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【10-4 華城side】

 そして翌日――。  俺は吉家の思惑通り、談合の疑惑をかけられ自宅待機を言い渡された。  分かり切っていた展開だけに、別段動揺することもなかったが、玖音からの予想外の電話には驚いた。  昨日、営業車の車内であんな話をした後だけになんとなく気まずい。  静まりかえった部屋に何度も鳴り響くスマートフォンの呼び出し音に気付きながらも、俺は画面に表示された名前を見て、しばらくの間フリーズしていた。  それでもなお鳴りつづける音に、俺は腹を括った。 「――もしもし」 『あ……華城? 俺、だけど……』  そう言って、すぐに黙り込んでしまった玖音。  おそらく松島から聞いたのだろう。突然こんなことになり、一番驚いているのは玖音の方に違いない。 そんな俺にどう声をかけていいのか分からずに言葉を選んでいることは、その沈黙から容易に察することが出来た。 『あの……さ』 「すみません。杉尾さんにもご迷惑をおかけして……」  これ以上、彼を困らせるのも可愛そうだと口を開いた時、二人の声が重なった。 『え? あ……まぁ、仕方ないよな……。ってか、お前、ホントにやったの?』  俺が素直に謝ったことが意外だったのか、その場を取り繕うように彼は切り出した。  すべてを話してしまえばどれだけ楽になるだろう。そうなれば俺が玖音に惚れているという事を告げることを避けることは出来ない。  それに、バイセクシャルであるという事も……。まぁ、男もイケる彼のことだ。そうドン引きすることはないだろう。  しかし、この雰囲気でそういう話を切り出すというのは憚られる。玖音は相棒である俺を心配して電話をくれた――そう信じたかった。  いろいろと思慮をめぐらせ、俺は短く「――いえ」とだけ答えた。  耳元で玖音が安堵する吐息が聞こえる。  きっと、あの勝気な顔をゆるっとさせて眉をハの字に曲げているに違いない。 『それ、信じていいんだよな? さっき部長から話を聞いて、かなり驚いたんだけど』 「すみません。俺自身、何がどうなって、そういう疑惑が出たのか分からないんです。持参した封筒は事前に開封された形跡がなかったですし、俺はそのまま提出しただけですから。いつもと、なんら変わりない入札でした」 『じゃあ、なんで……お前が疑われる? ほかの会社の奴らだって談合したって可能性は出てくるはずだろ?』 「わかりません。それは俺じゃなく、上層部の判断にお任せしてありますから……。杉尾さん、一人で大丈夫ですか?」  お目付け役である俺としては、また彼が無茶な事をしないかと不安になる。  自分が納得いかないことや理不尽なことに関して、誰かれ構わず躊躇なく自分の意見を突き通す彼の事だ。  そのせいで今までも顧客や下請け業者などとやり合ったことは数知れず……。  営業部内でお荷物扱いされている彼に進んで手を差し伸べてフォローしてくれる者がいるだろうか。  これに関しては直属の上司である松島に委ねるとして、何より心配なのは、玖音のプライベートのことだ。 その辺をうろつく男――女も含めだが、蜜に群がる虫のごとく玖音に近づき、彼の劣情を煽るような真似をするのではないかと気が気ではない。 『お前さぁ……。人の心配するより自分の心配しろよっ。このままクビとかってなったら、どーすんだよ? それに、相棒をなくした俺はどうなる? 部内でお荷物扱いされてる俺に、そうそう次の相棒を探すなんて無理な話だ。部長だってその事を考えただけでも血圧あがるぞ……』  まったく、嬉しいことを言ってくれる。 俺が不安に思っていたことを彼自身が口にしたことで、思わず口元が緩んでクスッと笑ってしまった。 しかも、自分の置かれている立場まで理解している彼らしい物言いに愛しさがこみ上げてくる。 「どれだけ自虐ネタ……」 『うるさいよ。人が心配してるってのに……』  ちょっとイラついた声になぜかホッとする俺がいる。  もっと凹んでいるかと思いきや――いや、もしかしたらまたいつもの虚勢なのかもしれない。  素直に俺がいなくて寂しい……と言ってくれれば、すべてをぶちまけて、今すぐ抱きに行くのに……。 「ありがとうございます……」  真摯な態度で先輩である玖音の言葉を受け取り、俺は穏やかな声で一言だけ告げた。  相手に直球で想いを向けられた時には必ず、頬を染め俯き加減に照れる彼の姿を思い浮かべ、ズクリと疼いた浅ましい下肢にそっと手を伸ばす。 『俺は平気だから。何かあったらいつでも連絡しろよ。