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【10-1 華城side】

 本当は――このまま黙っているつもりだった。  密かに想いを寄せている男を罠に嵌めようとした吉家のことなど、何も知らないままでいて欲しかった。  玖音が苦しむくらいなら、俺は会社をクビになっても構わないと思っていたからだ。  しかし、隠し事というものはどれだけ上手く取り繕っても、わずかな綻びに気付く者がいればそれで露呈する。  今回は、吉家のツメの甘さが裏目に出たといってもいいだろう。  どこを探しても、俺が談合を持ちかけたという物的証拠は何も残ってはいない。  それもそうだ。ただ吉家に指示されるがまま、あの入札会場にいた業者と口裏を合わせただけのこと。まるで子供の約束だ。 こんなバカげたことがまかり通るわけがない――そう安易に考えていた俺だったが、まさか発注者であるIサプライまでグルだったとは予想外だった。  参加業者の誰かが正義感を振りかざして騒ぎ出すかと思えば、発注者のIサプライが疑念を持つという異例の展開で、問題はより大きなものになってしまった。  それが奴らの本当の狙いだったのかもしれないが……。  おかげで、一週間以上も玖音の顔を見られないという事態に発展し、俺のストレスは限界スレスレだった。それに加えて、吉家の熱烈すぎるアプローチにいい加減うんざりしていた。  たった一度体を重ねただけで恋人ヅラする、あの男の顔を思い出しただけでも気分が悪くなる。  しかし、こうやって仕事に復帰出来たうえに、会いたくて仕方のなかった玖音を組み伏せ、さんざん悦ばせてやることが出来て俺は嬉しい。  快感に目を潤ませながらも、強がってなけなしのプライドを振りかざしながら抗うあの表情は堪らない。  どれほど、この時を待ち望んでいたか……。  ほんの数十分前のことを思い出すだけで、一度は治まった体がまた熱くなりそうだが、今は目の前ですこぶる機嫌の悪い女王様(クイーン)の要望に応えなければならない。  つまらない話だが『取引』と称してしまった以上、いた仕方ない。  全部――話してやるか。 *****    俺――華城騎士が、以前勤務していた商社を辞め、地方の総合建設会社(ゼネコン)に再就職したのは約一年と少し前。中途入社で、建設業の営業経験などない俺は、新しい職場環境にかなり負い目を感じていた。  そこで出逢ったのが杉尾玖音だった。  この辺りでは有名な――いや、正確にはメディアで取り沙汰されたことでその名を知らしめることになってしまった杉尾建築設計事務所の次男坊であり、父親と兄が経営する設計事務所に入るのではなく、あえて『修行』という名目で厄介払いされた身だった。  母親譲りだという女顔で小柄、何より誰に対しても傲岸な態度で自分の意思を主張するところから、周囲からは名前にちなんで『女王様(クイーン)』と呼ばれていた。  そんな彼は営業部内でも爪弾きの状態で、二人一組でコンビを組んで売り上げを伸ばすという戦略であるにも関わらず、単独行動を強いられていた。  そこで白羽の矢が立ったのが俺だ。相棒兼お目付け役として、目の上のたんこぶとして扱われていた彼を、何とかフォローしてきた。  一流大学を出て一流と呼ばれる商社に就職したはいいが、自分のやりたいことは何も見い出せなかった。  それなのに、地方の二流ゼネコンでの営業活動の方が格段に面白いという事を知った。一流というブランド力がなくとも地域に密着した企業という強みを持って、この不景気を乗り越えるために何より経営者の手腕が試される。  建築という初めて足を踏み入れたフィールドで、見聞きすることのすべてが新鮮だった。毎日が勉強の連続で純粋に『楽しい』と感じられた。  ただ漠然とノルマを達成するというよりも、どう人と接して地域に密着した企業を作り、どうやったらお客様に喜んでもらえるのかということを模索する。  