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【14】

 規則正しいリズムを刻んでコピーされた図面が排紙口に積み重なっていく。  それを見るともなく、夏樹が口を開いた。 「――で、K興産の吉家ってどうなったの? F不動産の早川専務は解雇されたって聞いたけど」 「あぁ。アイツも自分から退職願い出したみたいだ。そうだよなぁー。あんなことして、会社になんかいられないよなぁ」  俺は積算部の向かい側にあるコピー室の壁に凭れて、ぼんやりと窓の外を見ていた。  大判のコピー用紙を手際よく補充しながら、夏樹が黒縁のメガネの奥の大きな瞳を細める。  邪魔でもしたのかと端に避けると、彼女は肩越しに振り返って俺をじっと見つめた。 「な……なんだよ?」 「――で、どうなったわけ?」 「はぁ? だから、吉家は……」 「違うって! あなたたちのこと! 当然、上手くいったんでしょうねぇ?」  女の勘は鋭い……とはよく聞くが、あの一件以来、華城との事に関して何も話してはいない。  華城からは「紹介しろ」と煩いくらいに言われていたが、彼と肩を並べているところを見せられるほど、俺はまだ落ち着いてはいなかった。  肩が触れただけで、指先が触れただけで、あの香水が揺れただけで、俺の心も揺れてしまうからだ。  なんとか普段の自分を装ってみても、どこかしっくりしない。  いつも隣りにいてくれるという安心感を覚えてしまったこの体は、ふとした瞬間に子ウサギに戻ってしまうのだ。 「あれから何にも言ってこないから、変だと思ったのよ。――で、したの?」 「は?」 「だから、エッチしたの? って聞いてんのっ」 「そんな事……なんで、お前に……っ」  仕事中、いつ誰が通るかも分からない廊下に面したコピー室で、問いただされる内容ではない。  むしろ、行きつけのバーで酔いに任せて聞いてくれた方が、どれだけ有難かったか……。  素面の状態で「はい。しました!」なんて、気軽に答えられるわけがない。 「は~ん。その言い方からして……やったでしょ? やっぱりねぇ~。最近の杉尾、妙に色気あるし、前みたいにがっついた雰囲気がないから。分かりやすいヤツ~」 「す、するわけないだろ! ただ……まぁ……その、なんて言うか……。俺の召使として雇ってやった……っていうか」 「召使?――騎士(ナイト)の間違いじゃないの?『雇った』じゃなく『忠誠を誓わせた』じゃないの? どんだけ動揺してるのよ。使い分け出来てないし。――要するに、付き合う事になったんでしょ?」 「まぁ……。そう、なるのかな」  照れを隠すためにポリポリと頬を指先でかきながら、呆れたように大仰にため息をつく夏樹の背中を見ていた。  小柄だがよく動く。狭いコピー室を我が物のように使う彼女だが、いろんな意味で頭が上がらない。  そもそも、俺と華城を決定的に近づけてくれたのは夏樹なのだから。  口には出さないが、俺たちがそういう関係になって一番ホッとしているのは夏樹かもしれない。  ただ――俺と似て、素直に「良かったね」と言えない性分なのだ。 「また、お前の好きなもの奢るからさ……。マスターにも謝りたいし」 「そうよぉ! マスターも心配してたんだからね。私もだけど……」  付け加えた言葉はボソボソと呟く程度で、俺には聞こえないと思っているのか、それとも照れ隠しなのか定かではないが、その一言で夏樹が本気で怒っている訳ではないということが分かり安堵する。 「――で。キャラ、変えるの?」 「は?」 「今までの女王様キャラ、変えるの? って聞いてる。もうさぁ、彼氏も出来ちゃったわけだし、何も強がることないと思うんだよね……。そもそも、華城くんへの当てつけで遊んでたわけだし。あ、でも生まれつきそんな感じだったんだっけ?」 「生まれつきって……。俺がまるで毒吐きながら生まれてきたみたいじゃないか」 「あら、違うの?」  初めて知ったというような顔でおどけて見せる。  今の俺は女王様(クイーン)であって、そうじゃない。  杉尾家の次男坊として生まれ、小さい頃から父や兄に『出来の悪いヤツ』として蔑まれてきた自分の弱い部分を見せるのが悔しくて、俺は女王様(クイーン)という、いかにも強そうな猛獣の毛皮を纏う事で自分を誇示し続けてきた。  誰からも守ってもらえず、どんなことでも自分で切り抜けてきた。  それが今、最強の守護ともいえる華城を手に入れた。 『全てを曝け出して甘えろ』と言ってくれた彼に、ひた隠しにしてきた自分を見せることで快感を得ている。  でも――。  彼は女王のままでいろと言った。その理由はまだ聞いてはいない。  ただ単に下剋上プレイを楽しみたいというだけ……というわけではなさそうだ。  