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ドライブ

「香川、おい香川」  簡単な仕事が終わり、帰ろうとしていた香川の背後から平島が言った。 「はい?」 「おまえ、今から暇か?」 「はい、まあ。まだなにか仕事あるんですか?」 「…まぁそんなところだ」  仕事と言われてしまうと、実は今から少しやりたいことがあったけれど香川は平島に逆らえない。そして、おそらく、平島の方も断られるとは思っていない。  ついてこいという風に歩き出した平島の後を香川は黙って追いかけた。  この、ぱっと見ただけでカタギではないと分かる男の配下についてから、社会の底辺で生きてきた香川にもようやく運が向いてきた。見たことも無いような大金を手にしたし、いつか腹いっぱい食べたいと思っていた豪勢な食事もたらふく食べた。高級料亭に連れて行かれた時はかなりビビったけれど、好きなように食べていいと平島が許してくれたので気が楽になった。作法もマナーも自然と身に付くだろうと、まるで未来が見えているかのように平島は言った。  この人はきっとオレみたいなのを拾うのは初めてじゃないのだろう。使えそうな若い奴を拾ってきて、仕込んで、不要になったら手放す───そういうことを飽きるほど繰り返してきたに違いない。  おそらく平島は、香川がいったい『何人目』なのかすら分かっていない。自然と身に付くと確信を持って言ったのも、今まで何人も同じような例を見てきたからだ。  スタスタ歩く平島を見失わないように追って行くと、まるで友人宅を訪ねるように車の修理工場に入っていった。少し早足で香川が追いつくと、車の下に潜っていたツナギを着た男が平島に気づき、スパナ片手に表に出てきた。 「上がってるか?」 「もちろんです」 「急がせて悪かったな」 「とんでもないっス。こんな色々やらせてもらって勉強になりました! いつもありがとうございます」  おそらく平島は上得意の常連客なのだろう。 「追加料金は?」 「前金だけでおつりが出ますよ」 「…つりは要らんよ、美味いもんでも食ってくれ」  うっすら笑っていう平島を見て香川は思う。この人のこういうところが人を惹きつけてやまないのだろうと。金離れがよく、人の心を上手く汲み、しかもそれを嫌味に感じさせず、照れも無く言葉にする。たとえ自分の持つなにかを犠牲にしても、この人のためになるならなんでもしたい、そう思わずにいられない。  平島は男に近づき、ツナギのポケットに封筒を捩じ込んだ。 「少しだが取っといてくれ───無理言って仕上げてもらったから、これはあんたへの礼だ」  最後に駄目押しも忘れない。 「香川、来い───馴らし運転だ」  ツナギからキーを受け取った平島が言った。 「馴らし?」 「もちろん運転するのはおまえだ」  修理工場の裏手に回ると、ぱっと見ただけでカタギの車じゃないと分かる黒いベンツが異彩を放っていた。いかにも平島青磁らしい車だ。  もしも引っ掛けたら修理代にいくらかかるんだと身震いしながら、香川は渋々運転席に乗り込んだ。シートベルトに手を伸ばすと、いつのまにか平島も助手席に座っていた。 「左ハンドルは経験あるか?」  軽トラックと軽自動車しか運転したことがない香川は首を振った。 「まぁ大丈夫だ、気楽に転がせ」 「…はい…」 「二日ぐらい大丈夫か?」  なんのことだと香川は思う。 「特に行き先も決めず、適当に走らせて、日が暮れたらどこかで宿をとろうぜ」 「……」 「無計画ドライブといこう」  いつも計画的に生きているように見える平島の、いい加減な旅行計画に驚き、香川はあんぐり口を開けた。それでも嫌と言えるわけもなく、従う以外ない。  香川はキーを差し込んだ。軽い振動とともにエンジンがかかる。 「暖気運転した方がいいですか?」 「夏だし要らんだろう」 「…じゃあ……すぐ出します」  サイドブレーキを解除した香川はゆっくり車を発進させた。予想していたよりずっと軽い。遊びが大きいのでアクセルは深めに踏んでいるけれど、エンジン音は小さいし、なにより滑るように進む。そしてブレーキが本当によくきく。  驚いた表情を隠せない香川をちらりと見て平島はフフっと笑った。