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蜘蛛女の恋3

 女が帰ろうとマンションの一階に出た時、、青年が丁度帰ってきた。  まだ女がいたことに驚くかと思ったが、驚いた様子はなかった。  無性に腹が立つ。  「こんな時間まで二人にしていて、私があの人と浮気したとは思わないの?」  女は意地悪を言ってみる。  「そんなことしたらあの人、オレに捨てられて、たった一人で死なないといけなくなるじゃないですか。そんな度胸あの人にはないですよ」  彼は笑った。  なるほど。  もうすぐ死ぬと言うことが、あの信じるのが難しい男を信用させているのかと女は納得した。  「・・・私は本気だったわよ」  女は言った。  男を愛していた。  「・・・あの人が悪いんですよ。分かってないから。自分がどれだけ魅力的なのか、そんなに風に優しくされたら、好きになってしまうってこと全く解ってないから・・・」  青年は切なそうに言った。  それは女への同情の言葉ではなかった。  青年もまた、男を愛して苦しんだのだ。  愛さずにはいられなくなって。  それも地獄だ。  あんな男を愛するのは地獄だ。  女は悟った。  「ふふ、でもね、私はね・・・」  女は彼の顎を掴んだ。  背の高い女は小柄な彼より少し高い。  「一番欲情したのはあなたによ。・・・あなたとセックスしておけば良かったわ。あの人面白いことになったでしょうに」  半分以上本気で女は言った。  それが一番あの男を苦しめられたはず。  そうすれば、青年と女はあの男を苦しめてやれたのだ。  散々苦しめられたから。  青年は笑った。  心の底から。  「・・・本当にそうですね」  青年の笑顔は余裕の顕れで、でも女は傷つかなかった。  「あなたの歌、好きよ」  女は言った。  女はまた、あの舞台に立つ。  そしてあの曲を歌う。  「あなたが一番上手く歌える」  彼は言った。  男が望んだように。  女は男の楽器だから。  女はそっと彼の頬にキスをした。  赤いキスマークが、真っ赤になった彼の顔にのこる。  「それつけたまま帰りなさい。あの男はそれくらいされても仕方ないんだから」  女は言った。    「そうします」  彼は言った。      女は格好良く立ち去る。  素敵で強い女のように。  女は泣いた。  マネージャーに運転させている車の後部座席でないた。  そんな風に泣く女は初めてで、マネージャーは驚いていたけれど、何も言わなかった。      男が死ぬのが悲しくて。  男に会えたのが嬉しくて。    男は言った。  「表現者になるなら、目的以外にもね、綺麗とか、好きとかそう言うものを自分の中にもたなきゃね」    今の女にはそれはある。  「私の好きなもの、綺麗なもの・・・」    それはあなた。  女は心の中で男に言う。  ここから先、色んな男と寝るだろう。  身体を利用していくことにも抵抗はない。  恋人も作るだろう。  でも、男は女の中にずっといる。  そして、今ならわかる。  なぜ、男は彼でないといけなかったのかも。  沢山の人が男に夢中になったはず。  私のように  でもね、多分、あの子だけ。  本当に何も。  あの人以外は何も欲しがらなかったのはあの子だけ。  あの人の才能も、あの人魅力のためでもなく、あのどうしようもない救いがたい男を、もうすぐ死んで行くだけの男を奪い取りに行ったのはあの子だけ。  私はあの人だけにはなれない。  あの人だけでは足りない。    でもあの子はもうすぐ死んで行くあなただけでいい。  そんなの勝てるわけがない。  それでも、それでも、今夜だけは泣く。  明日からはまた、今よりもっと上に上がるための戦いを始めるのだけれど。  女は男を愛している。  おそらく、ずっと。  男が死んでも。   END

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