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覚醒2
彼はサイドに回り込みパンチを放つ。
パンチは綺麗にあたった・・・はずだった。
ガツン
彼は頬に友人の拳を感じた。
えっ、攻撃したのはオレのはず、なんで?
それでもダメージはさほどでもない。
急いで、立ち位置を移動し、また友人へパンチを放った。
ガツン
ガツン
今度は二発パンチを受ける。
思わずふらついた。
なんでだなんでた。
オレは何も間違っていない。
ちゃんとサイドから回り込み、パンチを撃った。
彼は混乱した。
「混乱してるねぇ。喧嘩とかしたことないんだろうねぇ・・・考えもつかないんだろうね、優しいから」
会長がニコニコしながら言う。
「まさか殴られながらでも殴りに来るなんて思わないんだろうね。スパーでそれやったら練習にならないからそんな真似はさせないしね、でも試合ならそうしてくるし、してもいい」
会長の言葉に男は複雑に頷く。
友人は彼のパンチをよけられない、パンチを貰った後では逃げられてしまうため、撃たれると同時に彼へパンチを出しているのだ。
パンチを貰ってしまうが、パンチを放つ瞬間は相手もパンチの当たる位置にいるため、こらならば確実に当たる。
「これだけじゃ、単なる相打ちだけどね、まず相手の調子を崩していくことが大事だからね。その辺はアイツは良く分かっている」
会長は笑った。
屈託のない笑顔だった。
男はこの人達にとって殴り合いなど単なる日常に過ぎないことを思い知らされる。
それでも彼はやらなければならないことをしようとする。
立ち位置を変えて、パンチを放つ。
ガン ガン ガン
今度は三発まともにくらった。
動揺して、攻撃か甘くなってくるのを見透かされたのだ。
友人のパンチは強い。
彼はパンチに合わせてガクンガクンと頭を揺らされた。
「スパーならここで止める・・・でも今日は行くよ」
会長は言った。
男は何も言わなかった。
大切な人が目の前で殴られている。
でも、それを望んだのは男なのだ。
友人は容赦なかった。
脚が止まってしまった彼にパンチを、浴びせかけていく。
彼はガードこそしているが、もうパンチを殺すことはできない。
ガードごと身体を揺すぶられていく。
友人は獰猛な攻撃を続ける。
その顔がわらっている。
男はゾッとした。
「面白いでしょ、格闘家って。あの二人は親友。でも今殺し合ってる。少なくともアイツはね」
会長が笑う。
男は言葉もない。
彼はどんどん激しい攻撃に押し切られていく。
獲物を追い詰める歓喜の表情で友人は攻撃を強めていく。
「・・・教えてるからね。リングで向き合った相手を殺しに行けと。殺すのを止めるのはレフェリーの役目だと。レフェリーが相手を殺さないように止めてくれるから、レフェリーを信じて、安心して全力で殺しに行けと」
会長は言った。
男は知る。
ここは知らない世界だ。
「・・・ここは鬼の住処だよ。親友同士が殺し合う。親友を平然と殴れるアイツも鬼だし、その殴り合いで、あの子の中から鬼を引き出そうとするボクも鬼だし、でも、それを望んだあんたも鬼だ」
会長はニコニコ笑った。
その笑顔が今ではもう見た目通りのものには男はみえなかった。
彼はとうとう捕まった。
親友の拳は左わき腹にささり、そこからさらに顎をとらえた。
彼は崩れ落ちた。
マウスピースが吐き出され、苦悶の表情で膝をつく。
それを、いつもならほんの少し彼に異変が見られただけでも大騒ぎする親友が、まるで敗者を見下ろすように傲然と見つめる。
この男は誰だ。
男は思う。
知っている友人ではない。
「試合ならここで終わり。でも、これは試合ですらない。・・・そうでしょ?」
会長は男に笑いかける。
今、誰よりも真っ青なのは男だった。
倒れた彼でさえ男よりは顔色がいい。
テンカウントを告げるレフェリーと彼に会長は言う。
「・・・まだやれるか?」
彼はヨロヨロと立ち上がった。
唇を噛み締めた。
「まだやれます!」
彼は叫んだ。
ファイティングポーズをとる
ちょうどラウンドの終わりを告げるブザーが鳴った。
「後、2ラウンド。お前が止めると言うまでやるぞ」
会長は言った。
彼は頷いた。
次のラウンドは残酷ショーの開催だった。
ダメージの効いた身体はもう思うように動かない。
彼はサンドバックのように殴られるだけだった。
もう勝負は明白なのに、友人は攻撃の手を抜かない。
「試合のつもりでさせてるからね。敵として向かい合った以上は誰が相手でもそうする・・・それがアイツには出来る。アイツは鬼だからね。でも、彼はそれが出来ない」
だから、本当の意味ではボクサーになれない。
と会長は言う。
彼は殴られながらもそれでも反撃する。
だが、それは一撃程度の抵抗にしかならず、
また連打の中で撃たれていく。
必死でカバーはしているが、左わき腹から内臓にめり込まされるようにパンチは刺さり、鼻からは血が噴き出している。
目は腫れ上がって、ふさがりつつある。
最初は飛んでいた声援はどこにもなかった。
凄惨な光景に皆言葉を無くしていた。
「あの子は勇敢。本当に勇敢。どんなに強いヤツが相手でも立ち向かうし、あんなにボロボロにされても、引き下がらない。拳をかためるのよ。ウチで一番勇敢かもね。でもね、それだけじゃ足りないんだよね」
会長は言った。
「足りないね、殺意が足りない・・・全然足りない」
残念そうに会長は言った。
