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第一章・5

 刺身をビールで流し込みながら、楓はずっと考えていた。 (今日こそ、言うんだ。大翔くんの家庭教師を、もう辞めたいって)  まもなく大翔は3年生になる。  大学入試を控えて、学習はぐんと濃密になる。  そして、それを見る家庭教師の責任も、重くなる。  もし、不合格だとどうなるか。 (縛られて、海に沈められるかも……)  そんな恐れを、楓は常に抱いていた。  元はと言えば、ヤクザの息子の家庭教師を引き受けた自分に非はあるのだが。 (あの時は、難波さんが土下座して頼んだんだっけ)  家庭教師募集に誘われて、やって来たのは極道の屋敷。  大慌てでお断りし、失礼して帰ろうとした楓を止めたのは、征生の言葉だった。 『大翔さんがヤクザの息子と言うだけで、他の人間もみんな断って行きました。もう頼れるのは、先生しかおりません。どうか、どうかお願いします!』  そこまで言うなら、1年だけ。  そんな気持ちで引き受けた、家庭教師。  もうすぐ、その1年目がやってくる。 「あの……」  意を決して、楓は組長に話しかけた。

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