6 / 15

ghost5

 羽山との一件があって以来、次に木村に起こったのは、体の妙な重だるさだった。風邪の症状は全くないが、ひたすらに体が重い。例えるならば、そう、誰かに乗っかられているような。  芥川にそれを言うと、即座に 「やめろ」  と嫌がられた。しかし、芥川は代わりにすこぶる調子がいいようで、おぶって帰ろうか、とまで言ってきた。流石に恥ずかしさが勝って遠慮したが、本当にきつい時は頼むことにした。 「そういえば、体験は明日までだな」  もっと長い時間が過ぎたように思えたのだが、明日でちょうど体験の10日間が終了する。今のところ、芥川が危惧するほどの危険には見舞われていないと思うのだが、木村を見て芥川は案じる素振りをした。 「本当に借りるつもりか」 「ああ」 迷いなく頷くと、芥川は顔をしかめて釘を指す。 「これからが本番だと思うぞ」 「でも、お前がいるだろ」  思わず飛び出た台詞に木村も驚いたが、芥川はもっと驚いて目を丸くする。 「芥川がいるから大丈夫だって思うんだ。勘だけど」 「なんだそれは」  根拠もない自信を言い放つと、芥川は柔らかく笑った。 体のだるさが取れないまま、いつも以上に眩しく感じる陽光に目を眇めた。心なしか肩も重い気がしたが、これが初めて経験する超常現象かもしれないと思うと、嬉しさが込み上げる。  そもそも、なぜ木村はこんなにオカルトを好きになったのか、自分でもよく分かっていない。ぼんやりと振り返る過去の自分もそうだったかと言われると、はっきりと思い出せなかった。   遅刻ぎりぎりに登校し、教師が教壇につく間際に席に飛び乗る。何気なく目を向けた先に芥川がいて、目線で会話をした。 「また遅刻したのか」 「遅刻じゃねえよ」 「今日の放課後な」 「ああ。道覚えてねえんだけど、芥川分かるか?」 「お前な。分かるけど、方向音痴治せ」 「どうやってだよ」 「自分で考えろ」  まるで頭の中に声が響くように、手に取るように分かる。これが以心伝心というやつかと思ってわくわくするが、実際に芥川が言いたいことを当てられているかは分からない。ただ、その後に話を照合させると、毎回だいたい合っている。不思議なものだ。    船をこぎながら授業を受け、夢と現実の狭間で知らない男の幻を見た。木村の願望が見せた白昼夢というやつだろうか。その男は、顔かたちが陥没していた。全身に裂傷が無数にできており、血だらけになりながら這いずるようにして木村の元へ近付いてくる。    ようやく木村の目の前にたどり着いた男が、狂ったような高笑いを上げて、飛び出した眼球をむしりとった。そして木村を、空洞と化した眼球のあった場所から見つめている。目玉もないのに、木村はその男に、ただ面白い玩具を見つけた子どものような様子を感じた。    だから木村は笑った。するとその男は途端に驚き、焦り、消えていく、という幻だった。実際、単に夢を見ていたのかもしれない。    その証拠に、肩を叩かれて顔を上げると、終礼が済んだ後だった。芥川と自分以外には誰も教室に残っておらず、夕陽が窓から差し込んでいるばかりだ。 「芥川、俺、寝てた?」  ぼんやりとしながら尋ねると、芥川は頭を掻き、生返事をした。 「あー、そうかもな」 「いま何時?」 「4時44分」  木村は時計を確かめる。実際は5時を少し過ぎていた。芥川がこういう冗談を言うのは珍しい。 「何だよ、期待したのに」 「言うと思った」  軽く肩を小突き合いながら、教室を出る。ふと芥川はどうしてオカルトが嫌いなのに、今回は自分から付き合ってくれるのかという疑問が頭を掠めた。 「なあ、芥川。お前、本当に幽霊とか怖いんだよな」 「……そうだが」 「よく俺に大丈夫かどうか聞くけど、お前の方こそ平気なのかよ。俺はほら、なんだかんだ今まで幽霊とか見たことないし、嫌な目にも遭ったことはないから、怖いと思うことはないけどさ」 「……」  何も変なことを聞いたつもりはないのだが、芥川は黙り込んだ。考え込むというよりも何かを迷っている、そんな気がした。  そして芥川が何かを言い出すまで待つが、いつまでたっても沈黙ばかりが続く。それに焦れた木村は、思いついたことを口にする。 「まさかお前、何か怖い目に遭ったとか。だから幽霊とか怖いのか」  図星を指されたように、芥川から動揺が見てとれた。ほんの一瞬、瞬きをする間に消えてしまうぐらいの短い時間。その直後、芥川の顔から表情が消えたことに気がつかなかった。 「なんだよ、そうなら早く言えよな。そんな面白いネターー」  途中まで言いかけて、いきなり芥川に腕を引かれて語尾が消える。それは驚いたからでも、自ら口を閉じたからでもない。芥川に塞がれたからだ。唇で。 「んっーー?!」  反射的に暴れるが、両手を掴まれて頭上でひとくくりにされた。蹴り飛ばそうとしても、足を挟まれて動けない。キスをされながらいつの間にか壁に押し付けられて、退路を絶たれた。 「何する……っ」  息継ぎをする僅かな間で、抗議の声を挟ませる。芥川は応えずに、そのまま舌先を口腔に捩じ込ませてきた。抵抗を試みて、一瞬舌を噛んでやろうとも思ったが、何故だか嫌悪感はない。ただ、混乱と焦燥ばかりが募った。  芥川の味が口内に広がる。最後に女と口付けを交わしたのはいつだったか、頭の片隅で他人事のように計算しかけて、霧散する。人並みには経験したつもりだが、こんなに情熱的で、貪欲に貪られた記憶はないように思えたからだ。  何故とどうしてを頭の中で幾度か繰り返した後に、ようやく芥川は木村を解放する。骨ごと味わい尽くして満足したように、芥川はすっかり落ち着きを取り戻した声で言った。 「レンタルゴーストは俺の両親を殺したんだ」 「え?」  突然告げられた事実に、血の気が引く思いがした。梅雨時の蒸し暑い熱気が、急激に冷気を纏ってくる。 「俺が幽霊を恐れていることを、他の誰が笑っても構わなかった。理由を知らないお前に笑われたって仕方がないと思う。だが、実際にそれをネタのように言われると、抑えきれなくなった。すまない」 「……いや、俺が悪い。ごめん」  気まずい沈黙が満ちる前に、急いで謝った。知らないことは罪だ。芥川の傷を抉って広げて、塩を塗りつけた。深い事情は尋ねられないが、底なしの罪悪感に襲われる。  そして、今さらキスの意味を尋ねられる空気ではなかった。 「俺、やっぱり一人で行くよ」  芥川の顔をうまく見ることができないまま、それを口にした。そんな事情がありながら付き合わせるわけにはいかない。  芥川の返事も待たずに昇降口に向かうと、湿気を孕んだ空気が雨の匂いを運んできた。 「待て、木村」  すかさず追ってきた芥川の気配に、木村は振り返ると、安心させるように笑って見せる。 「心配するな、もうレンタルゴーストは利用しない」  そうして、降り出した雨の中、一人で彼岸花へ向かった。

ともだちにシェアしよう!