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早春賦
「ーー君は」
空だけは青く澄み渡った春のある日、その陽気には全く相応しくない男は突如目の前に現れた。最後に会った日の彼はそれこそ春の日の様で、ともすれば人知れず咲き、人知れず散っていく桜のような空気を纏う男だった。まっさらな、似合わない軍服を揶揄い送り出したこの街の駅も、ちょうど一年ほど前に焼け落ちていた。
軍から支給されたと思しき大きなリュックサックを背負い、履き古し、靴底などとうに擦り切れた軍靴で焼け跡に立った彼の戦死公報を受け取ったのは昨年の夏の前だ。どういう手違いだろうな、笑い掛けようとする私に微笑んだ彼の笑みの色は見た事が無い色をしていた。
彼は本当に彼なのか。
出征前に被っていた軍帽と共に、陽だまりのような彼の空気は失われていた。うっとおしげに伸びた前髪の向こう、一縷の希望も覗かせない、代わりに昏く淀んだ目をした彼は焼け跡の故郷を見渡し、漸く彼は私を見た。
「……ただいま」
その冷えた瞳の色に、私は寒気すら覚えた。ただいまと向けられる声は確かに自分の知っている、待ち侘びていたはずのものだというのに。やっと巡り会えたような、春の日差しの、下だというのに。
「ーー君は、何を見てきたんだ」
彼のその全てに、寒気すら覚える。そんな私の意を察したように、彼は私の知らない笑みで、口元を歪めた。
「……こことは、真逆の場所」
優しげな風が吹く。埃が舞う。微かな緑が、匂い立つ。
「ーーこの世の、地獄」
風が吹く。時間を進めようとする街に、時間を止めた、彼と私に。
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