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第10話 しあわせ・5

 * 「……一ノ瀬の若から話は聞いたぞ、彰星。また随分と気が遠くなるほど先の約束事だなァ」  翌朝になってお義父さんの部屋に呼ばれた俺は、少しだけ照れながら頷いた。 「まあ筋の通った男だし、金もあるし、信用もできる。しかし若が店を継いでからの身請けとなると、……俺の予想だとあと五、六年ってとこか。その時のお前にどれほどの借金が残っているかは分からねェが、全部肩代わりしてくれるなら俺は何も言わんよ」  俺の(ぎょく)代(※揚げ代)や借金が書かれている玉帳を捲りながら、お義父さんが煙草を咥える。 「お前が真面目に働いて将来的に若の所に行きてェって言うなら、俺はその気持ちを尊重する。この先もしも別の男がお前を身請けしたいと申し出ても、俺の方から断ってやるさ」 「ありがとうございます……。あ、あとお義父さん。一つ聞きたいことが……」 「何だ?」  俺は少しだけ迷ってから、天凱さんが弥代に来た時のことを聞いてみた。 「ああ。……当時のことは俺もガキだったから知らねェが、後で聞いた話だと若は売買宿でもかなりの高値が付いていたそうだ。もちろん男遊としての値段だぞ」  ……やっぱり、天凱さんも娼楼に売られるところだったんだ。 「これから売られるってのに、怯える子供らの中で若だけは真っ直ぐに立って堂々と前だけを見据えていた。その目に惚れた一ノ瀬の旦那が、彼を養子に迎えたって訳さ。本当は適当な子供を奉公に来させようとしていたらしいが、高い買い物をしちまったってことだな」 「でも天凱さんなら、高いお金を出した甲斐がありますね?」 「ふふ。今の俺が当時の競りに参加してたら、倍の値段で買ってやってたんだがなァ」 「……よ、良かったです。お義父さんがそこにいなくて……」  本気で安堵する俺を見て、お義父さんが扇子を振りながら笑う。  だけど少ししてふいに、お義父さんの目がスッと鋭くなった。 「お前もそうだぞ、彰星。あの日俺がお前を買ったのは、他の子らとは違う目をしていたからだ。怯えもせず楽観視もせず、売られると分かっていて運命を受け入れていた」 「お、俺は……売られても、何をするかまでは分かっていなかったし……」 「純粋なそのデカい目に惚れ込んだってことだよ。まあ多少手はかかったが、お前をウチに迎えることができて良かったと思う。兄さんらもお前を可愛がってくれてるだろ。お前の素直さと単純さは天然記念物モノだが、そんな男遊がいたっていいじゃないか、なァ?」 「……お義父さんは、好きな人いないんですか?」 「なっ、何で急にそんな話になる! ……お前、人の話を聞けってよく言われるだろ」  お義父さんには怒られたが、娼楼の楼主という仕事をしている人が一体どんな人を好きになるのか、俺には気になって仕方がなかった。他の見世の楼主さんは結婚して夫婦で働いている人が多いと聞いたことがあるけれど、お義父さんは独身だし恋人がいる気配もないのだ。 「お義父さんて何歳なんですか?」 「……三十五だ」 「それって、若いんですか?」 「失礼な奴だな。他の娼楼じゃジジイの楼主ばかりなんだぞ。それに一ノ瀬の若だって来年で三十になる。お前から見たら俺達はオッサンかもしれねェが……」 「天凱さんは『お兄さん』ですよっ」 「じゃあ俺は何なんじゃい」  結局、畳んだ扇子で頭をポコンとされてしまった。  畳に手を付き、改めてお義父さんに「約束」をする。 「もう問題は起こしません。我慢することを覚えて、読み書きと踊りの稽古も頑張ります。……俺が天凱さんの元へ行くまで、どうかよろしくお願い致します」 「ん。期待してるぞ彰星。……『頑張る』の中に『仕事』が入ってねェのは気になる所だがな」 「へへ……」  笑って誤魔化す俺の頭を、お義父さんがもう一度扇子でポコンとやってきた。

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