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第7話 風雅の心・5
「結局その武次っていう人、揚がらなかったんだってね?」
翌朝になって皆で朝飯を食べている間も、話題は昨日現れた風雅さんの幼馴染のことで持ち切りだった。他人の恋愛話が好きな雷童さんなどは目を輝かせて食いついている。
「格子越しに見てるだけなんて、切ないねえ」
「うるせえよ雷童。黙って食ってろ」
当然風雅さんは気分が悪いらしく、何を訊かれても答えようとはしない。
「揚げ代も払えねえくせに遠巻きに見つめて、惨めったらしいったらありゃしねえ。言いたいことがあるなら金貯めて直接言いに来いってんだよ」
「ひゃあ、怖い。風雅兄さん、根っからの『さでぃすと』ですなぁ」
銀月さんが笑いながら煽り、風雅さんの顔がますます険しくなってしまった。
「でもその武次さんて、風雅のこと好きなんじゃない? もしかして弥代に来る前、将来を誓い合った仲だったりして」
「ら、雷童さん。もうやめましょうよ、風雅さんが噴火します」
慌てて雷童さんを止めに入ると、俺の隣でむくれながら食べていた風雅さんの箸が止まった。じっと茶碗を見つめる目は怒っている風ではなく、どこか寂し気だ。
「……俺のことなんか好きじゃねえよ、別に」
「そうかな? 好きじゃなきゃこんな場所まで来ないと思うけど? 男遊になった風雅を冷やかしに来た感じでもなさそうだし」
「………」
まだ食べ終わらないうちに風雅さんが立ち上がり、食堂を出て行ってしまった。
武次さんの気持ちは俺には分からないけれど、……風雅さんはもしかしたら武次さんのことが好きだったのかもしれない。
だって、
──弥代遊廓一の男優娼楼、寿輪楼の風雅だ。
本当に会いたくない相手だったら、わざわざ自分の居場所なんか言わないはずだ。
張見世が行なわれる夕刻六時より二時間前、慌てた様子でお義父さんが皆を玄関に集めた。
「今日は張見世はやらねェ」
「え? 何でですか?」
雷童さんの言葉に、「なぜならば」とお義父さんの顔が真っ赤っかになる。相当興奮しているらしい。
「『ゆうらい』の旦那が、何とここにいるお前達全員を総揚げして下さった! 下働きの女中からウチの男衆全員にも花代(※ご祝儀)弾んでくれたぞ! いいかっ、気合入れて支度をしろ!」
おおお、と男遊達が色めき立った。風雅さんだけは浮かない顔をしている。
お義父さんが風雅さんの前で両手を合わせ、観音様を拝むように言った。
「風雅、お前は本当によくやってくれているよ。総揚げ・総花なんて他でも滅多にねェことだ。寿輪楼が回っているのはお前のお陰だ。本当にありがとうなァ」
「……どうせ明日雷童の客が同じことしたら、今の台詞を雷童にも言うんだろ」
「そりゃあ、この一条矢多丸、弥代一の守銭奴と言われても構わねェ心積もりで日々生きてんだ」
フンと鼻で嗤って、風雅さんが自分の部屋へと戻って行った。
──総揚げとなったら、俺も自信はないけど踊らなきゃ。
「彰星さん。早めに支度をしますから、空いた時間で少しでも練習なさいます?」
「わ、ありがとう淡雪。頼むよ」
「彰星、俺と一郎太も付き合うよ。自信ないとこは教えてあげる」
「あああ、ありがとうございます雷童さん、一郎太さん……!」
早速俺も部屋に行き、支度を整え六時までじっくり先輩達に踊りを見てもらった。
「寿輪楼の風雅の客が、今夜は総揚げ・総花だって」
「流石だなぁ。いくら馴染みのためとはいえ、この不景気にとてもそんな真似できないぞ」
道行く人の声が二階にまで聞こえてきて、何だか俺も少し鼻が高かった。
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