1 / 29

第1話

 「顔あげろや」  命令されて、怯えた。  人に見られたくないと思って生きているのに。  伸ばした髪も目深に被った帽子も、サングラスも、マスクも見られたくないからなのに。  許されるなら、着ぐるみをきて外に出たい位だ。  その方が目立つ?  目立ってもいい。  本当の姿を見られる位なら。  醜形恐怖症。    自分が何なのかは知っている。  そして自分の外見が人にはそれ程醜いモノではないらしいことも知識としては知っている。  でも、耐えられないのだ。  自分が。  自分にとって自分の姿が一番耐えられないのに、他人の評価など何の意味があるのだろうか。  鏡、窓ガラス、自分の姿が見えてしまうことが怖い。    人の瞳に自分の姿が映ることが怖い。  人の視界に自分のこの姿が映ることが怖い。  怖いのだ。  必死で首を振った。  下を向いてその視線から自分を守る。  舌打ちされた。  乱暴な指が帽子が取り払らった。  悲鳴をあげるが、ソイツは気にもしない。  逃げようとするが膝で壁に腹を押さえつけられ、呻く。  鈍い圧迫と吐き気。  もう少し押せば苦痛がくる場所をコイツは知っていた。  動けなかった。  泣き叫ぶ顔の顎を強引に掴まれた。  顔をあげさせられた。  顔にまとわりついた髪を引っ張られ、顔を露わにされた。    「見ぃへんとい・・・て」  彼は泣いて懇願した。  どうしようもなかった。  もう懇願するしかなかった。  でも残酷な目が自分を見下ろしていた。  真っ黒で、光なんかない目に自分が映っていることを知った。  その目は大きく見開かれていて、自分の顔の隅々まで見ていることがわかった。  「嫌・・・だぁ」  絶望して声を震わせ、目を閉じた。  死んでしまいたかった。    羞恥と絶望が身体をやく。  ああ、顔をえぐってしまうべきだった。  ああ、鼻を削いでしまうべきだった。  この姿ではいきられない。  いきられない。  見られたくない。  もう悲鳴はあげなかった。  絶望が声を奪い、唇を震わせるだけ。  閉じた瞼から、涙がこぼれ落ちていく。    「クソっ」  小さい声がした。  顔を何かで覆われた。  ソイツが自分が巻いていたマフラーを顔にかけたのだと知った。  それだけでホっとした。   身体の震えが止まる。    「クソっ!!」  また声がして、強く抱きしめられていた。  混乱する。  でも顔は隠してくれた。    それに何より安心している。   それだけで、抱きしめられていることに抵抗しないでいてしまう。  「・・・見ぃへんから、なぁ?」  マフラーでおおい隠した顔の、耳もとで囁かれる。  まるで懇願するように。  「なぁ、ええやろ・・・」  優しいともいえる声が囁く。  何がいいのかわからなかった。  でも、顔を隠されたことの安心感だけが今はある。  泣きじゃくりながらも少し身体の力を抜いた。  ソイツの胸に顔を埋めるような格好になった。  だから、マフラーの下から指が入ってきた時にはまた怯えてしまった。  顔を見られる!!  「嫌や!!止めて!!」  叫ぶ。  「・・・見ぃへん。な?触るだけや、なぁ?」  優しく懇願するような声で囁かれた。  そしてたしかにマフラーはとられることはない。  見られる位なら、と彼は諦めたように身体の力を抜いた。  ひどく熱い指だった。  鼻筋をなぞられ、顔の輪郭を確かめるように撫でられた。  熱い指が唇に触れたとき、思わず身体がピクンと揺れてしまった。  「クソっ・・・」  また舌打ちされ、でも指は思いもよらない優しさで唇を撫で始めた。  閉じた唇の狭間を何度もなぞられ、熱い指が唇の内部に触れる。  まるで唇を開かせようとするかのように。  軽く下唇を挟まれ、また撫でられた。  熱い。指が熱い。  「あっ・・・」  思わず吐息が出てしまったのは、触れられる指が熱すぎたからなのか。  思わず開けてしまった口の中に、指は遠慮なく入ってきた。  