あらゆるシチュエーションで、その時々に変わる状況を見極める能力も必要とされるため、俺はやりがいを感じた。  その時、必ず隣りには玖音がにいた。  最初は、年下のくせにやたら先輩面するいけすかないガキ――と、見下していたが、時間が経つにつれ彼の家庭事情を知り、それ故の言動であると理解出来るようになった。『自分は弱くない』ということを主張するように周囲に張る虚勢。それが彼の本当の『弱さ』であると知った時、なによりも『愛しい』と感じた。 そんな感情を抱いたのは入社して数ヶ月が経った頃だった。  しかし、玖音に対して本当の自分を曝け出すことはしなかった。 中途入社ということもあり、俺は真面目で寡黙な印象を社内に植え付けた。そのイメージが予想以上に浸透し、顧客からも『好感が持てる』と印象が良かったため、本来の姿をひたすら隠し続けた。  それは性格や見た目だけじゃない。限りなくゲイ寄りのバイセクシャルであるという事も――だ。  自分は別段気にしているわけではなかったが、どうやら女性からはもちろん、男性からもモテていたようだ。  今に思えば、自身がゲイ受けする顔――しかも『タチ』のほうだったから同じ男に声を掛けられることが多かったのだと納得出来る。 一度男と体を重ねてしまうと、以前は女を抱くことも平気だったが、いつの頃からか女に何の魅力も感じなくなった。  別れる、別れない。愛してる、愛していない……と何かにつけて騒ぐ煩い女よりも、たった一夜だけでも割り切った付き合いが出来る男の方が何よりも後腐れがない。  どうしても……と言われれば、女も抱けないことはないが、今は遠慮願いたい。  なぜなら、俺だけのモノにしたいと思う存在が出来てしまったから。  だが、その男はどういうわけか夜遊びばかりしている。噂によれば、あの愛らしい顔に惹かれて寄ってくる者――女男問うことなく一夜を共にする尻軽野郎なのだ。  彼の噂は尽きないほどあるようだが、常に行動を共にしている俺からしてみれば、噂が独り歩きしているフシがあるように思える。  尻軽(ビッチ)であるということを完全否定することは出来ないが、根は真面目で責任感も強い。何より誰かに支配されることを嫌い、自分の意思を突き通す少々頑固なところもある。  それがまた、いい!  俺のストライクゾーンのど真ん中を射抜いた彼を、どうやって堕とそうかと日々画策していたのは事実だ。  時折、俺の顔をじっと見つめていたと思えば、顔を赤らめて不意に背けるところを見るとまんざらでもないようだ。  まったく脈がないわけではない――そう確信した。  男でもイケるクチならば何の問題はない。ただ、こんな俺を受け入れてくれるかどうか……というだけだ。  淡い――いや、はっきり言ってしまえば下心丸出しの想いを秘めて過ごしていたある日、あの事件が起きた。  民間企業であるIサプライが、老人福祉施設に付随するグループホームの新築工事を打ち出したのは一ヶ月ほど前の事だった。  この辺りの建設会社数社に、建設予定地となる場所で現地説明会を行うという通達が回った。  今期、昨年に比べて受注件数は減少傾向で、民間の細かい案件一件でも欲しいところに飛び込んできた大型案件だけに、営業部長の松島も現説の参加を承認した。  玖音と共に現地に向かうと、そこには当社を入れて八社の企業が顔を揃えた。  後に入札に参加することになるK興産、W建設、O建工も然りだ。  どの企業も地元ではクセ者と噂される企業ばかりで、一波乱ありそうな嫌な予感しかしない。  相当な突貫(とっかん)・赤字現場か。はたまた何らかのトラブルを抱えるような事態を覚悟しなければならないか……といろいろな事を考える。  そんな俺をよそに、興味津々で説明を聞く玖音の姿に小さく吐息した。  