軽自動車ぐらいしか運転したことがない香川を驚かせただけでも平島は楽しくてならなかったし、依頼通りの仕上がりにも満足だった。大金を手にしてもたいして使うことがない平島の唯一の散財が車の改造だった。 「青磁さん、どこに行けばいいんです?」 「適当に道がある限り走ればいい」 「あなたもオフなの?」 「まあな……事務所から連絡があるまでは完全フリー」 「え? なにかヤマは進んでるってことですか?」 「一応な。もし連絡があれば、オレは飛行機で東京に戻る。もしおまえの力も必要なようなら一緒に戻れ」  さらりと言われ、香川は思わず考え込む。一緒に戻れって、それは構わないけれど、じゃあ、この、改造が仕上がったばかりの車はどうなる? 「車なんかその場に捨てて行けばいい」  まるで香川の心を読んだかのように平島は言った。 「……捨てちゃうの? せめてどこかに預けて、仕事が片付いたら取りに行きましょうよ」 「また買えばいいじゃないか」  そういう問題じゃないと香川は思う。手元にあるものを大事にしたい。気に入って買ったものなら余計に。そう考えるのはおかしいのだろうか。 「……どこに行きたいですか?」  香川は訊き方を変えてみた。 「そうだな……どこか田舎がいい……ただし、携帯電話が使えるぐらいの田舎な」  その条件はかなり難しい。山の中とかに行ってしまうと携帯電話の電波は届かない。そして香川ははっと気づいた。どこかで宿を取って泊まることになったら、そこの電話番号を事務所に知らせたらいい。取り次いでもらえば十分だ。  香川はアクセルを踏み込んだ。携帯電話の電波の心配をしないと決めたせいか、できるだけ東京から離れたかった。  そういやなんの準備もしてないなと平島が漏らしたので、香川は途中でショップに寄った。スーツや下着を買えますよと香川が言うと、平島は分かったと頷いた。  平島の買い物はかなり思い切りがよく、値札も見ずにサイズだけで決めてしまう。こんな下品な服がこんなに高いのかと、ぽいぽい渡される服を受け取り、値札を見るだけで香川は辟易する。たった五分でざっと百万だ。嫌だ嫌だと思いながら香川が突っ立っていると、さっさとそれを店員に渡して来いと命令された。それにも香川は従った。自分は関係ないという考えのせいかのろのろ動いていると、早く来いと通路の向こうから声がした。香川が慌てて戻ると、なぜか平島は香川のスーツまで選び始めた。真っ白のスーツを身体に合わせられ、それだけは嫌だと香川は泣きついた。どうにかスーツはグレーと黒で許してもらったものの、ワイシャツは原色しか駄目だと言って平島は譲らなかった。結局、二人分の着替えで二百万近くかかり、全て平島が現金で支払った。平島にとってははした金だと分かっていても、まるでヒモにでもなった気分だ。  それから走り続けて四時間、香川は自分がどこにいるのかすら分からない。平島が分かっているのかどうかも分からない。命令通り、道が続く限り止まることなく車を走らせたからだ。 「この辺りでもういいんじゃないですか」  香川はぽつりとそう漏らした。緑に囲まれた山の真ん中で、これより奥に行く道は無さそうだった。 「なんというか…まぁ…田舎だな…」  見たままを平島は呟いた。ついでに煙をふーっと吐き出す。  新車なのにそんなにすぱすぱ煙草吸わないでと思いながら、結局、香川は平島に言えなかった。 「あなたが田舎に行きたいって…」 「限度ってもんがあるだろうが」 「だったら青磁さんが運転すりゃいいでしょ」 「それもそうだ」  それにしてもこの人はなにを考えているのだろうと香川は不思議でならない。田舎に行きたいなら一人で来たらいい。わざわざ人を誘わなくても、運転手を雇って運転させたらいい。タクシーを頼んでも大した額ではないだろう。  いや、香川が釈然としないのには、もっと別の理由があった。この十日間、もやもやした感情は大きく育ち、香川の身体を突き破ってしまいそうになっている。それは全て平島青磁に向かっていて、分かっているくせに平島は香川に答えを与えない。 「もうここでいいですか?」 「温泉じゃないのか」 「いいでしょ、ペンションで」 「……しかたがない」  香川は駐車場に車をとめた。駐車場というよりは、ただの広い空き地だ。 