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ひとりと独り

7月10日。 真夏日に大学のカフェテラスに足を運んだ多岐は、ガラス製の丸テーブルに課題を広げて唸っていた。 「うぅぅ……勉強めんどー」 若気の至りで自身の欲に抑止力をかけられなかった多岐は、進学して1年で後悔した。 割に合わない都内偏差値55~70の私立大学。 もちろん最高難易度の医学部とは会話すら続かないが多岐は法学部だ。 運動神経が万能な代わりに学力は半端でギリギリ合格だった。 ならばなぜ似つかわしくないこの大学を選んだのかと聞かれれば、そこには他人にはとても言えない事情がある。 「多岐りん〜、よっす」 「ん、しなのん! おはよ〜」 大学で知り合った同学部の"しなのん"こと信濃渚。 彼女は多岐のイツメンで、気兼ねなく相談ごとのできるいい友人だ。 髪はポニーテールに結いて流している茶髪美人だが、多岐にとっては恋愛対象外。 同級生の間で2人の噂が出ているのも鼻で笑うほどお互いを同性のように見ている。 「多岐りん、課題進んでないじゃん。ウケる」 「めんどいんだよー。しなのん代わりにお願い」 「いやでーす、それよかスポーツ広場行こうよ」 「え、なんで?」 「今ね、ちょうど劇団サークルが公開稽古してるの! あんたの好きな千里くんもいるよ!」 「え! 京極千里!? それは行く!」 多岐達のいる法学部はA棟にあり、渡り廊下を挟んだC棟を抜けるとスポーツ広場と名付けられた稽古会館がある。 高校の体育館を2つ合わせたほどの広さがあるここは、サークルや行事で使うこともあれば一般公開されることも。 「あ! ほらいる」 信濃と多岐が稽古場を覗くと、ちょうど舞台で劇団サークルの団員が本番に向けて稽古をしていた。 多岐は集団のなかに京極の姿を見つけ、瞳を輝かせる。 「どういうことだ、ジャック。これは貴様のものではないのか?」 「さぁ? なんのことだろう。銃なんて物騒なものを僕に押し付けないでくれないかな」 「とぼけるな!」 うおぉぉー……! 京極さん、かっけええ! 現代を舞台にしたハードボイルド劇のようだ。 多岐の目的である京極千里はスポーツ科学部の2年生で、多岐の好きな相手だ。 高校時代から追い続け告白をしないまま何年も経った。 だが多岐はそれでいいとはなから期待していない。 いまはこうして眺めたり話ができるだけで満足だった。 「ちょっと多岐りん! 千里くん見つめすぎ!」 「だってー、かっこいいんだもん」 「あんたは女子か!!」 「あはは! ナイスツッコミ」 稽古場には見学できるスペースもしっかり確保されている。 稽古監督の男が「休憩!」と手を挙げると、団員達はそれぞれ休憩を取り始めた。 「千里くん! おつかれ」 「!」 舞台から降りてきた京極に信濃が声をかけた。 多岐は驚いて、その場にあぐらをかいたまま2人を見上げた。 「ありがとう。多岐も見にきてくれたんだな」 「え、あ、うん」 「かっこよかったよ〜! さすが役者志望!」 「はは」 汗を頬に垂らしている姿もかっこいい。 多岐は目を向ける場に困って顔ごと伏せる。 「千里」 「ん?」 「さっきの声張り上げるとこ、ただ怒鳴ってるようにしか聞こえなかった。もう少しニュアンスを変えてくれ。あれじゃあ客がビビる」 「あぁ、分かった」 冷たく言って休憩スペースに腰を下ろす男。 その態度に多岐は少しムッとしたが、稽古のことで口を出せるほど知識もない。 「誰あれ」 「榊原一稀くんよ、法学部2年の」 「え、一緒なの学部」 「会ったことないんだっけ?」 ぶんぶんと首を振る。 態度の横柄な男には会ったことがない。 それも自分が憧れている京極に口を出すくらいだ。 黒い髪が風に揺れ、切れ長の目が露出される。 ふと気になったのはその手に巻かれた包帯だった。

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