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第11話 思いがけない1日・3

 六月六日、午前八時――寿輪楼内はちょっとした戦場になっていた。 「ちょっと! 俺の金色の(かんざし)知らないっ? 大旦那様に買ってもらったやつ!」 「おおい、誰か手が空いてる奴、着付けを手伝ってくれ!」 「屋台の方にはもう何人か行ってるのかっ?」 「俺様の下着がねえ! ここに干してたやつ誰か持って行きやがったな!」 「俺の簪知らないかって聞いてるんだってば!」 「知るもんか!」  おばさんやお付きの子達が忙しなく廊下を走る中で、楼内のあちこちから兄さん達と男衆の声が聞こえてくる。皆慌てて準備しているのだろう、殆どが怒鳴り声だった。 「雷童兄さん、簪ありました! 昨日のお布団に挟まってましたよ!」 「あああ、春和歌ありがとう~!」  弥代遊廓のあじさい祭り、当日。  楽しみにしていたのは皆同じだけど、昨日も零時過ぎまで見世はやっていたから皆くたくたで早起きできず、こうしてぎりぎりになって慌てているのだ。 「手の空いてる男衆は漸治の所に行ってやれ!」  屋台を出せるのは大店の娼楼である証。  大店の娼楼が集まるとなれば、綺麗な男遊やお女郎が集まるということ。  綺麗な人が集まればお客さんの目も引き印象に残り、後日、娼楼の売上に繋がる。  これは楽しい祭りだが、楼主達にとってはある種の戦いでもあるのだった。 「彰星さんっ!」 「はいっ!」  喧噪に茫然としていたら突然右から名前を呼ばれ、顔を向けるとそこには俺のキモノを抱えた淡雪が立っていた。 「何をぼんやりしてるんですかっ。早く準備しないと兄さん達と一緒に出られませんよ!」 「ご、ごめん……! すぐ着替えるよ!」  昨日の夜に天凱さんがくれた真新しいキモノ。少し濃い目の赤地に薄桃色のキキョウが咲いた、俺にしては少し派手だけど美しいキモノだ。 「髪はどうします。時間がないので、そのくるくるのままでいいですかっ? いいですねっ?」 「淡雪落ち着いてよ。髪は自分で何とかするから……」  そうして大急ぎで支度を終えた俺は何とか、雷童さん、風雅さんと一緒に寿輪楼を出ることができたのだった。 「お祭り初めてです。すっごく楽しみです!」 「皆で参加できるのが嬉しいよね。普段の俺達って歩いてるだけでヒソヒソ話されることもあるけど、祭りの時だけは若い子達から憧れの目で見てもらえる。派手なキモノもこういう時は役に立つんだよね!」 「雷童さん、キモノより頭が凄いです。盛り盛りしてますね」  ひまわり色の髪に盛られたイチゴや蝶々や花がとてつもなく重そうだ。キモノも多分寿輪楼で一番派手だし、お義父さんからは「下品だからなるべくするな」と言われていた「肩出し」もしている。 「派手に着飾るのは本体に自信がねえからだ。見ろ、俺様なんか落ち着いたモンだろ」  そう言う風雅さんは確かにいつもの藍色のキリッとしたキモノで決めている。勿論それは、柳来さんにねだっていた新しいキモノだ。 「風雅はせっかく綺麗な髪の色してるのに、弄らな過ぎだよ。俺に任せてくれれば可愛く盛ってあげたのに」 「い、要らねえっての!」  三人並んで歩く俺達の後ろでは、お付きの子達もはしゃいでいた。 「春和歌は雷童兄さんの小型版だな。物凄い派手だ」 「へへ、ちょっと僕も恥ずかしいんだけどね。鈴鞠と淡雪はカッコ良いキモノでいいなぁ」 「俺は彰星兄さんとお揃いのキキョウだけど、色が落ち着いてるから大人っぽいだろ」  他の兄さん達も支度が済み次第出てくることになっている。場所はつい先日天凱さんと行った恋路園だ。敷地も広いし遊廓の中央にあるから、色々な人に来てもらえる。  ──天凱さんにも会えるかな。  少しだけわくわくしながら、俺はカラコロと下駄を鳴らしていた。

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