それならばプレイと割り切れば済むことだし、日常をわざわざ本来の自分を押し殺してまで別人格を演じる必要はない。  それでも彼は、俺に女王(クイーン)でいることを望んだ。そして華城自身も……女王(クイーン)に忠誠を誓う騎士(ナイト)として過ごすことを。  俺の手にも負えない猛獣を内に秘めながら、そこまでして自分を装う意味があるのだろうか……。 「――杉尾さん。ここにいたんですか?」  コピー室の入口から不意に聞こえた低い声に、ビクリと肩を震わせた。  夏樹と悪いことをしているわけはないのに、なぜか後ろめたい気持ちになる。  彼女は別段驚く様子もなく肩越しに「お疲れ様ですぅ~」と明るく声をかけた。 「先日、リフォームの見積依頼があったお店から電話があったんですが、杉尾さん……席を外していたので折り返すように伝えましたけど」  真面目に仕事に向きあっているという姿勢を見せる華城に、本性を知っている俺は違和感を感じてならない。  あの姿を見てしまったら――俺は、どちらかといえば『狼しゃん』の方が好きだ。  しかし、それはある意味、俺がドMであるという事を暗に認めることになりかねない。 「あ……。すまない。あとで掛け直す」  ぶっきら棒に答えた俺を、夏樹がニヤニヤしながら見ていた。 「華城くん、この前はごめんね。驚かせちゃって……」 「いえ……。こちらこそ、いろいろとご迷惑をおかけしてすみませんでした」  礼儀正しく頭を下げる彼の脇腹を小突きながら、俺はこれ以上の長居は危険だと察し、入口に足を向けた。 「――上手くいったみたいで良かったね」 「おいっ!」  夏樹の余計なひと言に、俺は勢いよく振り返り声をあげた。 (そんなこと言ったら、俺が夏樹にバラしたみたいで、何となくイメージが悪くなるだろ……)  マズイなぁ……という表情を隠さないまま、俺は上目づかいでちらりと華城の方を見た。  しかし、彼はいたって普通に大したリアクションもなく微笑んでいる。  彼が乞ういう顔をした時は決まって、あとで『お仕置き』が待っている。  どんな酷い事をされるのかと、ゴクリと唾を呑んだ時だった。 「――これからも折原さんにはお世話になると思いますので、よろしくお願いします」  予想もしていなかった華城からの丁寧な挨拶に驚いた夏樹は、振り返ったままフリーズした。  そんな彼女を見ながら、俺は華城の後ろに立ち、ギュッと握りしめていた拳に嫌な汗をかいていた。 (彼女に余計なこと、言うなよ……) 「彼が折原さんと一緒であれば、俺も安心できますから。浮気しないように見張ってていただけますか?」 「おいっ!」  今度は華城に向かって声をあげた。  頬がカッと熱くなり、もう恥ずかしくて顔があげられない。  夏樹を俺の見張りに使うとか……ありえないだろ! 「了解~。時々、飲みに連れ出すけど、いい?」 「ええ。でも、ちゃんと帰してくださいね」 「責任をもって華城くんのもとに帰すから任せて! あぁ……これ以上惚気られたら、仕事出来なくなる!――あ、ちょっと待ってて」  突然、何かを思い出したかのように、アップにした栗色の髪を揺らしながら積算部のフロアに戻った彼女は、すぐに三〇センチ四方の薄い箱を手に戻ってきた。  丁寧に和紙で包装された箱を俺に差し出して笑っている。 「これ。有名な老舗の和菓子屋『華城庵(かじょうあん)』のみたらし。部長が出張に行って買って来てくれたんだけど、あまりにも多すぎて消費出来ないから、一箱……営業部に持って行って食べて」  俺はその店の名に弾かれたように顔をあげる。 「マジかっ! 俺、それ好き!」  杉尾家は父の仕事の関係上、業者からの差し入れ――特に菓子類に関しては、小さい頃から事欠くことがなかった。  各地の名産品や老舗の菓子、時には限定品なども貰っていただけに、俺の舌は自然と肥えてしまった。  特に、地元では名店と名高い『華城庵』の和菓子は、甘さも上品でシンプルながら奥深い味わいが特徴だ。俺独自のランキングでは常に上位をキープしている。つまり、大好物なのだ。  それまで、夏樹や華城の言動に一喜一憂していた気持ちが一気に払拭され、夏樹から受け取った箱を大事に抱えた。 「女子みたい……」 「何とでも言え! わざわざ営業のみんなに配らなくても、俺一人で食べてやる」 「杉尾! ちゃんと営業部のみんなに分けてねっ」  下心を完全に読まれ、夏樹に釘を刺されて項垂れていると、それまで余裕気に微笑んでいた華城から笑顔が消えていた。 「どうした?」 「あ……そう言えば。『華城庵』って華城って書くじゃない? 華城くんの親戚とか?」 「――いえ」  短く答えた彼は何事もなかったかのように、夏樹に「ありがとうございます」と礼を言った。  