各企業の営業マンと形式的な名刺の交換を済ませ、早々に会社に戻って松島に相談した方がいいと考えた俺は、説明が終わり資料を配り終えると足早に車へ戻った。  その時はいつものように文句を言いながら追いかけてくる玖音の愛らしさに、うっかりするとニヤついてしまう口元を隠すことに必死になっていた。  会社に戻ると、自席にいた松島に現説の報告を済ませ資料を渡した。入札の日時は渡された資料に記されていたので、そう急いで結論を出す必要がないという判断で積算部に図面と数量内訳書を預けた。  それから数日後のこと――。 俺のスマートフォンに見慣れない番号からの着信があった。取引先や顧客の番号はすべてアドレスに登録してある。それ以外で自身の携帯番号を教えることは滅多にない。稀に相手が仕事の依頼で掛けてくることもあるが、まったく違う場合もある。あらゆる状況を想定しつつ警戒しながら着信ボタンをタップして耳に押し当てた。 「もしもし、華城ですが……」 『――A建設の華城さんですか?』  鼓膜を震わせるどこか甘さを含んだ快活な声に、俺は眉を顰めた。  まったく知らない声ではない。だが、今まで関わることがなかった男……。  俺は黙ったまま営業のフロアを出ると、迷うことなく駐車場へと向かった。咄嗟に足を向けたのは、その声の主に嫌な予感を感じたからだ。 「――どちら様でしょうか?」  自身の記憶が正しければ、おそらく彼に違いない。それでも惚けたフリを決め込み、訝るように問い返す。 『K興産の吉家です。ほら、Iサプライの現説でお会いしましたよね?』  交換した名刺と、その営業マンの面々を思い出していく。自分たちよりも確実に年上だと分かる者が多い中で、一際目をひいた小柄で華奢な体つきの男。玖音とはまた違った女顔で、好色家がいかにも好みそうな色気のある顔を思い出し「あぁ……」と小さく呟いた 『今……。お時間、いいですか?』 「――ええ」  名刺交換の際にやたらと指を重ねて来たり、俺の顔をチラチラと興味深げに見ていた事に嫌悪感を持った相手だ。  キャラ的には玖音と似ていなくもないが、俺の中で圧倒的勝利を収めたのはもちろん玖音の方だった。  どこか腹黒感を漂わせる彼を、そう簡単に懐に潜り込ませるわけにはいかないと隙を見せることなく振る舞った。  彼に携帯番号を教えた覚えはない。どこかで俺の番号を入手したところをみると、どうしても俺と直接話したいことがあったのだろう。悪い噂しか聞かない彼の事だ。何かを企んでいるとしか思えない。 『今日はお仕事の話ではないんです。個人的なことで……』  やっぱりか――。 彼を見た時、瞬間的に同じ匂いを感じたのは間違ってはいなかったようだ。 『単刀直入にお伺いします。華城さんって、男もイケるクチですよね?』 「――本当に直球ですね。しかし、先日お会いしたばかりの相手に簡単にお答え出来ることではありませんね」 『その言い方……。肯定と受け取ってイイってことですよね? だったら話は早い。俺と付き合ってくれませんか?』  電話越しとはいえ、あくまでも仮の姿のままを保ったまま冷静に話を聞いていた俺だったが、あまりにも一方的で強引な吉家の誘いに軽い頭痛を覚えた。  今までも何人かの男に誘われたことはあったが、これほど強引に猛進してくる者は誰一人としていなかった。  世の中にはこういうのがタイプだという奴もいるが、俺は基本的に自分の考えを第一に尊重してもらいたいと考えており、人の話を聞かなかったり、自分の意見を無理やり押し付けてくるような奴は論外だと思っている。  かくゆう相棒の玖音もそういうところは否めないが、彼に恋心を抱いている身としては贔屓目になるのはいた仕方がない。それに、彼が口にする意見や文句は俺の話を最後まで聞き、吟味した上で発せられていることが多く、その点では吉家とはまったく違う。  何より強気な発言をした後で、冷静な言葉で俺にやり込められた時の悔しそうな顔が堪らなく可愛い。  