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第2話
そんな自分の気持ちが恋だと気づいたのはいつ頃だっただろうか。いや、今でも自分ではそうとはっきり認められずにいて、きっと憧れの延長線なのだろうと何度も自分を納得させようとした。
だが、否定すればしようとするほど胸が苦しくなるような、体の内で何かが熱く燃え上がって行くのが自分でも良く解った。
「葉介君、おはようございます。」
朝は俊樹が起こしに来てくれる。地方の教室からその天賦の才を見こんだ幹部が東京の本部で習うことを勧め、始めは新幹線で通っていたのだが、葉介の「お守」を拝命してからは、新浪家の屋敷内に下宿し、同じ学校に通うようになった。
「俊樹ちゃんは、眠くないの?」
「眠いよ。さ、早く着替えて稽古に行こう。」
床が凍りつくほどに静まり返った稽古場に行き、稽古をつける。吐く息が白い他は音もなく、ただ静かに舞い、汗を流した後に朝食を摂ることが二人の日課になっていた。
「宿題は済ませたの、葉介さん?」
「俊樹ちゃんに、教えてもらったんだよ。先生より、解りやすく教えてくれるんだ。」
「俊樹さんは、お勉強もとてもお出来になるそうね。先生が誉めていらしたわ。」
「ありがとうございます。」
「ママ、葉ちゃんだって授業中先生の話聞いてないんだもん。ぼんやりしちゃってさ。」
「桜子ちゃん、見てたの?」
おませな桜子にやりこめられてタジタジになっていると、俊樹がにこりと微笑んでいるのが目に入った。
「朝の稽古で眠くなったの?授業に差し支えるなら少し時間を減らそうか?」
「ううん、大丈夫。」
珍しく葉介が素早く切り返したのでみんな一瞬きょとんとしてしまい、葉介は恥ずかしくなってうつむいてしまった。
朝どんなに眠くても、稽古に出れば俊樹と一緒の時間を共有することができる。言葉を交わす時間が短くても、顔を上げるとふと目が合う一瞬があって、その後にっこり微笑んでくれる時があると、たまらなくドキドキすることがある。
そんな日は学校でもついぼんやり思い出していることがあるから、桜子に見つかってしまったのだろう。
(でも桜子ちゃんは、僕の気持ちまでは気づいていないでしょう?)
彼女は聡いから、そんなこと知ったらはやすに違いない。キモイっていうかもしれない。
いや、怒るかも。だって、この間大人たちが話しているのが聞こえたけれど、俊樹ちゃんはいずれ桜子ちゃんのイイナズケになるって。よくわからないけれど、きっとそうなっても僕は俊樹さんの傍にいられるんだよね。
学校に行く車の中でも、俊樹は分をわきまえて葉介との距離を保っていた。何も考えずに後部座席に潜りこむ二人とは対象的に、俊樹は助手席で陶器の人形のようにじっと座っていた。父が子どもの時に通学途中で誘拐されかかったことがあって、何か遭ってからでは遅いからと徒歩での通学を認めてくれなかったのだが、葉介にはそれが残念でならなかった。外を歩くのであれば、俊樹と横に並んで手をつないで、春の桜並木を、夏の夕涼みを歩けるのに。稽古は厳しかったけれど、その合間の短い幸福な時間を思い出す度に、鼻の奥がツン、となるような寂しさが葉介を包んだ。
中学に入り、桜子と校舎が別になると、俊樹はこれまで以上に葉介を気遣ってくれているように見えた。さすがに車通学は恥ずかしいので、一緒に屋敷を出て地下鉄で通うようになると、駅の雑踏の中にいるのに二人きりの時間が以前より濃くなったような気がした。
「うぃーっす。」
途中の駅で既に声変わりした野太い声で同じ制服を着た背の高い少年が挨拶しながら乗りこんできた。
「俊樹、弟?」
「いや、家元の・・・。」
「弟弟子です。」
「ああ、おまえチントンシャン踊ってんだっけ?こいつもか?」
「新浪葉介です、一年橘組です。」
「おう、俺は右田秀一。」
俊樹のクラスメートである彼の前で、彼の主従関係を見せたくなかったから、葉介は慌てて自己紹介をした。いくら自分が家元の子でも、踊りの世界では俊樹の方が先輩で、それ以上に技量では数段上なのだから。
体格も良く、歯に衣着せぬ言動で少し不良っぽい匂いがする右田を同級生は怖がっていたけれど、葉介はこのぞんざいそうで実は思いやり深い右田が気に入ってた。右田がいると、俊樹がいつもとは違う普通の15才の少年の表情に戻るところが見られる。それは嬉しい発見でもあったが、そんな自然の笑顔を自分の力で抽き出す事ができないことにも気づいていただけに、そんな時は二人の間に距離があるように感じた。
中学を終えるまでに俊樹は既に名取りになっていた。氏より育ち、とは良くいったもので、一つ屋根の下で共に暮らすようになってから彼の舞いは更に活気を帯びていた。時には幼年部のお弟子に稽古をつけたり、また名取りでない葉介がまだ足を踏みいれることを許されない集まりにも招ばれる後ろ姿に軽い嫉妬を覚える自分がいた。
自分だって背も高くなったし、声変わりだってした。踊りだって、あと二つ級が上がれば名取りになれる。だが、年長のお弟子さんや稽古に通う人たちにとって自分はいつまでも「可愛い葉介ちゃん」のままである事が不満であった。どうあがいても俊樹との間には隔たりがあり、自分は名取になっても俊樹のように典雅に舞うことはできないことを十分すぎるほど解っていた。
桜子だって級は自分と同じなのに、最近とみに美しさを増して大人びて、舞う姿は妖艶ですらあって、みんなが一目置くような存在になっている。
(やっぱり、桜子ちゃんは。)
俊樹さんと”イイナズケ”だから。
もう自分にはその言葉の意味が解る。将来の家元夫人として、流派を切り盛りしていくんだものね。桜子は近所の学校でも美人で有名で、あちこちの「ミスター×校」がモーションをかけるのだが、全く意に介さないのも、既に家が決めた道があるからだろう。そんな事を重荷に感じるそぶりもなく、普通の女子高生然とした暮らしと、踊りの稽古に没頭する暮らしを涼しげに両立させ、めきめきと実力をつけていた。
二人の母はとある名家から嫁いできていたのだが、主に経理や幹部会といった流派本部の仕事を受け持ち、踊りにはほとんどノータッチだったので、実質桜子が父の下で取りまとめているようなものだった。自ずと、「若師匠」と呼ばれていた俊樹との接点も多くなる。稽古の合間や、発表会の度に二人が仲良さそうに話している姿を見かけると、見境なくわめきちらしたいほど苦しい思いに包まれた。周囲が「家元の御曹司」として自分を持ち上げることが、よけい苦しさに拍車を掛けた。
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