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第37話

「相馬先生!」 週一回の授業の後、意を決して声を掛けてみた。 すると何も映さない瞳が僕を見て 「誰?」 って聞いて来た。 「一条です。一条海です」 そう言うと、先生は不思議そうな顔をして俺を見ると 「僕の授業で何かあった?」 と聞いて来た。 その顔は、あの日の事を全く覚えてないみたいだった。 「いえ…」 そう答えると 「もういいかな?」 と冷たく言われ、俺に背を向けて歩き出す。 その後ろ姿は、「声を掛けないで」と言っているみたいだった。  あの日、先生は大笑いした後、涙を拭いて 「久しぶりに大笑いした」 そう言って時計を見ると 「やば!昼休み終わっちゃう!ほら、お前も早く教室に戻れよ」 と言って走り出した。 階段を駆け降りるその人を追いかけ 「先生!ありがとうございました」 って叫ぶと一瞬立ち止まり、笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振ると、そのまま走り去って行った。 あれから5日しか経過していないのに、先生は何も覚えていない。 俺にとって特別で大切な思い出になったのに、この人にとってはなんでもない時間だったんだと思い知らされた。 それから毎日、先生を追い掛けて挨拶したり話しかけたりしてみた。 でも…、答えはいつも同じだった。 先生から、あの日の笑顔を浮かべてもらえる事はなかった。 どうにもならない気持ちを抱え、ただ日にちが過ぎていく中で事件は起こった。 帰り支度をしていると、校内放送で校長室に呼ばれる。 何かしたかな?って首を傾げながら向かうと、学年主任と担任、そして相馬先生も居た。 何がなんだか良くわからないでいると 「一条君、実はきみと相馬先生の事が噂になっていてね」 そう切り出された。 「噂?」 校長先生に聞き返すと 「きみが相馬先生と…その、恋人だっていう…」 言い辛そうに言われて、目の前が真っ暗になった。俺が追い掛けたせいで、そんな噂が…。 落ち込んで相馬先生を見ると、何も映さない瞳で遠くを見ているだけだった。 「男同士ですし…そんな馬鹿げた話しとは思ったのですが」 そう言われて、俺は拳を握り締める。 「先生の授業が楽しくて、俺は数学が好きになりました。だから、先生からもっと話しをお聞きしたくて、俺が相馬先生を追い掛けていました」 と答えた。 すると校長先生は嬉しそうに微笑み 「そうだったんですか。彼の授業は、そんなに楽しかったですか?」 そう聞いて来た。 「はい。今まで、学校の教科だからと数学を学んでいました。でも、相馬先生の授業で、その数式から薬だったりコンピューターだったり、たくさんの世界が広がると教わりました。たかが必須科目の教科から、学ぶ事の意味をおそわりました」 校長先生は俺の言葉を聞くと、うんうんと頷き 「どうですか?この言葉を聞いても、お二人は疑われますか?」 学年主任と担任に声を掛けると 「一条君は、私達の授業で質問する事がなかったもので…。すみませんでした。」 頭を下げられて 「それは違います。先生達の授業は、授業時間範囲内でも理解出来る様に教えてくださっています。だから、質問しなかったんです。…ただ、相馬先生のお話は、授業とは違いものでしたので。 私も配慮が足りませんでした。すみませんでした」 と、3人に頭を深々と下げた。 すると相馬先生は 「えっと…誰でしたっけ?」 っと、担任に耳打ちをして聞くと 「一条君…だっけ?数学に興味を持ってくれて、ありがとう」 そう言って微笑んだ。 でもそれは、俺が欲しかった笑顔では無かった。 先生の特別授業の終わりが近い事もあり、特に問題になる事もなくこの事件は幕を閉じた。 そして相馬先生勤務最終日。 俺は昼休みに屋上へ走って向かった。 あの日以来、先生の睡眠の邪魔にならないように行くのを控えていた。 ドアを開けると、空を見上げて先生が立っていた。その姿はやっぱり綺麗で、空に消えてしまいそうに儚かった。 「そんなにフェンスに近付くと、綺麗すぎて、空に消えてしまいそうです…」 ぽつりと呟いた俺に、先生はガラス玉のような瞳で俺を見た。 「誰?」 そう言われて、俺は小さく微笑むと 「一条です」 と答えた。 もう、此処で会う事は無いんだと、その姿を焼き付けるように見つめる。 真っ青な空と、屋上のフェンス。 真っ白な白衣に身を包み、空を見上げている姿が綺麗だった。 「なに?」 ぽつりと聞かれて 「1ヶ月間、お世話になりました。数学、好きになりました」 深々とお辞儀をしてそう伝えた。 すると驚いたような顔をして 「そっか…。それなら、良かった」 ふわりと微笑んだ笑顔に泣きそうになる。 (あなたが好きです) そう伝えたら、又、会えますか? 「頑張ってね」 そう言われて思わず俯く。 (離れたく無い!これで終わりなんて嫌だ!) 心の中で叫んでも、自分に出来るのは笑顔で送り出すことだってわかってる。 「先生も…お元気で」 絞り出した声に、先生が微笑んだまま 「一条君…だっけ?きみもね」 差し出された手を握り返した。 俺より少し小さな手を握り締めても、するりと直ぐに離れてしまう。 俺の初恋は、こうして終わりを告げた。

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