俺も状況が分かったら電話するし……』  つとめて明るい声で言う彼に、自然に口元が綻ぶ。  そっと指先で力を持ち始めた愚息の形をスウェットパンツの上からなぞりながら、吐息混じりに応えた。 「そうします。すみません……」  普段はそうそう他人に見せることのない玖音の気持ちが嬉しかった。だが、それだけじゃない俺は何度も謝った。愛らしい彼の姿を思い浮かべるたびに、自然と動いてしまう自身の指……。  朝から自慰をすることになるとは思わなかった。  寝間着代わりに穿いているスウェットパンツのウェストに片手を突っ込み、わずかに湿り気を帯びた下着の隙間から力を持ち始めたペニスを取り出すと、ゆっくりと上下に扱いた。  オカズにして悪いな……という意味も込めて。 『じゃあな……』  上からの物言いは変わらない。それが彼らしくて、また萌える。  電話が切れた後も、俺は玖音の照れながら怒った顔を思い出しながら、ひとり絶頂への階段を確実に上り詰めていった。 「あぁ……玖音っ。好き……、好きだ……っふ――あぁっ!」   *****  それから一週間、毎日嫌がらせのように来る吉家からの電話に辟易していた。  自宅待機中ということもあり、当てもなくフラフラと外を出歩いて誰かに見つかった時、相手にいい印象を与えない。俺の『噂』はすでに拡がっているだろうし、反省の色がないと思われる可能性もあり、近くのコンビニに出かける程度の生活を続けた。  もちろん、吉家からの誘いはすべて断り、俺はひたすら会う事の出来ない玖音への想いを募らせていた。  あの日から玖音から連絡はない。  相棒に対して何て冷酷な仕打ちだ――とも思うが、たった一人で数ある案件に対応しなければならない多忙な彼を思うと胸が苦しくなってくる。  仕事に忙殺されているうちはまだいい。俺という監視から逃れ、自由に羽を伸ばすのは構わないが、伸ばしすぎてまた夜遊びを繰り返しているのではないかと考えるだけで、嫉妬に狂いそうになる。  あの綺麗な白い肌に情交の痕を残すなんて、絶対に――。 「許さない……」  本来、女王(クイーン)に忠誠を誓い、常に側を離れることなく守る騎士(ナイト)は、どれだけその身を捧げても見返りを求めない。命をかけて守る……という自己満足の上で成り立っている主従関係だ。  だけど――俺は違う。 その働きに応じて『ご褒美』という名の報酬を貰わなければ、この体も気持ちも鎮めることは出来ない。  何よりの報酬……それは玖音自身。  あの体も表情も。声も性格も……そして心も。すべてが俺の活力に繋がる。  いつまで続くか分からない自宅待機。彼に会えない時間をこれ以上増やすのは耐えがたいことだ。  のんびりと俺を嵌めた首謀者の出方を窺っている暇はない。  俺はスマートフォンのアドレスを呼び出すと、見知った名前をタップし発信した。  大学時代の友人である日向(ひなた)(さとる)は、卒業した今でも時々会うことがある。人懐っこい顔と性格で、一緒にいても飽きない男だ。恋愛対象としては外れてしまうが、それなりにモテる要素を持っている。  俺のセクシャリティ―はもちろん理解してくれている。いわば『親友』と言っても過言ではない存在だ。  そんな彼は大学卒業後、彼の叔父が経営している探偵事務所に就職した。  一流大学を出て引く手あまたの大企業に行くのではなく、あえて探偵という職業を選んだ事を尊敬し、羨ましいとさえ思った。小さい頃からの夢だったという彼が、それを現実にしたからだ。  以前、勤務していた商社にいた時も、取引先の経営情報などは社を通じて興信所を使って入手していた経緯があり、今回の吉家の件も信頼のおける彼になら頼めるのでは……と思いついた。  電話に出た彼と簡単な挨拶を交わし、これまでの事の詳細を話すと快く引き受けてくれた。今度会った時に奢る……という条件つきで。  迅速な対応がモットーの彼曰く、早ければ明日にでも報告出来るというので、とりあえずメールでの報告と、正式な文書にまとめた書類の作成を依頼した。  幸い、俺の手元には吉家との会話が録音されたレコーダーがある。  これと日向の書類が揃えば、俺は脅迫されていたという事を立証し、晴れて玖音に想いを告げることが出来る。  日向との電話を切った直後、待っていたかのようなタイミングで部長の松島から電話が入った。  俺が談合に関与したという証拠は何一つ出てこない。自宅待機処分を解除し、明日から通常勤務に戻るようにという連絡だった。 「やっと、会える……」  素直に嬉しいと感じた。やりがいを見出した建築営業の仕事に戻れること。そして、何より玖音に会えることが堪らなく嬉しかった。