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第3話 初見世・3

 その夜。少し早い時間だが、お義父さんから「柳来(ゆうらい)の旦那が来た」と告げられて、風雅さんが支度に入った。柳来とは、例の飴屋の主人の苗字だ。俺はいそいそと風雅さんのキモノを脱がせ、柳来の旦那が好きだという百合の香りを染み込ませた柔らかい手拭いで彼の体を拭いた。 「弥代てまりのお礼を言っておいて下さいね、風雅さん」 「ああ。ついでにてまりは諸事情で全部俺様が頂いたことも伝えておこう」 「そ、その詳しい諸事情は言わないで下さいねっ!」  からからと笑う風雅さん。彼の均整の取れた肉体は男らしく美しい。俺もこんな風になりたいけれど、それには一体何が必要なのだろう。 「俺は野良仕事で足腰と腕の筋肉はついてるはずなんですけど、栄養が足りてないからなぁ……」 「そのうち良い客がつく。そしたら贅沢三昧で栄養がある物を食いまくれよ。今のお前はどれだけ食っても足りねえくらいだからな」  雷童さんや風雅さんのように、俺にも旦那様が現れるだろうか。  全てを把握している訳じゃないけれど、この遊廓で生きる全ての男遊・お女郎さんに旦那様いる訳じゃない。そういう人達はとにかく客の数をこなして稼がなければならないのだ。旦那様におねだりして買い物を楽しんだり、贅沢な食事を口にすることはできない。  見初められるは時の運。器量や(ねや)での技も大事だけれど、何を気に入るか分からない気まぐれな旦那様達の目に留まるか留まらないか、そんな運が必要なのだ。 「髪を整えますので、座って下さい」 「ああ、頼む」  風雅さんの氷色の髪を軽く手櫛で整え、やはり仄かに百合の香りがするオイルを少しずつ揉み込んで行く。ベタつきがなくどんな髪にも馴染みやすいこの高級オイルは、寿輪楼では風雅兄さんだけが使っている特注品だ。 「本当に綺麗な髪です……うっとりします」 「客からもよく髪を褒められるぜ。ガキの頃は色が珍しいせいでよくからかわれてたけどな」  撫でる度に細かな雪の結晶が舞っているかのようだ。触った感じも柔らかくてサラサラで、……サラサラで……。 「お、おい彰星。てめぇ、人の髪触りながら鼻息荒くさせてんじゃねえぞ!」 「ごご、ごめんなさっ……」 「もういい。さっさとキモノを着せてくれ」  慌てて隣の衣装部屋へ続く襖を開け、かけてあった風雅さんの藍色のキモノ「宵闇の雫」を慎重に下ろした。綺麗な藍色──髪の色によく似合う。  広げた風雅さんの腕に袖を通し、少しだけ胸元が開くように前を合わせる。華やかさが売りの雷童さんと違って、風雅さんは美しい中にも男らしさが強調されたものを好む。だから髪飾りは付けないし、帯も派手なものは使わない。  廊下を進む風雅さんの二歩後ろを歩きながら、俺は思わず呟いた。 「後ろ姿もカッコいいなぁ、風雅さん……」 「ふふ。もっと見惚れろ」

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