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4.秋央と肇
五月四日は雨だった。
秋央は雨にトラウマを抱えている。
大丈夫だろうか。
午前八時まで我慢して、肇は秋央に電話をかけた。
「おはようございます」
『おはよ……』
ひどく億劫そうだ。
「朝ご飯食べましたか?」
『野菜ジュース、飲んだ』
押しつけがましくならないように心を配りながら、訊ねた。
「今すぐ行きましょうか?」
『これから、また、寝るから』
暗に来るなと言われている。
「予定より早めに、昼くらいに行きます。昼食何がいいですか?」
『いらない』
「体に悪いですよ」
『寝たい』
これ以上は何を言っても無駄だろう。
「わかりました。でも、予定より早めに行きます」
『ん……おやすみ』
電話が切れた。
肇は長いため息をついた。
すべては雨のせいだ。そして、秋央を付け狙った女ストーカーのせい。
水を床に跳ね飛ばす勢いでもう一度顔を洗うと、頬を両手で叩いて気合いを入れた。
出かける直前に、肇は今日のために用意をした服に着替えた。
生成りで胸位置から下が淡いモスグリーンのボーダーポロシャツ、アンクル丈の黒のパンツに、短め丈のベージュのコート。妹に頭を下げてアドバイスをもらい、コーディネートしたスタイルだ。
この努力を気がつく余裕が、秋央に戻ってきてくれていればいい。
ケーキは自分で調達しろとのことだったので、駅ビルで濃厚なチョコレートケーキをふたつ買った。
ケーキとこの前買ったチェックのシャツ。どちらも濡れないように傘の向きに気をつけながら、秋央のマンションに向かった。
いつものようにエントランスは鍵で開けた。玄関のところで今日はインターフォンを使わず、渡されている鍵で中へ入った。
コートを脱ぎ、ケーキを冷蔵庫にしまった。
足音を立てないように、寝室をのぞいた。
「いらっ、しゃい……」
秋央は薄手の布団を肩まで引き上げて、横になっている。
肇はベッドの側に跪いて視線を合わせた。
「起こしちゃいましたか?」
秋央が瞬きをして、つぶやいた。それは返答ではなかった。
「雨の音を聞いていたら、彼女のことを思い出して、怖くて……」
「俺がいますよ」
そっと髪を撫でる。
鳴上秋央には女ストーカーに悩まされた過去がある。
相手は東京で勤めていた時、総務にいた新入女性社員。鳴上がセクハラから庇ったことから、鳴上に異常に執着し、ストーカー化した。それについて鳴上自身にも非があるのではないかと、同僚にまで勘ぐられて疲弊した。結果会社を辞し、東京からこの街へ逃げてきた。二年前に今の会社に再就職して、ひっそりと暮らしてきたのである。
去年の梅雨、その彼女が鳴上のこのマンションまで来て、ナイフを持って暴れた。その日も雨だった。ただ、その時は付き合い始めたばかりの坂下肇が身を盾にして鳴上を守り、合気道三段の実力を見せて女性を取り押さえた。
鳴上秋央はストーカー事件のことを打ち明けた際、肇にこう言っている。
『晴れの日はいいんだ。つけられても足音でわかって逃げられるから。でも雨の日は足音がわからない』
だから、秋央は雨の音が怖い。
秋央が掛け布団を跳ねて、しがみついてきた。その体は小刻みに震えていた。
「俺がいます」
もう一度強く言い、肇は秋央に唇を重ねた。
すると、秋央の舌が性急に肇を求めてきた。口を開き秋央の望むように任せる。子どものように暴れ回る舌は肇を確かめたがっているようだった。それをなだめるように、震える体をしっかりと胸に抱きしめた。
秋央の唇が離れると、肇は首筋にキスをし、舐めあげた。白い喉がのけぞる。
肇はそっとベッドに秋央を戻すと、パジャマのボタンを外しながら、キスを散らした。
「ふ、あっ……」
頼りない声をあげる秋央を脱がせると、自分も着ているものを脱ぎ落とした。
そしていつもの引き出しからローションのボトルを取り出した。
ローションを入れるために指を出し入れするだけで、秋央が身悶える。目をつぶり、指を噛んで声を抑えようとしているのがかわいい。
輪の部分を馴染ませてから指を奥へ進めた。あの場所に触れて、秋央の胸が跳ね上がった。そこをやさしく撫でながら、ぽつりと立ち上がった胸の粒を口に含んだ。
「ああ……」
秋央が昂ぶりが震えている。
何もかもを忘れさせてあげたい。
肇は胸から口を離すと、秋央を手に包み込みゆるゆると刺激を与えた。
秋央の体は敏感に反応し、すぐに最高の硬さと質量に育った。
「う、は、じめ……もう、いく……」
「いいですよ」
肇は昂ぶりを口に含みつつ、手を上下させた。中の指もそっと動かす。
「あ、ああっ、んあっ」
口の中に数度に分けて送り込まれてくるとろりとした液体を飲み干し、更に扱きあげて吸い上げる。
秋央の体の力が抜けて、息が荒い。肇は指を増やした。