松島との会話で無意識に肩に入っていた力を抜いた。 俺はテーブルの上に置かれたノートパソコンの電源を入れると、明日からの仕事に関する案件一覧に目を通した。  そんな俺の気分を壊したのは、すでに空は暗くなり雨も降り始めた頃に鳴り響いたドアチャイムの音だった。  ジーンズとパーカーというラフな格好であったが、しつこい呼び出しに仕方なくドアを開けると、そこには吉家が立っていた。  顔を見た瞬間、黙ってドアを閉めようとした俺の腕を彼が咄嗟に掴んだ。 「騎士……っ」  本人に気付かれないように小さく舌打ちして、渋々といった動きで廊下に出る。  ドアを開けたままの押し問答では、いつ中に押し入られるか分からないからだ。 「何度電話しても出てくれないから来ちゃった」  どこでこの住所を調べたのだろうか。俺は電話番号以外、彼にパーソナルな情報は一切明かしていなかったはずなのに……。  訝しげに見下ろすと、彼はいつもの『可愛い』をアピールした上目づかいで俺を見上げた。 「あなたもご存じかと思いますが……。俺は今、自宅待機中なんです。ハッキリ言ってこういうことは迷惑なんですが……」 『本来の俺』から寡黙で真面目な『会社での俺』に切り替え、口調もあえて硬質なものに変える。 「俺たちって付き合ってるんだよね?――華城さんは、俺のこと嫌いなわけじゃないんでしょう? じゃあ、どうして?」 ――ほら来た!  相手が相手だけに一度体を繋げたらこういう面倒なことになることは予想していたが「このタイミングで来るか?」という、あまりにも絶妙すぎる吉家の登場に、俺は内心驚きを隠せなかった。 本来の俺であれば容赦なく冷酷で辛辣な言葉を浴びせることも出来るのだが、仮の姿を貫いてきた以上、冷静に物事に対処しなければならない。 こういうことが嫌で特定の相手を作ることを避け続けていた。その期間が長すぎたせいか、どう対応すればいいのか咄嗟に思い出せない。 黙ったままの俺を責めるような目で見詰める吉家。その目力に異常なまでの執着を感じ、背筋がゾクリと冷たくなった。 「騎士の好きな奴って、杉尾なんでしょ? だから俺があの写真のデータをばら撒くって言ったら本気になった……。違う?」 「その通りだ!」――と言いたいが、まだ玖音本人にも伝えていないことを、この男にわざわざ言う必要はない。 「――好きな人がいるって。でも、報われないんでしょ? だったら俺をその人の代わりにしてよっ」  廊下の天井に付けられた蛍光灯の明かりが雨に煙る廊下を、ぼんやりと照らしている。  俺はだんまりを決め込んだ。  余計な事を言うよりも、黙って相手に言いたいことを言わせた方がいい。  会社帰りに寄ったのだろうか。まだスーツ姿の吉家はなおも責めるような目で俺を見つめる。  しかし、彼が見せる切なく思いつめたような表情は、俺にとってはまったくと言っていいほど無意味なものだった。  吉家に対して少しでも気があるヤツならば、愛らしい顔に憂いの様相を浮かべれば、それなりに破壊力があったかもしれない。だが残念なことに、俺は玖音以外の男には欲情しなくなってしまっている。  それゆえに、あざとい仕草で俺を攻め堕とそうとする吉家の作戦は最初から無効なのだ。  もしも、これが吉家ではなく玖音だったら――。  俺は冷たいコンクリートの床に頭を擦り付けて許しを乞うだろう。彼の靴先に何度も口づけをしながら……。  吉家は華奢な肩をわずかに震わせて言った。 「その人を助けるために俺と取引したんでしょ? だったら……もう、俺のものになってもいいんじゃない?」  あまりの勝手な言い分に、俺は口を開いた。 「――分かっているのでしたら、話は早いですね。俺は……あなたとはそういう関係にはなれない」 「そんなことない! だってこの前、俺を抱いたじゃないかっ」  ふと顔をあげた時、階段室の陰に人影を見た気がして、俺はじっと目を凝らした。しかし、薄暗く廊下に灯る照明が逆光になり、ハッキリと確認する事が出来ない。  吉家の声を無視して耳を澄ませてみるが、その影がこちらに来る様子はない。 「こんな事になった以上、A建設にはいられないよね? あんな会社さっさと辞めて、俺のとこにおいでよ。そしたら、ずっと一緒にいられる」  背伸びをして両腕を首に絡ませてきた吉家に、顔を顰めて嫌悪感を露わにする。  彼が纏う甘い香水の匂いが鼻につき、思わず息を止めた。 「――もし嫌だっていうんなら、あなたの大切な人に直接手を下すよ? それでも断れるの?」  悪役(ヒール)の常套手段ともいえる展開に、俺は眉間に皺をよせて怒りに唇を噛みしめた。  確かに――。  