それと、と風雅さんがニヤついた笑顔で俺に言った。 「お前も支度しねえとなぁ。俺様のよそ行きじゃ丈が合わねえし……そうだ、同じお付き仲間の水連(すいれん)からキモノを借りるといいぞ。あいつ洒落たモン色々持ってるから、変わり者の大旦那の趣味に合うかもしれねえ」 「あ、でも雷童さんの支度のお手伝いは、俺がしなきゃ……」 「大旦那を待たせる訳にいかねえだろ。今日は特別、部屋に案内してやるから付いてこい」 「……分かりました!」  風雅さんに付いて行き寿輪楼の一階・北側の廊下を進む。彼岸花が描かれた襖を風雅さんが開けると、中に充満していた桃の香りがどっと廊下に溢れてきた。 「うわっ、何ですかこの匂い……甘いけど、くどいっ……」 「水連が付いてる銀月(ぎんづき)っていう男遊は阿呆だから、桃の香水を部屋に撒いときゃ自分の体臭も桃の香りになると思ってるんだ。──おい、銀月。水連のキモノを彰星に貸してやってくれ」 「……誰が阿呆だって? 相変わらず口が悪いお方だ、風雅兄さんは」  その桃園の中央で寝そべっていた銀月という男遊が、顔をあげてこちらを見た。剥き出しの肩は艶々と光り、それこそ桃の色をした唇には煙管が咥えられている。その傍らで派手な柄の灰吹きを持った少年が、煙と香水の匂いに顔を顰めている。チビな俺と同じくらいの背格好だ。恐らくは彼が、風雅さんの言う「水連」だろう。 「彰星。昨日来た子だね。どうして水連のキモノが必要なんだい」 「田崎の大旦那が雷童と一緒に彰星を揚げたんだ。予定外のことだからキモノの準備もなくてな」 「……ふうん。そりゃまた田舎者が大層な太客を掴んだもんだ。雷童兄さんはお許しになったのかい」 「枕を交わす訳じゃねえから、許すも何もねえだろうよ。できれば髪の色に合うような紅色が入ったキモノがいい。和風でも洋風でも構わねえが、雷童の|更紗《さらさ》より目立たないものにしてくれ」  俺の代わりにてきぱきと要望を伝えてくれる風雅さん。それをつまらなそうに見ていた銀月さんの目が、灰吹きを持った水連に向けられた。 「だってよ、水連。風雅兄さんに一つ貸しということで、用意してやりな」 「はい、銀月兄様」  その場で着ているものを脱ぐよう言われ、俺は下着姿の状態から一枚ずつ水連に借りたキモノを身に着けて行った。 「シャツの下にはこれを着るんだ。乳首が透けると恥ずかしいだろう」  それは想像していたような和風のキモノではなく、白いシャツに紅いネクタイという洋風のキモノだった。膝丈のズボンもネクタイと同じ紅色だ。柄も同じで、何本もの直線が交差したものになっている。 「ぎんがむチェックという柄だ。可愛いだろう」  そう言って銀月さんが手招きし、自分の鏡台の前に俺を座らせた。 「お出かけなら、頭もどうにかしないとな。子供の頃は『髪結い』を目指していたこの銀月が、直々に彰星の髪を手入れしてやる」 「あ、ありがとうございます……」 「礼なんていいんだよ。お代は風雅兄さんに付けておくからね」  心地好い櫛の感触を頭皮に感じながら、俺は鏡に映る自分を見た。上等なキモノを着ただけで別人のようだ。自分と銀月さんの後ろに立った風雅さんは、腕組みをして「この守銭奴が」と舌打ちしている。

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