「温泉がいいなら最初にそう言っておいて下さいよ」  香川はもう必要最低限の気遣いしかしないと決めてしまった。少し冷たいぐらいの方がたぶんいい。事務所の若い連中に怯えられているこの男が、甘やかされたら甘やかされるほど調子に乗るタイプだと香川は見抜いている。はいはいと何でも許していると、香川に対する平島の要求と我儘はきっとどこまでもエスカレートする。  荷物を両手に提げて香川はペンションに向かった。荷物のほとんどは着替えだ。後ろからついてくる平島は小さなバッグ一つだけで、まるで香川は執事か使用人のようだ。  木造のペンションに入ると、若い女性が出迎えてくれた。男二人だと頼むと、あいにくダブルのお部屋一つしか空きがありませんとのことだった。たとえどんな部屋だったとしても選んでいるような余裕はない。山奥の田舎で、他の宿を探すのも骨が折れる。香川がそれでいいと言うと、後ろから平島もそれでいいと同意した。  いったいどういうつもりなんだと香川は腹立たしくなる。からかわれているのだろうか、とも。  女性に部屋まで案内されながら香川はいろいろ考えずにいられない。こちらの卓球台は好きにお使い下さいとか、お風呂は各部屋にもございますとか、お食事はお部屋にお持ちすることもできますとか、優しい声で説明してくれたけれど、頭に全く入ってこない。  香川の頭を支配しているのは、平島青磁の思惑がどこにあるのかということだけだ。  案内された部屋は想像より広くて綺麗だった。二階の一番奥にあり、窓からは広大な自然が覗けた。 「ベッドは青磁さんが使って下さい」  荷物を台に置いて香川が言うと、平島は当然という顔で頷いた。 「風呂は? すぐ使うなら準備しますよ」  すると平島はまた頷いた。  本当にどういうつもりなんだと香川は思う。同じ部屋で一晩過ごすというのに、全くなんの警戒もしていないなんて馬鹿にされているとしか思えない。一人旅が淋しいなら他の誰かを誘えばいい。暇を持て余している若い奴なんて事務所にいくらでもいる。わざわざ香川を誘う必要はない。仕事上がりのあの時、他の連中もいたのだから。  風呂の準備をしてから香川は部屋を出た。十分もしたら湯は入るだろう。  フロントでペンションの電話番号を確認した。携帯電話は使えないようなので、公衆電話から事務所に電話をかけた。緊急の時はペンションに連絡してもらえるように頼むと、二人で旅行かと訊かれたので、ただの付き添いですと香川は素っ気無く返した。  そうだ、付き添いだ。そう思えば気が楽だ。我儘な平島青磁の運転手としてこんな田舎まで来ただけだ。  フロントの女性に、平島事務所からの連絡は夜中でも繋いでもらえるように頼んでから、香川は二階の部屋に向かってのろのろ歩いた。ただの付き添いだという結論に達したものの、香川の疑念は払拭できない。  きっと平島は分かっていない。香川の気持ちなんか考えもしないのだろう。あんなにはっきり言ったのに、なんの警戒もなく平島は旅行に誘ったのだから。香川にすれば無神経としか思えない。  ちょうど一週間前の夜、美味いメシでもどうだと香川は平島に誘われた。それ自体は珍しいことではない。まるで『教育』でもするように、平島は香川にあれこれ構ってくる。高級料亭に連れて行くことだって、金を持った連中と渡り合うための勉強なのだろう。それぐらいは香川だって分かっている。場馴れしていないと恥をかくし、渾身のはったりだって効果が無くなる。おそらく平島は香川の前に拾った若造にも同じように教育を施してきたに違いないし、ありがたいとも思っている。  でも、そんな諸々は別にして、堪らなくなった香川は衝動的に告白した───星の見えるあのビルの屋上で、あなたを好きになりました、と。  平島からの返事はない。  あの人はオレの真意に気づかないふりをしていると香川は思う。ただの尊敬や好意ではなく、特別な意味で言ったのに。ああそうかと流されたのが腹立たしい。なにをバカなことをと怒ったり焦ったりしてくれた方がよかった。分かり易く拒んでくれていたら、香川だって冗談ですよと言えたのに。  平島青磁は本当にタヌキだ。香川のような、二十歳そこそこの若造なんかでは太刀打ちできない。潜ってきた修羅場の数と深さが違う。もしかしたら、男に告白されることだって初めてではないのかもしれない。  