俺は玖音の地位を守るために、吉家との取引を承諾した。  だが、こいつと付き合う気などハナからなかった。正確に言えば『付き合えない』のだ。  その理由は――『守りたい』という感情がないから。  いつもそばにいて、優しく見守りたいと思える存在。強気で傲岸な態度を見せる玖音だが、本当は弱いところを他人に見せられずに虚勢を張り続けている。それをどのタイミングでやめたらいいのか分からないまま、今に至っているというのが彼の現状だ。  そんな彼を擁護する存在がいれば、彼の気持ちに余裕が生まれ、少しずつでもその苦悩から解放されるのでは……と、俺は勝手に思っている。  その存在に俺はなりたい。  ただ優しく、甘やかすだけが愛情じゃない。時に厳しく叱ることも大切だ。  そして思う存分、彼が満足いくまで愛してやることが『お目付け役』である騎士(ナイト)の務め――だと。  吉家を抱いたことは否定しない。  だが、そこにほんの少しでも愛情や気持ちがあったかと問われれば、まったくの『ゼロ』だ。  抱けと言われたから抱いた……。ただ、それだけのこと。  たった一度のセックスを、まるで最強の武器でも手に入れたかのように振りかざして脅す男など、俺にとってはクズ以下だ。 「――キス、してよ。ねぇ……」  なおも食い下がる吉家に、俺は大仰にため息をついた。  俺の前から即座に姿を消してくれるのであれば、キスぐらいはしてやってもいい。  でも、そのキス一つが玖音への想いを踏みにじる行為であるということを俺は知っている。  目の前にいる敵を追い払うべきか、それとも玖音への想いを貫き通すべきか……。  しばしの葛藤の後で俺が導き出した答え――。  俺は再び小さく吐息して、渋々両手で吉家の細い腰を引き寄せると、唇に触れるだけのキスをした。  雨の音に混じって、微かに嗚咽のような声が聞こえる。  それは哀れな子猫の泣き声にも似た、弱々しく切ないものだった。 (まさか……)  廊下を吹き抜けた風に、その場にいるはずのない玖音の香りを感じて、俺は即座に吉家から離れた。  さっき階段室の陰に感じた気配……。 もしかしたら――という、嫌な予感が俺を支配する。 このマンションの住人であれば何も問題はない。だが……大切な人にすべて見られていたのかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなった。  腹の底から湧きあがる吉家への怒り。そして、自分自身への怒り。 (どうして、お前がここに……いる?)  この場所に来るはずがないと思っていた玖音へのやり場のない怒りと、深い罪悪感。  俺は吉家の手首を乱暴に掴むと、迷うことなく部屋に連れ込んだ。  玄関ドアの閉まる硬質な金具の音と重なる様に、壁に追い込んだ吉家を上から睨み下ろす。 「――二度と俺の前にそのツラを見せるんじゃねぇ! お前が仕組んだこと、全部バラしてやるからなっ。そうなれば俺も玖音もタダじゃ済まない。だが、アイツと一緒に堕ちるんだったら、何も怖くない。いっそのこと、どこまでも堕ちてやる……。さっさと消えろ! 俺の前から……っ」  今まで彼に見せていた謙虚な様相とはまるで違う本来の姿を晒す。その豹変ぶりに驚いて声も出せなくなった吉家をドアを開けて突き飛ばすように追い出した俺は即座に鍵をかけると、ドアに背中預けたままきつく目を閉じた。 「玖音……」  愛しい人の名を紡ぐ。  もしも、今の吉家との会話を聞いていたら、彼は間違いなく誤解するだろう。  あの気配が別人のものだと思いたい。しかし、決して違うことのない彼の香りがそこにあった。  雨音に混じって聞こえた嗚咽……。彼は確かに泣いていた。  でも、なぜ――。彼が泣く必要がある?   その答えは定かではないが、都合のいい解釈をすればおのずと導き出されていく。  耳を澄まし、ドア越しに吉家の気配がないことを確かめると、俺はリビングへと戻った。  床に座り、テーブルの上に置かれたままの煙草のパッケージに手を伸ばす。  気まぐれで押入れから出してきた灰皿は、いつしか吸殻が山のようになっていた。  玖音に会えないストレスが、やめたはずの煙草に反映されている。  唇に咥えた煙草をふかしながら、行き場のない鬱憤をはらすかのように髪を何度もかきあげる。 「嬉しい……と素直に喜んでいる状況じゃ、ないよなぁ」  煙を吐き出しながら、明日はどんな顔をしたらいいかと考えを巡らせる。  一番逢いたい人に逢える喜びが、なぜか徐々に憂鬱へと変わっていった。

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