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第9話 天凱の気持ち

 すっきりと晴れた五月下旬の、空の下。  今日は廓内にある恋路園(こいじえん)と呼ばれる広い散歩道を天凱さんと一緒に歩いていた。  弥代遊郭は大きい。まるで一つの町のようで、知らない場所が沢山ある。この恋路園もその一つだ。敷地内には大きな池とボート小屋もあり、季節の花が綺麗なので花見の時期は廓の外からも観光客が来るのだとか。 「桜は散ったが、ヤマボウシやテッセンが綺麗だろう」 「すごい。どこまでも花が広がっています!」 「彰星は美味いモンと綺麗なモンが好きだから、この景色もいつか見せようと思ってた」  ヤマボウシ。まるで青々とした木の葉っぱに雪が積もっているようだ。  花に蝶々、池に鯉。世界にはこんなにも綺麗な物が存在している。田圃と山しかなかった故郷や、寿輪楼の窓から見える夜の景色とは全く違う、明るく生命力に満ちた世界。  俺は目の前に広がる花々に溜息をついて、天凱さんの腕に手を絡めた。 「ありがとうございます。俺は本当に恵まれています」 「外の世界というものを、娼楼の窓から見える景色しか知らずに一生を終えてしまう者も大勢いる。なるべくお前には色々な物を見てもらいたくてな」  こうして昼間の時間に俺を連れ出すのにも、天凱さんは寿輪楼にお金を払っている。  そして明るい陽の下で旦那さんと歩いていても、俺は「男遊であること」を隠すことはできない。キモノ一つで一般の人とは区別されているからだ。娼楼の者という証である前結びの帯をこっそり後ろに回そうものなら、それを見た全く関係ない娼楼の男衆からお義父さんに告げ口される。遊廓とは規模は大きくても狭い世界で横の繋がりが強く、見世から逃げ出した者を別の娼楼の男衆が捕まえることも多い。  俺達は遊廓そのものから監視されているのだ。一つしかない弥代遊廓の入口──大門の外側には、自分の意思では絶対に出ることはできない。  それでも俺は自分はツイているという言葉を信じていた。大店の寿輪楼に売られて、兄さん達にも恵まれ、天凱さんという旦那さんにも会えた。最果にいた頃よりもずっと良い暮らしをしている。ご飯も食べられている。  男遊になって幸せだとは思わないが、自由を得るため廓から逃げ出そうとも思わない。年季明けまで淡々と自分の仕事をしよう──それだけだ。  そう思えるのはやはり、天凱さんや兄さん達のお陰だった。 「彰星。ボートに乗ってみるか」 「はいっ!」  大きな池をぐるりと一周できるボートの上なら、外でも天凱さんと二人きりになれる。その思い出だけで今夜の見世も頑張れそうだ。 「あ」 「どうしたんです?」  ふいに声を発した天凱さんの顔を見上げると、その大きな目はボート小屋の方へ向けられていた。楽しそうにボートに乗っている子供達や、順番を待ってお喋りしている恋人達。その中で一際目立つ背の高い男の人が、俺達に向けて手を振っていた。スーツ姿で身なりの良い男性だ。 「お知り合いですか?」 「……ちょっとな」  少し気まずそうにしている天凱さんに、俺も何か嫌な予感がした。こちらは立ち止まっているが男性の方はにこにこと笑いながら俺達の方へ近付いて来ている。 「天凱。久し振りだなあ!」 「勇蔵(ゆうぞう)……」  親しげに天凱さんの肩を叩く勇蔵と呼ばれた男性は、天凱さんに負けないくらいに整った顔立ちをしていた。背の高さも自信ありげな笑みも似ていて、まるで兄弟のようだ。

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