唇をぎゅっと噛んで、俺を睨むあの目にどれほどの欲情を抑えこんでいることか……。 「――お断りします……と言ったら?」  俺は小さく吐息して抑揚なくそう応えた。  仕事の話でもない、ましてタイプでもない奴と時間を費やして言い合ったところで何の利益も生まれない。  それならば玖音と――黙っていてもフロアや車内で同じ空気を吸っていた方がよっぽどマシだ。一緒の空間にいられるというだけで幸福感に満たされる。 『え~、意外だな。俺、あなたのタイプだと思っていたんだけど』 (どんだけ自惚れてる……?)  この際だからハッキリと言ってしまおうか。 「お前は自分が思っているほど可愛くもないし、まったくと言っていいほど魅力を感じない」――と。  自意識過剰すぎるこういう男は、関わると後々面倒な事になる。同じ自意識過剰でも、玖音の方がしおらしくて何十倍――いや、何百倍も可愛い! 声に出せない苛立ちが募り、誰も見られていないのをいいことに俺は露骨に顔を歪めた。 そして、深い溜息をつきながら心底呆れたような口調で言った。 「あなたに……俺のタイプを決めつける権利はない」 『オレ的には、華城さんど真ん中なんだよね。久しぶりに見つけたイイ男をそう簡単に諦めたくない。――ねぇ、味見してみない?』  あまりのご都合主義に脱力し、俯いたまま額に手を当てて嫌な汗をそっと拭う。  こういうタイプはしつこい上に、非常に扱いが面倒くさい。女を比較対象にするのは失礼かもしれないが、俺の中の位置づけでは女以下だ。 「俺はあなたに興味がない……」  突き放すように冷たく言うと、吉家は甘えるような声で返した。 『へぇ~。結構傷つくこと平気で言うんだね? もっと優しいお兄さんタイプかと思ってたんだけど……』 「仕事中ですので、この辺で……」 『あ、待ってよ! 一回でいいから俺と会って! それでも無理だって言うんなら俺も諦めるからっ』  電話を切ろうとする俺に、意地でも食い下がる吉家。  このまま続けていても埒が明かないと、俺は嫌悪感を剥き出しつつも仕方なく頷きながら応えた。 「――じゃあ、一度だけお会いします。ですが、それ以上のことはありませんから」 『ホント? じゃあ……今週末、空けておいて下さい。また連絡しますからっ』  嬉しそうに声を弾ませて電話を切った吉家に、俺はしばらくスマートフォンの画面を見つめたまま呆然と立ち尽くした。 (ぶっ飛ばしてやりたい……)  思わず手に力が入り、危うくスマートフォンを壊しそうになった俺を制止したのは、駐車場の入口から聞こえた玖音の声だった。 「華城~。お前、黙ってどっかに行くなよ。これから打合せだろ? 早く用意して行くぞっ!」  風に緩くウェーブした天然栗色の髪をなびかせて近づくその姿に、きつく結んでいたはずの口元が自然と緩む。  打合せの時間に遅れるとマズイという玖音の自己都合でありながらも、突然いなくなった俺を探しに駐車場まで来てくれたことに嬉しさを隠せない。 「――なに、ニヤニヤしてるんだよ。早くしろよっ!」  ムッとして目を細めるその顔が堪らなく愛らしい。気怠そうに乱れた髪を掻き上げる細い指先、強く抱きしめたら折れてしまいそうな細い腰に手を当てているのも女王(クイーン)の貫録だ。 「すみません。少しだけ待っていてください」 「仕方ないな。――ったく。電話したのに話し中とか、ありえないしっ」  何てことだっ! 吉家のくだらない話に付き合っている間に電話までしてくれていたなんて……。  あぁ……可愛い! もう、滅茶苦茶にしてしまいたい! むしゃぶりつきたい!  仄暗い欲望を抱えながら、俺はダッシュで営業部のフロアに戻り、打ち合わせの資料とバッグを持って再び駐車場に戻った。

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