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第1話

 もう日付も変わろうかという時間なのに、稽古場には人の気配がある。新浪葉介はそっと隙間から覗きこんだ。舞扇をかざすように優美に踊るのは佐竹俊樹だ。新浪流家元の愛弟子としてその技を受け継ぎ、更に自分の中で昇華させていると評判の男であった。 その彼が、静かに舞っている。 (俊樹さん、本当に綺麗だ・・・曲がないのに、琴の旋律まで聞こえてきそうだ。) 薄暗い稽古場にそこだけ灯りが差しているようだ。花吹雪まで舞いだしそうにさえ見える。  新浪流家元であった父・新浪荘泉がこの世を去った。その通夜の晩も、筋が狂わないようにとああやって踊っているのだ。葉介は物音を立てないようにこっそり物影から俊樹の舞う姿に魅入っていた。 彼は新浪流家元の家に長男として産まれ落ちた瞬間から、人生が決められていた。 踊りの道を極め、将来は家元として新浪流一門を統べる人物とならなければならない。そのため双子の姉である桜子と共に大事に育てられ、3歳の時に初めて稽古場に入った。同年の子どもといえば桜子ぐらいしか知らず、はにかみやの葉介は稽古場で年かさのいったお弟子達が注目していることにすっかり動揺して半泣きでパニック状態にあったと大人達がいつまでも語り草にしていたのだが、その中で彼がただひとつ覚えていることがあった。 幼年部の小さなお弟子さんの中に、ひときわ麗しい少年が入たことを。 葉介の母は、双子の姉である桜子によく面差しの似た美人で、小さいながらに「美しいお母様」が自慢であったのだが、その少年の美しさはそれとは違うオーラを放っていた。手本の舞いを一差し舞う姿は、可愛いながらも将来の片鱗をうかがわせる非凡なものが既に見え隠れしていた。 (まるで、ご本に出てくる妖精さんみたい) それが、俊樹との出会いであった。 踊りの世界では、父である新浪荘泉を尊敬していた。先代を襲名した後もその名に矯ることなく新境地の開拓に余念がなく、時に斬新な発想で踊りを解釈すると評論家たちの評判も良かった。その後継者として葉介と桜子は注目を集めていたし、自然と二人をとりまく周囲も、それにおもねる者と斜に構えて必要以上に厳しい批評をする者、小さいながらに複雑なしがらみの中に生きる事を余儀なくされていた。姉の桜子は利発な質で、おませな女の子にありがちな言動で大人を軽くあしらっていたが、葉介はそんな器用さは持ち合わせていなかった。 将来の家元となるからには、自立してもらわないといけない。そう心配した両親は俊樹に葉介を任せることにした。俊樹のようなしっかりものの「兄代わり」がいれば、それを手本に葉介も強くなれるだろう。 その日から、俊樹は葉介の影のようにいっしょについて行動することとなった。いや、むしろ葉介が俊樹にいつもくっついて歩いていたという方が良いであろう。美しい兄ができたようで嬉しくて、ずっとその背中を見て大きくなった。いつしか背の高さも同じになったのだけれど、見上げるような、憧れであることには変わりなかった。

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