そんな彼が気にはなったが、今の俺は早くこの菓子を食べたいという欲求に勝てずにいた。 「華城、フロア戻るぞっ」  嬉しさのあまり足取りも軽く歩き出した俺の後ろを、なぜか重い足取りでついてくる華城。  階段をのぼりかけて振り返ると、不機嫌そうな目で俺をじっと見ていた。 「お前、さっきから変だぞ?」 「――お前。それ、好きなのか?」  不意に姿を露わした狼に、跳ねた心臓をぐっと掴まれる。低い声で、唸るように呟く華城は、見るからに機嫌が悪い。 「好き……だけど」 「俺と……どっちがいい?」 「バカか……。そんなの比較対象にならないだろっ。和菓子に嫉妬とかあり得ないしっ」  呆れるのを通り越して、思わず笑ってしまった俺。  でも、彼の機嫌はますます悪くなっていったことは言うまでもない。 (そんなに和菓子が嫌いなのか?)  何でも来い! の見かけによらず、意外な弱点を発見したとほくそ笑む。  そんな彼を放置し、俺は五階にある営業部のフロアへ階段を一気に駆け上がった。 *****  その夜――。  未だ機嫌が直らない華城のマンションに上がり込んだ俺は、スーツの上着を脱ぎ捨てると、ベッドに寝そべった。 「なにを怒ってるんだよ? お前らしくないっていうか……。そんなにあの和菓子が嫌いなのか?」 「別に――」  ノロノロと上着を脱ぐ彼には、いつもの勢いが感じられない。  やっと二人きりになったというのに、何となく寂しくもあり拍子抜けを感じた俺は、ネクタイを引き抜きながら、彼の香りが染み込んだ布団に顔を埋めると小声で言った。 「――狼しゃん」  俺の声に即座に反応した、鋭い光を湛えた黒い瞳がちらりとこちらを向いた。  スーツを脱ぐ華城の手が一瞬止まる。  俺はゆっくりと起き上がると、ベッドに両手を付きペタリと尻をつけて座った。  そして――。 「僕はもうベッドの上だよ。狼しゃんはご機嫌ナナメだね?――僕のせい?」  小首を傾げておどけてみせると、華城は参ったというように前髪をかきあげてベッドに腰掛けた。  俺の頬に手を添えて、優しくキスをしてくれる。 「どうすれば機嫌なおる? 僕……食べたら、なおる?」  誘うように舌を伸ばして、彼の歯列をそっとなぞる。  これは決して演技ではなく、ここ数回のセックスですっかり習慣づいてしまったこの口調。  一日中気を張って仕事して、ベッドに上がったと同時に全てを解放させる。  大好きな男には全力で甘えたい。そして……甘やかされたい。 「玖音……。お前のせいじゃない。心配かけたか?」 「ちょっとだけ不安になった……。騎士、俺のこと怒ってるのかなって」 「お前を不安にさせた悪い狼にお仕置きするか?」 「――するっ!」  やっといつもペースに戻ってきた華城に、俺は抱きついて彼の首筋にやんわりと歯を立てた。  香水と汗が混じり合い、フェロモンとなって俺を魅了する。  その香りに溺れる前に――今夜は俺が誘う。  獰猛な狼も手懐けてしまえばこちらのものだ。底なしに優しく、俺が満足するまで愛情と快楽をくれる。 「騎士……。あ……愛……して、る」  顔を見れば憎まれ口ばかり。でも、もう女王(クイーン)の毛皮は脱ぎ捨てた。  滅多に自分から口にすることのない言葉を、心を込めて紡ぐ。 「俺もだよ……玖音」  それに応えるように、柔らかな声音が鼓膜を震わせる。  何度も確かめるように囁き合い、互いの唇を貪る。  さらりとしたシーツに不意に押し倒され、俺たちは微笑みながら見つめ合う。  ワイシャツのボタンを外す長い指先を掴んで、それを自身の口元に運ぶ。何かを強請るように舌先で舐めると、華城の野性味を帯びた黒い瞳が不敵に輝く。  薄い唇にニヒルな笑みを浮かべて「俺の可愛い子ウサギちゃん……」と低い声で囁いた。  やっぱり――この男はかっこいい!  俺は彼の手を強く握りしめた。  誰にもあげない――。  だって……俺だけの狼しゃんだから。 *****    女王に忠実な寡黙で真面目な大型ワンコは、獰猛な狼へと変わる。  そして、傲岸でワガママな女王は自分を強く見せるための獣の毛皮を脱ぎ捨てて、フワフワのラビット・ファーの毛皮を纏い、可愛い甘えん坊の子ウサギへと変わる。  そう――ベッドの上では下剋上。  でも……。彼の腕の中で、最高の安らぎと甘い愛情を与えられて眠る俺は、精悍な騎士(ナイト)に守られる女王(クイーン)に変わりはない。  彼のために女王(クイーン)であり続ける意味――それが俺に出来る最大の愛情表現だから。                                          Fin

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