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第1話

 瀬田英二(せたえいじ)、32歳。武本製薬の花形MR、営業成績NO1、結婚したい男NO1。  社内のOL達が自分の事をそう呼んでいる事位知っている。 ―――しかし、その瀬田英二の実態はそんなに良い物ではない。  ネオンの輝く時間、銀座の並木通り7丁目にあるとある高級クラブで。 「この色男は俺の言う事なら何でも聞くんだよ」 「ええー、そんなの嘘ぉ」 「本当だって、なあ瀬田君」 「ええ、先生がうちの新薬を使って下さるのなら何でもいたします」  半信半疑と言った顔のホステス達を一瞥した後、その醜い牛蛙の様な中年オヤジはへどろの様な色の濁った瞳を細めて笑う。 「ほら、いつものあれをやってみなさい」 「畏まりました」  その場に跪き男の靴を持つと、ホステス達は「きゃあ!」と小さな悲鳴を上げた。 「先生、本日はこちらにお顔を出して下さってありがとうございます。お靴の土埃はどうか私に綺麗にさせて下さい」 「うむ、しっかり綺麗にするんだぞ」  ゴム臭い靴底は土の味がした。 (こんなんで契約が取れるんなら安いもんだ)  この牛蛙は典型的な喪男タイプだ。  学生時代女に全くモテなかった醜男が、必死に勉強し医者になった。医者になった瞬間、今まで自分に見向きもしなかった美女達に言い寄られる様になり、今まで自分に冷たかった人間達にも、先生先生持ち上げられて崇められる様になった。そんな今の自分の待遇や環境を楽しみながらも、全世界に悪意を吐き散らかしている。  彼が一番憎んでいるのは自分の地位と金で寄って来る女達だ。――いや、俺の様に顔が良く、楽しい青春時代を過ごして来たと簡単に想像できる同性かもしれない。  金では女の肉体は買えても心までは買えない。  そして今、どんなに美女たちにちやほやされようとも、彼の青春時代はもう二度と帰って来ないし、やり直す事も出来ない。 「綺麗に、なりました。これで宜しいでしょうか?」 「いいや、足りない。実は先程犬の糞を踏んでしまってね。こちらの靴も舐めてはくれないか?」  医者が足を組み直すと、確かに彼の左の靴裏からは異臭がした。  俺の本気を試す様にニタニタ嘲笑う医者の暗い瞳は、今夜も変わらずいやらしい色だ。 (俺に舐めさせる為にこのお高い靴で犬の糞を踏んで来たってか。ご苦労なこった)  ひっとホステス達が息を飲むと、彼の目は子供の様に爛々と輝き出す。 (まあ、いいでしょう。ここではあんたが王様で俺のご主人様だ) ―――男の世界は、多分、女が想像しているよりもずっときつい。  

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