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第1話 一夜恋
「このまんま、なし崩しに抱いてやってもええんやけどな、それやったら、あんたは後でこれを気の迷いやったとか、流されたんやとか言い訳するやろ」
立て膝ついて、畳に座りながら男は青年を見上げた。
青年が初めて見た時に男に感じたのは「大人の男」の整った格好良さだったが、
その崩れた姿勢で寛ぐ様子は、昼の整然とした姿と違う色気を感じさせ、和服姿で寛ぐ姿が余裕を感じさせた。
青年はめまいを感じた。
「なんで、ここに来たんか、もう自分でわかってるんやろ?」
男は部屋の入り口で立ちすくむ青年に微笑む。
その目だけは笑っていない。
欲望が奥に隠れている。
「僕はな、後腐れなく、とかそういうのは好かんのや。出して気持ちようなるだけなら、一人でしとけと思わんか?」
手招きされて、青年はふらふらと男の元へ行く。
男の目の前でなすすべなく、ただ立ち尽くす。
ただ、男の目から目が離せない。
「倫理とかも好かん。あんなもん野暮や。でもなぁ、何の痛みも覚悟もせんと恋をしようなんての はないことや。例え一夜の恋でもな、ちゃんと火傷はしなあかんのや」
ぼんやりするのは、身体がふわふわするのは、この男のせいだ。
この男が見てるからだ。
その視線が怖いからだ。
「たた、楽しく気持ち良くなんて抱いてやらん。抱いて欲しいんやったら、ちゃんと自分の心に刻むんやな。僕に抱かれたくて、僕が欲しくてここに来たんやと」
男は座ったまま面白そうに青年を見上げた。
「自分で服脱いで、僕にそうお願いするんやな」
男は腕を伸ばし、青年の素足を撫でた。
くるぶしから指先までただ、撫でられただけなのに、青年の身体が震えた。
「期待しとるんか、身体は素直やな。あんたも早よ、素直になり」
男は薄く笑った。
目を離してくれない。
この目に縛られる。
青年の震える指先が、自分のシャツのボタンを外していく。
シャツを脱いだ。
下に来ていたTシャツを脱ぐ。
ズボンと下着も脱ぎ捨てた。
そこが半勃ちになっているのを見られるのが恥ずかしいかった。
そう、期待してここに来た。
来てしまった。
男は見ているだけで何も言わない。
青年は、男の前に座った。
なかなか言い出せず、何度も言いかけては苦しげに息を飲んだ。
でも、言った。言ってしまった。
「俺を抱いて」
懇願した。
もう、逃げられない。
「よう言えたな、おいで」
男は優しく青年を抱き寄せた。
青年はどうすればいいのかもわからないまま、抱きしめられる。
「硬いな、なんやシたこともないんか、女とも」
言われて青年は赤くなる。
青年は20才だが、女性とも交際経験はなかった。
勉強と研究ばかりしてきたのだ。
人と交流することさえしてこなかった。
「・・・そうか、僕は恋もまだわからんようなんはあまり好きやない。相手が初めてなんを喜ぶようなヤツは野暮や。でも、あんたは火傷する覚悟見せてここまで来たんや、教えたろ・・・」
男は青年の唇を指で開けさせた。
「舌を出し」
言われるがままに青年は舌を出した。
唇を重ねられ、男の舌が青年の舌と絡まりあっていく。
重ねるだけのキスすらしたことなかった青年は、その淫らなキスに混乱した。
キスで溶かされるなんて、考えもしなかったのだ。
ただ溺れた。
しがみつき、わからないなりに舌を返そうとする。
唇が離れた。
青年はぼんやりとしたまま、男の肩に頭を預けた。
「可愛いもんやな・・・キスでこんなになるんか」
男は優しく笑った。
濡れて、すっかり勃起したそこをゆるゆると触られた。
触られただけで身体が震える。
「慣れてへんのも、たまにはええなぁ」
男は笑って着物を脱いでいく。
青年とは違い、逞しい身体つきだった。
柔らかい物腰や、着物姿からこの身体は想像していなかった。
青年はその身体におどろいた。
「ああ、子供ん時から剣道しとるんや、意外やったか?これでも強いんやで」
男は笑った。
そして、キスで興奮していたのが青年だけではなかったとわかるそこ。
その凶悪さに青年は息をのむ。
青年を再び抱き寄せる。
「初めてやったらホンマは入れん。何日かかけて慣らしてやる方がええ。でも 、お互い明日にはもう違う毎日送る身や。だからこそ、あんたを全部味わわせてもらう・・・全部や」
