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覚醒1

 「君のやりたいことはね、ボクもねしたことは、あるのよ。誰にでもしていいことではないけどね」  会長に相談した日、会長はそう言った。  「・・・隠れているものを引きずり出すんだね」  会長は微笑んだ。  彼と友人はスパーリングの準備をしていた。  男は彼のグローブをはめてやり、ヘッドギアもしめてやった。  会長が友人の方のグローブをはめてやっていた。  気がつけば、彼の方のコーナーに沢山の練習生や選手が集まっている。  「脚使ってな」  「パンチ合わせていけよ」  声をかけられている。  皆、応援してくれているらしい。  友人と彼が、ガチでスパーする、ガチスパをするとのことで、皆練習を中断、見守ることにしたらしい。  「おい、こっちも応援してやれよ~!」  会長が笑う。  彼の方を皆が応援しているからだ。  「お前らみんな覚えとけよ!オレの応援しなかったこと覚えておくからな!」  会長以外よりつかないコーナーで友人が喚いた。  「いや、だってなぁ」  「どっちかと言えばこっちを応援するよなぁ」  声がする。  彼は人気者らしい。  男は少し胸がざわついた。  いや、結構。  僕のなのに  そう思ってしまう。  彼の顔にワセリンを塗る。  男の指が震える。  自分で言い出したが、彼をこんな目に合わせてしまうことが怖い。   彼が殴られるのが怖い。  「大丈夫だよ」  彼が真面目な顔で言った。  コーナーの向こうに立つ友人を見つめる。  でも、それは友人に向けるような目ではなかった。   これから向かい合う敵にむける顔だった。  男は初めて彼のそんな顔を見た。  「・・・かっこいいな、君」  思わず呟く。  「あのね」   彼が苦笑する。  「いや純粋にそう思っただけ」  男は心から言った。  惚れ直してしまった。  三分のラウンドを三回。  試合形式のスパーリングがもうすぐ行われる。  レフェリーはこのジムには一人だけしかいないトレーナーだ。  会長とトレーナー二人で指導をし、そして彼や友人のような選手が手伝う形でジムは運営されていた。  それほど珍しい形のジムではなく、昔はこんな形のジムばかりだったと会長はいっていた。  トレーナは選手を辞めたばかりの、30半ばの男だった。  かなりいいところまで行ったらしい。  彼や友人の兄貴分だということだ。   勿論、男はしっかり仲良くしている。  彼の周りから固めて行こう作戦は続行中だ。  今回のスパーリングの相談もしてある。  「・・・どうだろうな」  トレーナーはあまり賛同出来ないと言った口振りだった。   「そこまでしてする必要があるのか?あの子は今で十分だ。本人が望んでないじゃないのか」  トレーナーは言った。  その言い分はわかる。  だから、彼に起こっていることでわかりやすいことだけ、味覚や視覚異常について説明した。  そしてそれが精神的なものなら来てると言われたことを。   そして、彼が色んなものを閉じ込めてしまっていることを。  「・・・脱皮させんたいんだな」  トレーナーは言った。  「ええ」  男は頷いた。  「会長から聞いたんだろ。前にもそういうやり方で殻を破ったヤツがいるって。でもこのやり方は基本的には禁じ手だ。自分で破んなきゃいけないんだ、殻なんて。それが自分で出来ねぇヤツが弱いんだ。・・・それにそこまで強くなるのがいいこととは限らないぞ?殻むいて出てきたもんに苦しめられることになるかも知れないぞ。出てくるもんが、今よりいいとは限らないぞ」  トレーナーは言った。  「それでも、今のままじゃ彼は死んでいるのと一緒だ」   男は言った。  幸せに腐りながら死んでいるよりは、苛烈に生きて欲しかった。  「・・・それでさ、ウチのジムでそれをされた選手って誰か知っている?」  トレーナーはニヤリと笑った。  「人も殴れない臆病者にそれをした、と会長以外は言ってました。そんな臆病者のくせにそれでも強くなりたいって言うからって」  男は答えた。  その人はどうなったのだろう。  「それ、オレ」  トレーナーはニヤリと笑った。  現役時代は獰猛なまでのファイトで知られた選手だったと男は聞いていた。    彼の中から出てくるモノは何なのだろうか。  