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耳元をひょお…と掠めた風に首を竦ませる。
夏が近いとは言え、この標高では肌寒かった。
「…ったく…置いていくとか…なしだって……」
少し大きめの石に腰掛けながら、吐き出す息に乗せて愚痴が零れた。
黒髪に…真面目そうな横顔。
つんと吊り上った意思の強そうな黒い瞳を細めて頂上を見上げる。
「もう…先着いたかな?」
薄情な父親の背中を思い出してむっとするが、それも息苦しさにあっという間に霧散した。
息が吸い込み切れないかのような違和感に酸素ボンベを取り出しうとして止める。
「使い切ってたんだっけ…あーーーっもうっ」
普段デスクワークばかりをしていた体は、思いのほか鈍っていたらしい。
「ボンベ、ないの?」
足元の砂利を見てた彼の視界の中に、登山用の酸素ボンベを持った手が伸びた。
「使う?」
「あっ…いえ…大丈夫です…」
彼が顔を上げると、ボンベを持った手が不自然に揺れた。
「…………あっ…えと……余ってるから遠慮しなくていいよ」
「ほら」と相手はボンベをポンポンと軽く投げる。傷のある左手に嵌められた二つの指輪に缶が当たってかちんと音を立てるのを聞きながら、申し訳なかったがそのありがたい申し出を素直に受ける事にした。
何故だか親近感の沸くその顔をちらちらと盗み見る。
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