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第2話
「あー気持ち悪…」
トイレで喉に指を突っ込んで吐いた後、顔を洗う。
鏡に映った自分の顏は酷い顏だった。
「瀬田さん、大丈夫ですか?」
「君は…」
声をかけられて振り返ると、トイレの扉口にはこの店の黒服 の青年が佇んでいた。名前は颯太だったか。確かまだ十代だったはずだ。高校を中退した後、店長に拾われてこの店で働いていると聞いた。
まだ若いと言うのに、こんな所――綺麗な嘘とネオンのライトで虚飾された、男と女の欲望渦巻く坩堝で働くしかないなんて難儀なもんだ。
颯太君は少し怒ったような顔付きになると、手に持ったおしぼりで俺の顔を拭く。
「颯太です、いい加減覚えて下さい」
「ちゃんと覚えてるよ」
「じゃあ俺の苗字を言えますか?」
「…………。」
「ほら」
颯太君は長身の割に童顔な青年だった。
正直青年ではなく、少年と呼んだ方がしっくりくる。
その大きな瞳は、見せかけだけが美しいこの街には相応しくない程純粋無垢で、妙にキラキラしている。
(こんな薄汚い夜の街には似合わないな)
胃の中の物は全て吐き出したつもりだったが、まだアルコールが残っているのかもしれない。
―――何故なら俺は、今、むくれ顏で自分の顔を拭く颯太君の事を「綺麗だ」なんて思ってしまったのだから。
(颯太君がもう少し小さかったら、うちのサイドボードに飾りたかったな。……って、何を考えているんだ)
俺は意外に厚い彼の胸板を押しのけると、もう一度蛇口を捻って水を出した。
頭の熱を冷ます意味も兼ねて再度顔を洗いながら、彼の情報を思い出せるだけ思い出す。
確か…そうだ。店長が彼の実家は家庭環境があまり良ろしくないと話していた。もっと良い環境で生まれ育てば、今頃大学にでも行って可愛い彼女でも作っていただろうに。
「こんな阿漕な商売、いつまで続けるんですか?」
「まさか夜の街の住人である君にそんな事を言われるとは思わなかったよ」
頭を冷やし終り、自分のハンカチで顔を拭こうとポケットを漁る腕を颯太君に掴まれる。
新しいおしぼりで俺の顔を拭きながら彼は声を荒げた。
「かもしれませんけど!でも、こんな事いつまでもやっていたら体を壊しちゃいますよ!」
まあ、長生きは出来ないだろう。
しかし俺は幼い時分に両親を亡くしている。俺を育ててくれた祖父も既に亡くなっている。今更俺が死んだ所で悲しむ人間もいない。
「瀬田さん、俺と結婚しましょうよ」
「は?」
「そりゃ給料は瀬田さんよりも少ないでしょうけど、……俺、絶対に瀬田さんの事幸せにしますから!」
(この坊やは、一体何を言っているんだ…?)
思わず絶句してしまった。
「あまり大人をからかうものじゃない」
「俺は本気です!」
「本気って、……一体俺のどこに惚れたって言うんだよ。俺がこの店で毎晩お医者様達の”ご機嫌取り”をしている姿は君も見ているだろう?」
正直な話をしてしまうと俺は男にもモテる。
男色趣味の医者相手に体を使った接待だって数えきれない程してきた。
この店の個室で先生方の一物をしゃぶってやった事だってある。
颯太君はそんな俺の無様な醜態を誰よりも見ているのだ。―――だからこそ分からない。
戸惑う俺を真摯な目で見つめながら彼は言う。
「俺にはこれといった夢や目標もありません。……でも、いいえ、だからこそ!何をしてでも武本のNO1をキープしようとしている瀬田さんに男気を感じたんです!瀬田さんは俺の憧れなんです!!」
俺はまたしても絶句してまった。
「……もしかして、溜まってる?」
「はい?」
「ああ分かった、やっぱり君溜まってるんだろ?」
俺の言葉に颯太君呆けた顔となった。
この子はまだ若い。純粋に溜まっているんだろう。
若しくはお得意様達の陰茎をしゃぶり、足蹴にされる俺を見て何かしらの歪んだ性癖に目覚めたのか。もしかしたらそれで、今夜もずっと股間を膨らませながら仕事をしていたのかもしれない。――それならば悪い事をした。
「そうだな。颯太君にはお世話になっているし、一晩だけなら付き合ってあげてもいいよ」
「な、何を言って…?」
案の定、ズボンの股間部位を膨らませながら壁際まで後退する健全な青少年の様子に、苦笑を禁じ得ない。
壁に追い詰める様に彼の鼻先まで顔を近付けて一笑する。
「俺もお前も男だろ。セックス前に女にする様な面倒クセぇ駆け引きや言葉遊びなんかいらねぇよ。犯りたいなら犯りたいの一言だけでいいっつーの、気持ち悪いな」
言い捨てた後、何だか煙草が吸いたいと思った。
ヤニ切れだ。
彼から離れて、スーツのポケットを漁っていると――、
「ふざけないでください!俺は本気です!本気で瀬田さんの事を愛しているんです!!」
ドン!
俺の胸倉を掴んで、トイレの壁に叩きつける颯太君の顏は真っ赤だった。
大きな瞳は血走っており、少し涙ぐんでいる。
(本当に馬鹿じゃねぇの。これだからガキは…)
「お前みたいな若造に俺みたいな超一流の男が養える訳ねぇだろ?」
「だ、だから!これから頑張ります!」
「俺が欲しいんなら5億持ってこい」
「5億ですか?」
ギョッとする颯太君に俺は冷淡に告げる。
「俺の生涯年収だ」
「流石瀬田さん…」
「流石じゃねぇよ、俺は自分よりも稼げない男に魅力を感じねぇんだ」
彼の腕を振り払い煙草に火を付ける。
肺を煙で満たし、ふうと白い煙を吐くと、彼はいつになく真面目な顔で言う。
「5億持ってきたら、俺の物に……俺だけの物になってくれるんですか?あの医者達の相手をするのもやめてくれるんですか?」
「いいよ。今の仕事にも飽きて来たし、5億持ってきたら武本退職してやる」
「本当ですね?約束ですよ」
「ああ。来週の金曜日、俺が店に来るまでに5億持って来れたらな」
「わ、分かりました!!」
たった一週間で5億なんて大金、あの頭が軽そうな兄ちゃんに稼げる訳がない。俺はそう思い高を括っていたのだが――、
颯太君は本当に俺の前に5億持ってきた。
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