アラームが鳴った。  飛び出してきたのは友人だった。  身体を振りながら、踏み込んでくる。  身体を左右に揺らすのは的を絞らせないためだ。 そして、腕を回転ながら繰り出される連打は、攻撃でありながら、ディフェンスさせることで相手のパンチを出させない、防御でもあった。  早く、強い攻撃が彼を襲う。  彼が殴られる。  男の胸の鼓動が速くなる。  だが、彼はサイドステップでかわし、友人の側面をとり、そこからパンチを打ち込む。  綺麗なワン・ツーからのコンビネーションだ。  強いパンチではないが、友人は被弾する。  友人が反撃しようとする前に、彼はスッと友人横に回り込み、またパンチを放つ。  それも友人に当たる。  男は教えてもらった。  ボクシングは相手に対し、どこに立つのかが大事なのだと。   正面に立てば相手の攻撃を全てうける。  しかし、相手の側面に立てば、相手の攻撃を受けることなく自分の攻撃を当てられる、と。  それを彼はやってのけているのだ。  「自分のパンチを当てて、相手のパンチをもらわないって言うのがボクシングなんだよ」  そう説明してくれたのは彼だった。  「教科書通りだねぇ」  会長が男の隣りに来ていた。  「ホント綺麗なボクシングだね、ボクらの世代はこういうボクシングが好きでねぇ、パンチがあればリカルド・ロペスっぽいのにねぇ」  男にはわからないボクサーの名前を会長は言い始めた。  「ボクシングが科学だっての見てたら分かるでしょ」  会長は笑う。  「はい」  男は頷く。  ただの殴り合いだと思っていたボクシングは、しっかりした理論に裏付けされてた、戦術や戦略のゲームなのだと男は知った。   「練習だよね、気の遠くなるような反復練習」  会長は言う。   イメージし、繰り返し繰り返し練習する。  それが、この動きをうむ。  無駄のない、美しい動きは速い。  単純な身体の能力のスピードではない。  毎日毎日、少しでも速く動こうと練習しつづけた結果だ  繰り返しの練習が、筋肉に神経が伝える速度をあげることは科学的にも証明されている。  また友人がパンチを彼に撃とうとした。  彼は頭を僅かに動かし避ける。  友人の拳が顔の横を通り過ぎていく。  友人が空振りをし、その腕が伸びきった瞬間、彼のパンチは友人の顔面を捉えた。  友人の顎が跳ね上がり、友人は一瞬ぐらついた。    カウンターが決まったのだ。  相手の攻撃の力が最大のところで、狙い撃てば、相手の力も利用出来るため、強いダメージを与えることが出来るのだ。  彼のカウンターは完璧だった。  「いつものスパーならここで止めるね。何故ならスパーは練習だからだね。不必要なダメージはいらない。それにスパーはあくまでも練習だから、課題の答えが見つかるのなら、別にやられたっていい。でも、今日のは違う」  会長は言った。  ぐらついたけれど、友人は踏みとどまった。  そこから彼へパンチを伸ばす。    「試合じゃ相手は止まらないかもしれないわけだ」  会長は言った。  初めて友人のパンチは彼のガードの上からとは言え、彼に当たった。  「でも上手いね。マトモにくらったら、アイツのパンチはガードごと壊す。ちゃんと攻撃を吸収している」  攻撃の瞬間に膝を柔らかく使うことで、攻撃の威力をころしているのだ。  「これも、練習のたまものだよねぇ」  会長は感心した声をあげる。  友人の攻撃が雑になった瞬間、彼はまたサイドにステップし、パンチを繰り出す。  それは当たる。  友人が反撃して来る前にまたサイドに移動、パンチを撃ちこみ、また移動する。  流れるような動きが美しく、彼はまるで踊るようだ。  格闘技をしているというには、あまりにも美しかった。  「ヒットアンドアウェイってね~こういう風にボクシングすることをアウトボックスって言うんだよ、ホント綺麗なボクシングだ」  会長が嬉しそうだった。  「でもね、このままじゃだめなのよ。あの子にもアイツにも」  会長は呟いた。  「プロだろ!プロらしくやってみせろ!まだ試合にも出てないヤツに一方的にやられてるんじゃない!」  会長は友人にむかって声を飛ばした。  友人の中で、何かのスイッチが入った。  

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