鬱々とした気分のまま香川は部屋に入った。部屋の中に平島の姿がない。バスルームを覗くと、湯が溢れそうになっていたので蛇口を閉めた。きょろきょろしながら奥に進むと、部屋とテラスを出入りできるドアが開けっ放しになっていた。 「───平島さん」  呼ぶと平島はゆっくり振り返った。 「どうして今日はオレを誘ったの?」 「……」 「オレはあなたに言ったじゃない───あれは無しなんですか?」 「無し?」 「あなたを好きになったってことです」  すると平島は煙草を咥えて火をつけた。 「───香川よ」  低い声だ。 「おまえの気持ちは勘違い……オレとおまえは親子ほど年が離れていて、それでもどちらかが女なら有りかもしれないが、オレたちは二人とも男だ…」  そのぐらいのことは分かっている───いくら香川が直情型でも、同性というその一点だけは香川だってためらった。 「オレと一晩過ごせば気づく───その勘違い…」  香川の頭の中でぶつっと音がした。 「あんたはどうして勝手に決めるの! オレが好きなものぐらいオレが決める! オレは女が好きだし、今だって好きだし、同じように美味いメシだって好きだし、仕事だって知らないことばっかりで楽しい! それをあんたはやっぱり勘違いだって言うんですかっ」  理性が切れた音だった。 「……他はどうだか知らんが、オレのことは間違いなく勘違いだろうよ」 「だから勘違いじゃないです。オレは、オレだって、何回も打ち消した……違うだろって……あなたがあんまり凄いから、憧れを恋愛と勘違いしてるだけじゃないかってそんなのオレだって考えました」  テラスのテーブルにある灰皿で煙草を揉み消した平島は、香川の横をすっとすり抜けて部屋に入った。 「風呂に入ってくる」  まるで香川の思いを置き去りにするように、平島はバスルームに消えた。  自分の気持ちが受け入れられなかったせいで激昂するのは恥ずかしいことだと香川だって分かっている。本当は平島の前で少しでも背伸びしたかった。余裕で受け流す平島と同じように、香川も鷹揚な態度で構えていたかった。  香川は倒れこむようにソファに横になった。  後で毛布を借りなきゃと思う。いくら初夏でも山の中だから冷えるだろう。香川はベッドでは眠れない。一つしかないベッドは平島が使うので、香川はソファで朝まで過ごす。香川が平島に触れることはきっと無い。 「…香川」  すぐ傍で声がした。はっとして目を開けると、鼻先が触れ合いそうなほど近くに平島の顔があった。 「おまえみたいなハンサムは、もうすっかり女に飽きちまって、たまにオレみたいな毛色が変わった相手を欲しがってしまうものなのか」  言われていることの意味が香川には理解できない。 「それとも、銭ゲバとか下衆とか言われてるオレを、落ちるか落ちないかという賭の対象にでもしているのか」  いつもは剥き出しの彼の額は豊かな黒髪で覆われ、香川の目になぜかひどく幼く見えた。 「さっきオレはおまえのためという風に勘違いだと言ったが本当は違う」 「……青磁さん…?」  身動きできない。もしも迂闊に動いたら、香川の唇は間違いなく平島の唇に触れてしまう。そのぐらい今の二人の距離は近い。 「オレは年上だしとてもカタギとはいえないし、おまえは若くてハンサムで未来があって前科もない綺麗な身体で、まだまだ別の人生を選べるチャンスがあって、オレが声をかけて引っ張り込んでおいて言えた義理じゃないのは分かっているが、おまえはおまえらしく真っ直ぐ生きてもらいたい───だからおまえはオレなんかに心までくれてやる必要はない」 「…なに? どういう意味で…」  ふいに平島は香川に口づけた。 「……心はてめぇでしっかり持っとけ」  すぐに離れてしまった唇がそう呟いた。 「……青磁さん?」 「一週間、オレもいろいろ考えた……冷静な頭で一晩過ごせば手っ取り早いんじゃないかって」  平島は香川の額にそっと口づけた。 「取り敢えずメシ食って、おまえはそのあと風呂に入って、それから考えよう」 「…平島さん───ねぇ、青磁さん…それってもう一度寝てみようっていう意味?」  すると平島はにやっと笑った。 「どうなるかな……冷静になってもやれるってんならやってみればいい。男とやるっていうのは、本来そんなに簡単なことじゃない。