熱い指を拒否しようと、軽くその指に歯を立てた。  傷つける意図はなかったから、かるく。  そうすると、まるで指をしゃぶるような感じに舌が指の熱に触れた。  人の肌の熱さを舌に感じたのは・・・覚えてもいない赤ん坊の頃以来で、彼はそれに怯えた。  怯えた舌を指から慌てて離した。  「噛むなや・・・噛んだらマフラー取るからな」  優しい声で、でも恐ろしいことを言われて彼は身体をすくませる。  軽く入れていた歯の力を緩ませたなら、指は容赦なく口の中を蹂躙し始めた。  逃げた舌を追いかけられ、撫でられた。  口蓋を撫でられ、擦られた。  唇の内部側、歯列を執拗に触られた。  指が熱い。    なんでこんなに熱いのか。  「はぅっ・・ふぅっ」  思わず声が漏れる。  「なんやねん・・・お前、マジで・・・どないしようもなくなるやんか」  吐息混じりで囁かれる息も、マフラー越しなのに熱い。  指が増やされ、口をさらにおおきく開けさせられ、舌を擦られ挟まれ、唾液が口の端から伝う。  「止して・・・よして・・・せんといて・・・」  指を含ませられ、言葉にならない声で、やっという。  「・・・触るだけや・・・触るだけやから・・・なぁ?」  指の執拗さ、そしていやらしいとしか言えないその指動きとはまるで無関係のように、その声は優しくて哀願するようでもあった。  「嫌や・・・」  彼は泣く。    何故なら自分の下半身に違和感を感じていたから。  熱が集まって・・・固くなって・・・。    なんで?  口の中を触られているだけなのに。  彼は怯えた。  指は舌に絡みつくような動きを繰り返し、擦する。  ピクンピクン  身体が震えた。    「んっ・・・あかん・・あか・・・」  腰が揺れた。     「顔は見いへんから・・・なぁ?」  苦しそうな声がした。  布地の上からもわかる熱い手が、固くなっていた股間に触れた。  軽く握られ、身体が跳ねた。  「触るだけや・・・」  口の中を嬲り、ズボンの上からそこを揉みしだきながらソイツは優しく言った。        首をふり、身体を離そうとしても指が熱くて。  その指が熱すぎて。    「それ以上はせんから・・・」  熱い指がズボンのボタンを外し、チャックを下ろすのを感じた。  「なぁ?俺、こんなん・・・初めてや・・・こんなん・・・こんなん・・・お前なんやねん」  熱い指がもう先から濡れているそこに触れて、擦られた。  「ふうっ」  思わず強く歯を立てた指は、優しく舌を撫でた。  熱い息と軽い痛みが耳に走り、身体がまた震えた。  「触るだけや・・・なっ?」  マフラー越しに耳を噛まれたのだと知る。  噛まれたのに、噛まれたのに、何故。    痛みのはずなのに、何故。  熱が全て股間に集まる。  ズボンを、下着を、下ろされ剥き出しにされた股間に。    「ここは見るで、ええな?」  囁かれ、恥ずかしさに身をよじる。  「気持ちようしたるだけや・・・」  唇を撫でられ、挟まれ、違う手で性器を擦られる。  壁に寄りかかったまま、動けない、  もう崩れ落ちそうになる。  膝がガクガクと震えてる。  顔にマフラーを被せられ、ズボンを下ろされ・・・何故学校でこんなことに?  何故?  彼にはわからなかった。    近寄らないで、見ないで。  それだけが望み。  幼い頃から感じていた違和感は中学に行く位には完全な嫌悪になった。  自分の姿に耐えられないのだ。  始めは鏡を恐れ、次に姿を映す、街のガラスのウインドゥや、電源の消えたパソコンの画面に怯える様になった。  最後は人の視線に写ることに恐怖を覚えた。  自分の姿が人の目を通じてその中に映し出される、そう思うだけで吐き気がした。  恐怖としか言えない。  自分の姿を見ただけで、怖気が走り、悲鳴があがる。  これほどまでに醜いものを知らない。  それが自分なのだと思うだけで、死にたいと思う。    家の鏡には覆いをかけた。  そして、何かに映る自分の姿を隠すために、自分の方に覆いをかけた。  