秋央が潤んだ目で両腕を伸ばしてきた。
「もう、こい」
「大丈夫ですか?」
傷つけたくなくてためらうと、秋央が一瞬口を尖らせた。
「ほしいと、言っている」
そこまで言われたら、もう我慢できなかった。
秋央の腰を少し持ち上げ、枕を入れて支えにすると、両脚の間に入った。
求められるまま、一気に先端を飲み込ませる。
一瞬秋央は苦しそうにしたが、すぐに深く熱い息を吐いた。
中を探るようにゆっくりと奥に挿れ、引き出す。
「あ、あぁっ……、は……じめ……」
「はい、俺はここにいますよ」
何度も身を重ねて覚えた感じやすいところを突いてやると、白い胸が反り返った。再び奥まで突くと、両胸の薄紅のつぼみを親指の腹で転がす。
「ああっ、や、感じるっ、やだ」
シーツの海を溺れるようにもがく栗色の髪が美しい。長いまつげの先に涙の滴が輝いている。この嫌がるそぶりがたまらなくそそる。
口では嫌だと言いながら、絡みつく秋央の中は熱い。肇の吐く息も荒く乱れる。
「秋央、秋央、秋央、好きだ」
中と胸を責めながら愛を囁くと、まるで否定するかのように秋央が首を振る。
「いき、たい。いきたい」
「またですか? まだ早いですよ」
「むね、やめ、あっ」
爪を立てると言葉が切れ、きゅっと絞り上げられた。
肇自身ももう長くはもたなそうだ。
「愛してますよ」
手を胸から腿の支えに戻し、音を立てながら抽挿を繰り返す。
「はじ、め、はじめ、もっと……言って」
「愛してる、あきひろ」
秋央を追い立てながら、手で、再び力を取り戻した秋央を刺激してやる。
「きもちいい、きもちいい」
涙をにじませながら子どものように素直に悦ぶ秋央の、胸を締め付けてくる愛しさにたまらず、肇は秋央自身の快楽は秋央の手を取って握らせて上下させた。
秋央は促されたまま素直に自分の快楽を追う。それを確かめてから、中へ激しく腰を打ち付けた。肉を打つ音に応じるように、秋央が切なげに顔を歪める。
「あっ、あっ、はじめっ、いくっ、いくぅ」
びくん、びくんと秋央の胸が跳ねたのと同時に締め上げられ、肇も秋央の中に欲望の証を吐き出した。
秋央はそのまま寝入ってしまった。雨は昨夜から降っていたので、よく眠れていなかったのだろう。
腕枕で眠る恋人の顔はずっと見つめていても飽きなかった。
東北出身者らしい肌理 の細かく白い肌。両手に包み込めてしまう、男にしては小さい顔。小ぶりな鼻と口。今は閉じている目は大きめで黒目がちで、童顔に拍車をかけている。
かわいいと感じているのが肇だけではない。肇の同期でさえ、秋央のことをかわいい先輩と噂している。
ただのかわいい先輩ではないのは、肇が一番よく知っている。まず、背の高さ。そして仕事の優秀さだ。
そんな人を恋人として腕に抱く喜びを肇は噛みしめる。
その一方で、秋央の過去が気になる。見知らぬ初めての男に嫉妬していると言ってもいい。
普段は素っ気ない態度だったり、叱られたりするのに、抱いている時は別人のようになよやかで甘えてくる。元々そうだったのか、そうなるように仕込まれたのか。それを考えるともやもやする。
突然、秋央の目が開いた。肇が何も言う前から唇が重ねられ、胸にすがりつき脚を絡めてきた。その体を抱きしめる。
「肇、好きだ」
愛おしくてたまらない。こうやって甘えられると、過去のことを詮索することが馬鹿らしく思える。
「俺もですよ」
「うん」
風呂を入れて一緒に入った。その中でも秋央は肇に触れたがっていた。その秋央をしっかりと受けとめ、背に腕を回し、口づけを交わした。
ディナーは、いつもの缶詰グリーンカレーだった。そしていつものように肇はおかわりをした。
「お前、本当にグリーンカレー好きだな」
夜食にソファで、肇の買ってきたチョコレートケーキをコーヒーとともに食べる。
「ええ、手軽な上に、おいしいなんて最高です」
苦笑する秋央はやはり雨音が気になるのか、肇にぴったりと身を寄せてきている。その肩に腕を回した。
「大丈夫ですよ。俺がいますし、雨は必ずやみます」
こくんと秋央がうなずいた。その髪を肇はやさしく撫でる。
「そろそろ寝る仕度をしましょうか?」
二人でキッチンへ食器を運び、食洗機にかけた。並んで歯磨きをし、一緒にパジャマに着替え、ベッドに入る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
肇はしっかりと秋央を胸に抱いた。秋央が雨音ではなく、自分の心音を聞けばいいと思ったから。
秋央もそう思っているのか、胸に耳をつけてきて、やがてゆったりした寝息を立て始めた。
それを確認してほっと息を吐いてから、肇もしっかりと目を閉ざした。
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