とうとう彼はまた倒れた。
レフェリーである、トレーナーが彼に聞く。
「・・・もう、止めるか?」
でも、彼は首を振った。
唇を噛み締めて、フラフラの脚を殴りつけながら立つ。
脚が言うことを聞かないのだ。
「根性もあるんだけどね・・・。でも、こんなにも好きに殴っている相手に殺意を抱けないようではダメだ、それが親友相手でもね、ここはリングの上だからね。アイツはあの子を殺しに来てるよ。もうそろそろ止めてもいいかもね」
会長は呟いた。
再開を告げられ、友人は親友にとどめを刺すために、飛び込んで来る。
彼を傷つけるために。
男はわからなくはない。
男も自分の舞台を完成させるために彼の曲を使った。
公表など彼は望んでいなかったのに。
傷つけるとわかってて使った。
「お前だって僕と一緒じゃないか」
男はつぶやく。
でも違うことも分かっている。
これは彼も納得していることで、自分がしたことは彼は絶対に納得しないことだと言うことを。
でも友人も男も、彼を愛していても、傷つけることが出来るのだ。
僕達は鬼だから。
残酷になぶられるだけのラウンドが終わった。
最後のラウンドだ。
でも、何もまだ起こっていない。
「・・・次で最後だ。いいか、相手を殺すつもりでやれ、やられっぱなしでいいのか」
会長がインターバル中に彼に声をかける。
彼はもう、コーナーにもたれて立っているのがやっとだった。
聞こえているのかも分からない。
こんなことをして無駄だったのかもしれないと男は後悔し始めていた。
ただ、彼を酷い目に合わせただけで・・・。
「やられっぱなしにはならない」
彼が言った。
目は強く澄んでいた。
そこに殺意はないことに会長は少し落胆する。
多分、しゃべり方かだるそうなのは、口の中がズタズタに切れているからだ。
マウスピースが飛んでからも殴られた。
おそらく口の中は、鼻からの血と口からの血で血まみれだ。
会長がさせたうがいの水は真っ赤だった。
「そうか」
会長は彼の頭を撫でた。
それでもこの子は勇敢だ。
会長は思う。
ボクサーではない。
でも、勇敢で善良な男だ。
それでいいんじゃないか。
「行ってこい」
会長は言った。
ブザーがなり、最後のラウンドが始まった。
彼は深く息をすった。
深く潜るために。
ここは水の中だ。
息が出来ない。
多分、片方の鼓膜が破れている。
目も良く見えない。
でも、わかる。
わかる。
わかる。
わかる。
わかる!!!!
彼は歓喜した。
向こうから友人がやってくる。
彼を殺すために。
それがわかる。
目でわかるのではなく、耳でわかるのではなく、音楽が聞こえた。
友人の殺意が音楽として彼の中で鳴り響いていた。
ああ、君は強い。
彼は微笑む。
それはリングには似つかわしくない顔だったかも、しれない。
友人の殺意は赤かった。
真紅のメロディーを彼は目で見、その身体の中に響かせた。
友人の攻撃がやってくるのがわかる。
メロディーが教える。
彼は攻撃をかわした。
たやすかった。
たくさんの真紅の線が見えた。
それが全て友人のこれから行う攻撃のコースであるとがわかった。
その線をよけるだけで良かった。
ほんの少し、身体を動かし、その線をよけるだけで。
友人のメロディーが鳴る。
彼は踊るように、そのメロディーに合わせ、友人の攻撃を避け続けた。
身体に鳴る音楽は官能的でさえあり、彼は音楽に陶酔した。
音楽が鳴り、ラインが現れ、それを避ける。
それはダンスだった。
友人のメロディーはとても美しい殺意で、殺意でありながら、そこには一ミリの憎しみもなく、だからこそ、鮮烈で突き刺すような輝きを放っていた。
真紅のメロディー。
彼は踊り続けた。
美しい殺意と共に。
音楽がなくても平気だなんて嘘だ。
だって今、こんなにも楽しい。
こんなにも、楽しい。
鳴り続ければいい、音楽が・・・。
彼は幸せだった。
これは。
これは。
男は言葉を失った。
「・・・違う方向に覚醒しちゃったねぇ」
会長もぽかんと口をあけて見ていたが、やっと言った。
彼は踊っていた。
友人の攻撃は猛攻だった。
それを、もう動くことのできない彼がロープにおいつめられたまま、かわしていく。
まるで友人の攻撃がわかるかのように。
その場で脚を止めたまま、上半身の動きと、ロープにもたれることで身体をそらすことだで、至近距離の攻撃を避けていく。
「 かよ」
誰かが言った。
超絶技巧の世界チャンピオンの名前だった。
皆、見とれていた。
彼は友人の攻撃に合わせて踊っていた。
うっとりとした表情からそれがわかった。
苦しんでいるのは友人の方だった。
こんな至近距離からの攻撃をしかも、足を止めたままなのに全てよけられているのだ。
有り得なかった。
「何か出てきちゃったねぇ・・・鬼ではないけれど。ボクサーとしてはこれではだめだけどね、ぜんぶよけても攻撃できないんじゃ。でも、これは・・・すごい」
会長は拍手した。
彼は踊っていた。
彼にはメロディーが見えて聞こえているのだ。
それに合わせて踊っているのだ。
聞こえなくてもその美しさは分かった。
彼の動きがその音楽の片鱗をみせていたから。
危うく、美しい。
男は見とれてしまった。
ジムにいた全ての人が声もなく彼を見つめ続けた。
彼は奇跡のように、全ての攻撃をかわしていった。
最後のラウンドが終わった。
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