一週間前のあの時は、ただただ勢いだけだったのかもしれないし」 「そんなのぜんぜんやれますよ」  その返事を聞かず、先に部屋を出て行く平島を香川は慌てて追いかけた。  フロントで食事のことを聞くと、奥のレストランでどうぞと案内された。部屋に運ぶこともできるらしいが、二人っきりで顔を突き合わせて食べるのもあまり気が進まず、香川はレストランに行きたいと言った。冷静になるためには、人目がある場所の方がいいこともある。平島も同じ意見だったのか、特に希望は無かったのか、先に歩く香川についてきた。  セックスを前提にしたディナーは、いつになく香川を緊張させた。一方、平島の様子は相変わらずだ。自分だけが真剣になっているような気がして、香川の心に憎悪が芽生える。可愛さ余って憎さ百倍というやつだ。 「ここは───あれだな。ペンションだとばかり思っていたら、オーベルジュか」  食前酒に手を伸ばしながら平島が言った。 「オーベ…?」 「宿泊施設のあるフランス料理店だ」 「そう…」  平島の言っていることの意味が香川には分からない。 「相変わらずおまえは運が強い。適当に走らせていただけなのに、なかなかいい所を見つけてくれた」  褒められているらしいので、香川はぎこちなく笑って返した。  さっきの平島の提案は本当なのだろうかと香川は考える。寝てみたら分かることもあるだなんて、平島青磁の言うこととは思えない。  次々に出てくる料理を香川は黙々と食べていく。味なんかとても分からない。たぶん美味いんだろうとは思うけれど、そういうのは料理に集中していてこそ分かるものだ。今の香川の意識は、平島と平島の提案にしか向いていない。舌が味を感じるような余裕はない。  そういえば、さっき、一週間オレも考えたと平島が言ったことを思い出す。一週間前の決死の告白を無かったことにされたと思って腹立たしかったけれど、平島も悩んではくれたらしい。眼中にすら入れてもらえていないんじゃないかというのが勝手な思い込みだと気づいて香川は安堵した。 「おまえは……基本どっちがいいんだ?」  あとはコーヒーとデザートを待つだけになった時、平島がぽつりと言った。 「───どっち?」  本気で分からず、香川は首を傾げて平島を見つめた。 「どっちを希望なのか考えてもいないのか」 「……あっ…!」  ようやく理解した香川は、慌てて自分の口をてのひらで塞いだ。公衆の場で言ってはいけないことを口走ってしまいそうだったからだ。 「え、だって、そんな…」 「オレはどっちでもいいが、言い出したおまえに決定権をやってもいい───一週間前はおまえが言い出したからおまえに任せた。まぁ考えておけ」  平島はコーヒーにミルクを垂らしながらそう言った。 「…はい…分かりました」  香川も手を伸ばし、コーヒーにミルクを入れた。小さなスプーンでくるくる混ぜる。さっと色が変わる。たったそれだけのことで、香川はいろいろ想像する。目の前のこの人の影響で、オレの色も変わったのだろうか。 「ねえ、青磁さん───」  呼ばれ、平島は顔を上げて香川を見つめた。 「一つお願いがあります」 「…ああ」  さすがに平島の声も真剣だ。 「朝まで過ごして、青磁さんがその気にならなくて、駄目だと思ったとしても、ベンツみたいに捨てていくとか言わないで下さい…」  すると平島は小さく笑った。いつもの人を食ったような笑顔ではなく、思わず浮かべたような微笑だった。 「いいだろう───結論は急がず、オレとおまえは無計画ドライブを続けてみようか」  いつだって結論有りきの平島青磁が、気紛れでも勢いでもなくそう約束した。無計画ドライブなどと分かり難い言い方は、即ち、一緒に結末を模索しようという平島からの譲歩案だ。  このドライブが始まってからずっと硬かった香川の表情はようやく元に戻った。 「───そうしてろ」  平島はぽつりと呟いた。意味が分からず、香川は平島を見つめて小さく笑った。  二人の無計画ドライブは始まったばかりだ。目的もなく、ゴールもなく、道が有ろうと無かろうとただ走り続けるだけだ。    ◆ E N D ◆

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