男はいやらしく笑った。
青年の身体にそれが押し付けられた。
青年の身体が、期待と恐怖に震えた。
ボサボサの髪をかきあげられる。
青年の顔が露わになる。
「やっぱりや。こんな綺麗な顔を隠してきたんやな」
確かめるように頬を撫で、顔にキスを落とされる。
日に当たることのない白い身体を撫でられる。
胸で淡く色づく2つの乳首を指で丁寧になぞられる。
その指に青年は身体を震わせた。
しなやかな肉のない身体は男の劣情を誘った。
「綺麗な身体や 、なのに手付かずやったんか」
12で大学に入った青年は研究室しかしらない。
皆、青年の頭脳にしか興味がない。
ボサボサの髪、猫背、無口、無愛想。
青年にそんな風に近寄るモノはいなかった。
祖母にせがまれ久しぶりに帰ってきた日本で、何故かこんなことになった。
「二度と忘れん位に可愛がらなあかんな」
男はつぶやいた。
咥えられて、唇で扱かれ、舌で舐められた。
自分でたまにする位の性経験しかなかった青年にそれは刺激が強すぎた。
「ああ、そん・・な、ウソや、あ、・・・かん」
青年は初めての快感が怖くて、泣きじゃくる。
「あかん、離して、出る、離して!!」
青年は男の顔を、押しのけようとした。
さらに男の愛撫が激しくなっただけだった。
「ああ!」
身体をこわばらせ、震わせながら青年は男の口の中で達してしまった。
男の喉が動いた。
飲まれたことに青年はショックを受ける。
「ウソや、こんなんウソや・・・」
恥ずかしさに青年は泣く。
「コレ位で泣きごと言いな、こっから先はもっとヤらしいんやで」
男が唇を拭いながら言った。
震えながら泣く青年に、嗜虐心を刺激されていた。
「・・・泣き顔、ええな。おぼこいんも、可愛い思ってきたわ」
男は顔を覆い泣く青年の手を外し、涙を舐めた。
「もっともっとヤラしいこと、したる」
囁かれた。
男の言葉に青年は怯えた。
青年は真っ赤になって羞恥に耐えていた。
聞き分けるように言われたから、精一杯色んなことに耐えている。
でも、これはこれは、これはない。
四つん這いにされて、尻の穴を舐められているのだ。
青年の知っている性知識は男女のものしかないが、こんなことをされるのがセックスなのだと聞いたこともなかった。
そんな、そんなところをそんな風に。
男の舌はいやらしくて、執拗だった。
「ああ・・・はぁ、あ・・・」
でも、青年は声が止められない。
それはひどく、気持ちがよかったのだ。
男が舐める音がいたたまれなさを増す。
「もう、ええ、もうええって・・・」
叫んでも許してもらえない。
身体が支えられなくなって青年が畳に崩れ落ちても、男は腰を支えてそこをいやらしい音さえたてて舐め続けた。
舌をそこに押し込まれた時には、いたたまれなさと気持ち良さに、また達してしまった。
中まで舐められて泣いた。
やっと終わったと思ったら、今度は指を入れられて・・・。
「なんで、そんなことするんや・・・」
青年はわけがわからなくて泣いた。
男は少し驚いた。
そんな知識もないのか。
「男とするんはここ使うんや」
かき混ぜながら説明してやる。
「使う・・・?」
涙を流しながら青年は尋ねる。
コレは気持ちよくない。
異物感しかない。
「ホンマに知らんのか・・・それでよう抱かれに来たなぁ、あんた」
男は指でそこを見つけえぐってやる。
「何、あ、あああ!」
青年が叫んだ。
また知らない感覚だ。
もう、快感と羞恥と感情の全てが揺さぶられて、青年は訳が分からない。
「気持ちええやろ?・・・ここに僕のをいれるんや。そしたらもっと気持ちようなる」
男は囁いた。
男も動揺していた。
童貞だろうとは出会った時から思っていたが、今時、ここまで何も知らないとは。
男はため息をついた。
指を抜いた。
青年は戸惑う。
「あかんわ、やめや、帰り」
優しく男は言った。
「元々、あんたは僕には若すぎるんや。でもなんや見過ごせん色気があったからな、口説いたんやけどな。でも、ここまでなんも知らん子供抱くんは不粋や、このままやったらおさまらんのやったら、手か口でしたる」
男は優しく青年を抱き起こした。
優しく宥めるようなキスをされた。
「僕かて、辛いんやで。あんた、身体も反応もホンマにええし、可愛いしな」
男は青年の髪を撫で、顔にかぶさる髪を流してやった。
男は身体を離した。