帽子、マスク、メガネ、長い前髪。  それで、やっと生活出来るようになった。  通っている高校は事情を知っている。  それに、まあ、マスクを常に着用することや帽子を被りっぱなしなことは、学校にとってそれほど面倒ではないと理解してくれた。  そもそもここは私服着用も許された高校なのだ。  派手になりすぎる生徒を注意することはあっても、彼のような格好を注意する必要はない。  授業中の帽子着用も黙認してくれた。  成績も優秀。  問題も起こさない。  教室にある置物のような生徒のことはそっとしておいてくれた。  他の生徒達もあまりの気持ちの悪さからか、近寄ろうとはしなかった  噂も流れていたから。  隠された部分は酷く焼けただれているのだと。  皮膚がなくなり骨がむき出しになっているのだと。  あまりの醜さに気絶した女の子もいたという噂が、まことしやかに囁かれ、それは事実だと想われていた。  気持ち悪いものを見たくない程度には上品な子供達が通う学校で。  彼に近づく者はいなかった。  それは彼には都合が良かった。  もっとも、彼の姿を見て気絶するのは彼なので、ぞっとするほど醜いということは彼にとっては正しいのだ。  誰かの視界に自分の姿が映ることが耐えられないほどに彼は自分の姿を嫌悪していた。  だから、誰にもかかわらず、誰からも関わられることなく、彼は穏やかな日常を送れていたのだ。  ソイツがあらわれるまでは。    もちろん互いを知っていた。  どちらも異質だったから。  見られることを恐れ、自ら周囲から自分を切り離す彼は、そのマスクや帽子といった出で立ちから周囲から浮いていたし、噂もあって有名人だった。    でも有名進学校の生徒達らしく、大人な態度で理解さえしめし、彼らは彼を「見ないように」さえしてくれた。  その上さらにそこには「いないように」振る舞ってくれさえしてくれた。  それにどれだけ彼が安心したか。    ソイツも彼のことを知ってはいただろう。  けれど気にとめてはいなかった。  あの日までは。  もっともソイツは誰のことも気に止めてなかった。  ソイツは他人を思うまま動かすことが大好きなだけだった。  大きな身体。  少年とは思えない残酷な眼差し。  不敵な態度。  誰にも命令されることを許さない、生まれながらの支配者。  黒い髪と光のない黒い瞳が一際、人目をひく。  彼はほとんど人をまともに見ることなどないが、入学式の日、多くの人達と同じでソイツは見てしまった。    ただ、会場の椅子に座るだけのソイツを。  見ずにはいられなかったのだ。  不遜な態度で小馬鹿にした笑いを浮かべ、ただ座っている新入生の姿に誰も彼もが魅入られていた。  何故?  分からない。  ただ、その存在感は拒否できなかった。  暴力的なほどに。  彼がそのマスクや帽子やメガネなどで目立っていたのとは違う。  彼に関しては入学前から噂が流れでいたらしく、意識の高い生徒達はあえて目をそらしてくれていた。  醜い憐れな生き物として。    でも、ソイツから誰も目をそらせなかったのだ。  人と関わりたくない彼でさえ。  ソイツに見とれる会場には、ソイツが誰なのかの情報も駆け巡っていた。  それは恐怖に似た尊敬のようもので作られた噂話。  どれだけ本当なのかわからない。  暴力も存在する、でも英雄みたいな話。   少年達が憧れてしまうような。  自分に加害しようとした連中を、逆に暴力で排除したような。    もっというなら、そいつらを暴力で支配したような。  彼もそんな噂を聞いていた。  その日の内に。  あちこちでささやかれてたから。  その上、ソイツはこの学校に入学したのだ。  バカなはずがない。    でも、それだけ。  そこにいたら見てしまう。  彼にはそれだけのこと。  それだけで、支配者層へと向かうだろうソイツと、人から離れた所で生きる術を探している彼が関わることなどなかったはずなのに。                        

ともだちにシェアしよう!