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破局4

 居酒屋で、慣れない酒を浴びるように飲み、潰れる彼に同僚は何も言わなかった。  恋人が男だったことも、何も触れなかった。  黙って、隣にいてくれた。  居酒屋を出る時、彼を背負いながら同僚は呟いた。  「オレは友達だからな、忘れんなよ」  彼はその言葉に涙は出さず、嗚咽した。  同僚から友達になった瞬間だった。  「・・・少なくとも、オレには友達がいる・・・」  彼は友達の背中で呟く。  「ああそうだ」  友達が笑った。  「お前はいい男だよ、あんな男とは比べものにならない位、男らしい」  友達が本気で言ってくれているのはわかった。  「ありがとう」  彼はもう、友達に声を出して話しているのが当然のように思っていた。  「・・・オレね、もう、二度と歌わない」  彼は初めて涙を流した。  涙が友達の背中を濡らしていく。  「そうだな・・・歌わなくても、お前はお前だ。オレは好きだぜ」  友達は優しく言った。  彼の中で何かが壊れ、声を上げながら泣き続けた。  「好きなだけ泣いとけ・・・」  友達は優しい。  「でも、明日の現場は出てくれよ。一人じゃ無理だ」  その辺は厳しい。  「・・・分かってる」  彼はしゃくりあげながら言った。  友達は笑う。  友達は彼を家まで送り、彼が眠るまでそばにいてくれた。  彼は眠りについた。  悲しみから逃げるように。  眠った彼を確認して、友人は外に出た。  夜には二人で同じ現場に入る。  何も考えないで働く方がいい。  夕方車で迎えにこようと思った。  鍵を締め、ドアの新聞受けから玄関に落とした。  胸が痛んだ。  15才で二人とも社会に出た。  生きて行くためには働くしかなかった。  天涯孤独で、尖ってて、世の中全てを破壊したかったガキだった。  真面目に働くのが少年院に入らないで済む条件だった。  くだらない仕事だと思った。  そこで出会ったのが彼だった。  口の利けない、ビクビクしたガキ。  でも、思いの外意志が強くて。  屋上からロープで下ろされるのも、自分は怯えてしまったのに、彼は怖れずやってのけた。  思いの外隠した顔が美しいことも知った。  こっそり歌う歌の美しさも。  そんな風に。  少しずつ知っていった。  母親が入院したと聞いた時も。  母親か亡くなったと聞いた時も。  彼は顔こそ隠してはいたけれど、伸ばした背中のまま、必死で彼は立っていた。    でも、今回の彼は潰れていた。  「・・・母さんが亡くなる時も・・・覚悟はあったんだ。今回は不意打ちで・・・こんなに一瞬で全てがなくなるなんて」  彼が呟いた言葉を忘れない。  可哀相に。  でも、お前はファイターだろ。  格闘家である友人はそう思う。    何度倒れても立ち上がる、オレ達はファイターだろ。  だから心配はしてない。  胸は痛む。  でも、お前は大丈夫だ。  オレ達は天涯孤独で、世間から見れば普通じゃないところに色分けされるんだろ。  でも、お前は大丈夫だ。  大丈夫だ。  大丈夫なんだ。  オレはお前の友達だ。  だから、大丈夫だ。    根拠なく友人は彼は大丈夫だと信じた。  信じたかっただけかもしれない。    団地を出て歩く。      タクシーで帰るしかないだろう。      「待て!」  怒鳴りつけられた。  よくよく、ふざけてんなこの男。  友人は思った。  青い顔で男が立っていた。   無視して歩く。  オレが相手する必要などない。  男は追いすがる。  腕を掴まれた。    「触んな」  友人は睨みつけた。  男は離さない。  小柄な友人を侮っていると言うよりは必死なのだとは思った。  背も高い、ジムなどでも鍛えていそうな身体。  ぱっと見、小柄な友人は簡単にあしらえると思えるだろう。  ふざけんな。  友人は思う。  「お前は、あの子の何だ。あの子をどうした、あの子に何かしたのか」  嫉妬だとすぐわかる。  帰ってくるのを待ち構えていて、友人が背負って帰ってくるのを見たのだろう。  眠りにつくまで、一時間位は部屋にいた。  出てくるまで、色々想像しながら、男は待っていたのか。  彼の服を脱がせ、その肌に友人が触れることや、あの唇が奪われる様などを。  焼け付くように嫉妬しながら。  「・・・オレは友達だ。あいつは大事な友達だ。お前と一緒にすんな、おとなしく離せ」  友人は静かに言った。  怒りをためながら。  「・・・触ったのか!」  嫉妬に狂った男にはマトモな話もできない。  「・・・あのなぁ」  友人はため息をついた。  友人の膝が男のみぞおちにめり込んだ。  仮にも友人はプロの格闘家だ。  それだけではとても食べられないけど。  ジムでちょっと身体鍛えてる程度のヤツなど造作もない。  男は声も出さずに地面に倒れ込んだ。  手加減はしたつもりだが、出来ていたかは分からない。  「あばらの一本くらいイっとくか?おまえダメだわ」  冷たい声で友人は言った。  「アイツのがよっぽど男らしいぜ。アイツはお前のおっかなそうな前彼だってぶっ飛ばしてるからな」  友人の言葉に男は驚いたように顔を上げた。  あの男と彼が会ったことは知っていたけれど。  そんなことがあったのは知らない。  彼が?  あの男を?  「・・・お前アイツの何を知ってるわけ」     友人はため息をついた。  コイツに引導渡すのはアイツの役目だ。    だけど、コイツはダメすぎる。  少しだけなら教えてやってもいい。  「お前、アイツと会ってどうしたいの」   聞いてみる。  「・・・やり直したい。許してほしい」  男は言った。  即答だった。  離れたくなどなかった。  「そう。お前は【許してくれとお願い】するだけなんだな?お前のすることは【お願い】だけなんだな?アイツを傷つけてできることはそれだけなんだな?」  これで分からなけば義務教育すらマトモに受けていないオレ以下だぜコイツ。  男は黙った。  どうやら少しはわかったらしい。  「じゃあ、どうすれば・・・許してもらえる・・・」  男は呟く。  「お前がどうすればいいのかなんてオレが知るわけないだろ。・・・考えろ。お願いする以外でな」  友人は吐き捨てた。  男は座ったままだった。  振り返ることなく友人は歩いて行った。

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