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ベサメムーチョ!(2)
粗熱の取れたパンケーキを二枚重ね、その上にドーム型のバニラアイスを乗せる。
ホイップクリームを三角コーンの形に絞り出し、その上から真っ白なパウダーシュガーの雪を降らせ、最後にキャラメルソースでデコレーションすれば、三時のおやつの完成だ。
「理人さん」
「ん?」
「そろそろひと息入れませんか?」
ピンと伸びていた背中がふるりと震え、俺を振り返る。
出来たてほやほやの『バニラアイスとキャラメルソースのパンケーキ(生クリーム添え)』を視界にとらえると、ふたつのアーモンド・アイが一気に蕩けた。
「今日もすごいな。カフェのやつみたい」
「実際カフェのレシピで作りましたからね。ステイホーム支援で無料公開されてて」
「ふぅん?」
うーん、と気持ちよさそうに伸びをして、理人さんはパタンとノートパソコンを閉じた。
「手、洗ってくる」
「はい。あ、コーヒーでいいですか?」
「うん、ありがとう」
はにかんだように笑い、理人さんは洗面所に向かう。
その後ろ姿を見送り、食器棚からマグカップをふたつ取り出した。
理人さんが在宅勤務になり、今日で一週間。
俺も楽器店のピアノレッスンがすべて休講になった上、二週間前からは店舗自体も臨時休業期間に入ってしまったから、ふたりで楽しい『巣ごもりライフ』を満喫中だ。
在宅勤務になってからも理人さんは忙しそうにしているし、さすがに残業とまでは行かないけれど、いつもの定時まではずっとパソコンと睨めっこしている毎日。
だから必然的に、食事の用意や掃除、洗濯などの家事に勤しむのが俺の日課になっていた。
いわゆる、専業主婦……あ、主夫か。
「いただきます!」
「いただきます」
理人さんは絶対にひと口では食べられそうにない大きさにパンケーキを切り分け、そのうちのひと切れを無理やりひと口で頬張った。
いっぱいに詰まった頬袋を満足そうに膨らませ、モグモグモグモグ……を繰り返してから咽喉を鳴らしてごっくんする。
すると目尻が垂れさがり、鼻の穴がわずかに膨らんだ。
ああ、かわいい。
理人さんのこの顔を見るためだけに、この一週間新しいレシピを開拓してきたと言っても過言ではないくらいに、かわいい。
「なんか餌付けされてる気分だな……」
「餌付け?」
「このまま佐藤くんに美味しいものばっかり食べさせられる日が続いたら、俺は確実に太るだろ。いい感じに肉がついてきて食べ頃になったら、佐藤くんが『実はメイン料理はお前だったんだよ』って笑いながら包丁をちらつかせて……」
「あ、なんでしたっけ、それ。お菓子の家の……」
「デッド・オア・アライブ?」
「プッ、それは絶対違うでしょ」
そんな殺伐とした童話は嫌だ。
「はー、ごちそうさま!」
「お粗末様でした」
ふたり分の食器をひょいっと持ち上げ、理人さんが席を立つ。
その背中をふたつのマグカップと一緒に追いかけた。
「理人さん、いいですよ。俺が洗っときます」
「え、でも……」
「仕事、まだあるでしょ?」
「んー……」
「ほんとにいいから。その代わり、早く終わらせて俺を構ってください」
「……」
「ね?」
「……わかった」
ほんのりと頬を桜色に染め、理人さんは綺麗に笑った。
ふたつの潤んだ瞳に導かれるように首を傾け、生クリームの甘い名残を携えた唇と唇が触れ合う――寸前、
「……っ」
近づいた距離が方向を変え、さらに遠ざかった。
「ごめん、その……トイレ」
「あ、はい……」
明らかにとってつけたような言い訳を残し、理人さんはそそくさと俺から離れていった。
トイレの扉が、音を立てて世界を遮断する。
なんでもないフリをしろと言い聞かせても、泡を操る手が震えた。
どう考えても、キスを避けられた。
しかも、今回だけじゃない。
こんな風に避けられるようになって、もう六日目だ。
在宅勤務初日はキスもしたし、なんならセックスだってした。
それも朝ごはんと昼ごはんと夕ごはんの後、それぞれ一回ずつ。
ところ構わず覆いかぶさる俺を「勤務時間中だから」と口では咎めながら、伸ばされた腕はまるで俺を求めるように背中に縋り付いてきた。
それがたまらなく嬉しくて、愛おしくて、溢れ出る気持ちが抑えられなくて、何度も何度もキスを交わした。
寝る前のベッドの中でだって、最後まではいかなかったけど、いっぱいイチャイチャした。
でも翌朝目覚めたら、理人さんが一切俺に触れなくなっていた。
言葉は普通に交わすし、笑顔だって惜しみなく向けられる。
ただ口づけしようした途端、表情筋が強張り、体温はあっという間に遠ざかる。
俺がなにかした?
それとも、なにかをしてない?
もしかして、一緒にいるから?
ずっと一緒にいすぎて、もう嫌いになった――?
だめだ。
ネガティブな考えばかりが浮かんでは蓄積されていく。
だって、分からないんだ。
こんなにも近くにいるのに、理人さんが分からない。
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