男の体温が離れる。
青年は混乱する。
「コレは自分でせなしゃあない。トイレでぬいてくるわ。カッコ悪いなぁ・・・ちょっと待っとき」
男は笑って着物を羽織り立ち上がった。
青年は立ち去ろうとした男の足を掴んだ。
「嫌や!」
青年は怒鳴った。
「抱いてくれる言うたやないか!」
「・・・大人はな子供を相手せぇへんのや。・・・子供相手して喜ぶんはな、言いなりになる人形が欲しいアホな変態だけや」
男はそう言いながら、ため息をつき、青年の手を振りほどこうと振り返った。
そして、息をのんだ。
男が前髪を後ろに撫でつけてやったため、あらわになった青年の顔。
その目に射抜かれた。
なんて目や。
全部で欲しがってとる。
「俺がどんな想いでここに来たんかあんたわかってへん・・・俺がどれほど悩んでここに来たのかわかってへん」
青年は叫んだ。
祖母の家からバスに乗り、駅まで来た。
「二時間後・・・」
電車の時刻表を見て田舎の凄さを青年は思い知った。
待つしかない。
祖母は「死ぬかもしれん」と青年を呼び戻したが、あれならあと20年は元気だろう。
でも、研究が一区切りしたらまた来よう。
無人改札が珍しかった。
いつも車で連れて来られていたから。
あの頃は12才だったし。
待合室で待っていたら、雨が降り出した。
雨をぼんやり見ていた。
研究のことを考えていた。
ずっとそう。
12の頃からずっと。
そんな時に、あの男が入って来たのだ。
雨に濡れて。
着物姿で。
「降られましてね、少しご一緒させてもらってもええやろか?」
柔らかな言葉使い。
少年は前髪の奥の目を見張る。
男は少年の住む世界にはいないような男だった。
年齢相応の落ち着きが似合う端正な男だったけれど纏う雰囲気が違っていた。
何だろう、ガツガツしたものがなかった。
人に自分をつくってみせる必要のないゆとりがあった。
誰かを見下す必要もない余裕。
「遊びも風流もわかってて、でもわきまえてはる、余裕のある男はんをな、粋(すい)な人やと言うたんや」
「そんな粋(すい)な人がもうおらん」
祖母がよく言っていた言葉はこの人のことなのかと思った。
「今おるんは何でも欲しがるか、人の目のためにええかっこするアホだけや」
昔は芸事の世界にいたという祖母は悪態をついた。
「まあ、あんたほど、垢抜けん子もおらんけどな。わての孫やから器量はええはずやのに」
嘆かれたのもついでに思い出した。
少年の世界は結果を追い求める世界だった。
人より優れていることばかりが求められる世界。
研究所の外も似たようなものだと思っていた。
結果が研究の成果ではなく、どう成功したか、何を持っているかだけが評価されるだけ。
まあ、そんなもんだと思っていた。
でもこの男の前ではそんなものがバカバカしくなる、そう思った。
「別に、俺の家でもないし、断らんでええ」
ぶっきらぼうに青年は言った。
動揺していた。
こんな男に何と言えばいいのかわからなかったから。
男は別に気を悪くしたようには見えなかった。
何も言わずに二人で座っていた。
青年は自分がドキドキしていることに戸惑っていた。
何か話したかった。
年上の人間達には慣れていた。
でも研究以外のこととなると、こんな大人な人と何を話したらいいのかわからなかった。
不意に男の指が、青年の髪に伸びた。
青年はビクリと身体を震わせた。
「失礼、糸くずが」
男の指が前髪をかき上げるように動いた。
青年の顔が僅かにあらわになった。
男の目が細められた。
男が笑った気がした。
「・・・ご旅行ですか」
男は尋ねた。
「祖母を尋ねて来たんや」
ぶっきらぼうに答える。
これ以外の話し方を知らなかった。
話をしたかったのに、続けたかったのに。
「僕はこの駅からこの道を真っ直ぐいったとこにある家をしばらく借りてるんですわ。友人の別荘でな、休暇ですねん」
男は気にせず話しかけてくれた。
「・・・そうか」
他に何を言えば。
青年は必死すぎて気付かない。
男は薄く笑っていることに。
男の指か首筋に伸びていた。
撫でられた。
いきなりそんなことをされて驚いたけれど、なぜか振り払えなかった。
また触れられたいと思ったくらいだ。
でも、どんな態度をとっていいのかわからなくて。
青年は何も言えなかったし 、何もできなかった。
「・・・ふうん」
男はつぶやいた。
今度は唇を撫でられた。
青年は動かない。
指が口の中に入ってきた。
「しゃぶり」
囁かれた。
思わずその指を夢中になってしゃぶっていた。
何故そうしたのかわからなかった。
指を抜かれた。
「あんた 、抱かれる方か?」
男が笑った。
青年はただ固まっていた。
「その反応からやったら、興味はあっても・・・ってとこやな。あんた、なんや見過ごせん色気があるな 。僕に抱かれてみるか?」
男は言った。
真面目な顔で。
「抱かれる勇気があったら、電車に乗らんと家までおいで、家は教えたやろ・・・」
男は立ち上がった。
「雨は上がったしな、行くわ」
男はふりかえりもせず待合室を出て行った。
「・・・覚悟が出来たらおいで」
男の言葉がのこった。
「確かに俺は何も知らん。あんたは恋とか言うけどそれも知らん。知らんでもええ思ってた」
青年は男の脚をつかんで離さない。
「あんたが怖かった。あんたに抱かれてしもうたら、僕は元に戻られへん思った。それに、俺はあんたのこともっと知りたいけと、あんたは一晩抱きたいだけなんやってのもわかってた 、それでもええと覚悟を決めてここへ来たんや」
青年は叫ぶ。
待合室で青年は男が去ってから一時間以上頭を抱えていた。
電車は行ってしまった。
また次がそれでも来る。
でも。
でも。
男の指の感触が首筋と、唇に残っていた。
男同士でセックスするとはどういうことなのか青年には良く分からなかった。
男女のセックスも性教育以上のことは知らない。
あまり興味がなかったのだ。
人に興味もあまりなかった。
男にも女にも。
それでも分かった。
あの人は危険だ。
誰かのものになるような人じゃない。
抱かれてしまえば、苦しくなるだろう。
それは、人間と交流してこなかった自分には耐えられないものなのかもしれない。
怖かった。
話しかけるだけでも怖かったのに。
それすらできなかったのに。
それでも、それでも、例え一晩でも、あの男がほしかった。
青年は歩いた。
男に抱かれに。
その家のドアは開いていて、青年は吸い込まれるようにその家に入っていった・・・。
「僕は覚悟を決めてきたんや、あんたに抱かれるために」
青年は男の脚にすがりながら叫んだ。
まだ立ち上がったままの男のモノに震える指を伸ばし、どうすればいいのか分からないままそれを口に入れ、頬張る。
分からないまま脈打つそれを舐める。
続けてほしかった。
もう二度とない夜だとわかっていたから。
青年が人と触れ合おうとすることはもうないだろう。
そうするには青年には人間があまりにも苦手すぎた。
だからこそ、この男ならこの男になら抱かれたかった。
この男がほしかった。
一夜でも。
泣きながら夢中でむしゃぶりついた。
「確かに俺は何も知らん。あんたは恋とか言うけどそれも知らん。知らんでもええ思ってた」
青年は男の脚をつかんで離さない。
「あんたが怖かった。あんたに抱かれてしもうたら、僕は元に戻られへん思った。それに、俺はあんたのこともっと知りたいけと、あんたは一晩抱きたいだけなんやってのもわかってた 、それでもええと覚悟を決めてここへ来たんや」
青年は叫ぶ。
また、必死でむしゃぶりついて、必死で舐める。
男がため息をついた。
頭をかく。
「ホンマにもう、子供はかなわん。ホンマ不粋や」
青年は胸が冷たく冷えるのがわかった。
あかんのや、拒否されたんや。
口から男のものを出そうとしたとき、後頭部を掴まれた。
喉の奥に押し込まれた。
「煽ってからに、ほんまにわかってへんガキはかなわんわ」
低い声は別人のようで。
「せっかく離してやろうとしたのに、自分からわざわざ」
喉の奥を突かれた。
苦しさにえづく。
「優しいはもうしてやれん・・・あんたのせいやで・・・こっちの我慢も限界や」
男は青年の口の中を喉を犯すように動かした。
腰を何度も打ちつけられた。
喉に入ってくる。
青年は苦しくてもがく。
でも男は容赦しなかった。
中で出された。
青年は自分がされたように飲み込んだ。
肩で息をし、えずく青年の顔を男は両手ではさみこんで自分の方を向かせた。
「・・・可愛いわ、あんた。可愛すぎて、めちゃくちゃにしたい思ったりもするって、今更知ったわ。もう、優しいせんし、それでもええか?」
男をきっと青年は睨みつけた。
「俺は優しいされて喜ぶガキやない・・・構わへん」
男は笑った。
青年は押し倒された。
そこから先は青年の記憶は定かではない。
ある程度ほぐれたら早急に入れられた。
貪られるように突かれた。
食らうように犯された。
痛みに耐えていたのは確かだが、そこをこすられてからはわけがわからなくなった。
前に触られていないのに、何度も何度も射精した。
奥を突かれ、射精していないのにイった。
「いい」
「イク」
「もっと」
そればかり口に、していたような記憶が有る。
「ホンマにかなわへん」
男がなんどもそう言って、何度となくキスされたのも覚えている。
どくどくと、身体の中に何度も注ぎこまれ、その度にその感覚に身体を震わせたのも覚えている。
男が苦笑しながら言ったのも。
「・・・こんな余裕ないのは、ひさびさや」
青年の記憶はそこまでだった。
目覚めた時は朝で、布団のうえに寝かされていた。
「目ぇ醒めたか?」
男が隣にいた。
男に抱かれるように寝ていたことに驚く。
男は甘やかすように青年の背を撫でた。
青年は気恥ずかしくて、顔を伏せた。
どんな顔をしろと。
その顔を上げられる。
「可愛いな、あんた」
そしてキスされる。
青年の胸が痛む。
これが最後のキスだとわかったからだ。
男にしがみついて、必死にこたえた。
でも青年はもう、泣かなかった。
泣くところは昨日で終わりや。
青年はわきまえていた。
青年は無表情なまま起き上がった。
身体は綺麗にされていた。
男が後始末をしてくれたのだろう。
服を着ていなかった。
「俺の服は?」
青年の言葉に男はため息をついた。
呆れられたのだろう。
でも青年にはこういう時に何を言えばいいのか分からない。
男が畳んだ服を指差した。
青年は黙って服を着た。
「朝飯喰うていくか?」
青年は首を振った。
「そうか・・・」
男はそう言っただけだった。
青年は無表情に男にぺこりと頭をさげた。
そして、部屋を出て行った。
男は止めなかった。
「一夜の恋でも火傷しないとあかん」
そう男が言ったことを駅までの道を歩きながら青年は思い出した。
身体の節々が痛い。
歩くのもツライ。
でもそれ以上に胸が痛い。
これは火傷なんてもんやない
どでかい杭を打ち込まれたみたいや
青年は胸を抑えた。
あの男と会うことはもうないだろう。
今度ここに来てもあの男はいない。
友人から借りただけだといっていた。
青年にはアメリカでの研究がある。
もう、二度と会えない。
青年は男がもういないから安心して泣いた。
泣きながら歩いた。
一夜の恋でも、自分のような人間には、一生の恋だとわかっていたからだ。
それでも、それでも、青年は後悔しないと知っていた。
俺にも人を求めることが出来たんや。
求めてはもらえなかったけれど。
でも、与えてもらえた一夜を忘れるつもりはなかった
男は電話していた。
「ああ、あの断ったアメリカの仕事な、それ、場所どこやった?」
電話の先の返事を男は待つ。
青年が寝ている間に財布から身分証を確認した。
アメリカの大学の研究員。
あの若さで。
それであの世慣れぬ態度や、何も知らない無垢さの理由が分かった。
その世界しか知らないのだ。
電話の先で相手が、地名を言った。
男は笑った。
「その話受けるわ、すすめてくれへんか。気が変わったんや」
その地名はやはり青年の大学のある土地だった。
「何で気が変わったか?・・・運命を感じたんや」
男は真面目に言った。
「冗談ちゃう。確かに日本を離れる気なんてなかったけどな、アメリカなんて不粋やし」
男は青年を思った。
今頃泣いているだろう。
そう思うと笑いがこみ上げる。
自分でも性格が悪いと思うがどうしようもない
僕を思って泣かれるのがええて思うようになるとはね
「アメリカ行くわ。すぐにでも」
電話を切った。
向こうについたら、青年を訪ねに大学へ行こう。
どんな顔をするだろうか。
こうやって泣かすだけ泣かして、それから優しくして逃がさんようにしよう。
男はため息をつく。
まさか自分があんな子供につかまるとは思わなかった。
でも、悪くない気分だ。
「僕を思って泣いとき。その方が優しくしがいがあるやないか」
男は可愛い恋人を思った。
もう一度抱くのは、そんなに先じゃない。
男は微笑んだ。
END
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