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第108話 嬉しい提案
「そっか。お兄と離れて暮らすことになっちゃうんだね。でもそれって、1年くらいの辛抱じゃん」
全てを聞き終えた秋くんは唐突に言ったので、俺は首を傾げた。
「ん? 辛抱って?」
「お兄もあと2年で高校卒業でしょ? そしたら怜くんの家に一緒に住んじゃえばいいじゃん」
お兄こと貴臣と、真正面から視線をかち合わせる。
そうか……そうか!
いやでも待てよ、と高揚した気分を落ち着かせる。
「貴臣が俺の住むところから通える大学とかに行くんだったらそれもいいけど……なぁ?」
まだ決まってないんでしょ? との意味合いを込めて顔を傾けるが、貴臣はなぜか意味深な笑みを浮かべた。
「実は兄さんの志望している大学に、健康科学系の学部もあるんです」
「はっ?」
「自分で言おうと思っていたのに、まさか秋臣に先に言われてしまうとは」
「えっ……貴臣もそこに行きたいの?」
「妥協して言ってるんじゃないですよ。俺も色々と考えているので」
てことはもしかして、一緒に住めるの?
えぇ、本当に?
飛び上がりたい気持ちを抑えつつ、ニマニマとした。
「そっか。ま、まぁ、そんな先の話、誰にも分からないけどな。一応そうなるかもしれないって、心に留めてはおくけど」
挙動不審におしぼりで手を拭っていると、2人の冷たい視線が突き刺さる。
「素直に嬉しいっていいなよー」
「そうそう。兄さんは本当に素直じゃない」
なぜか2人にそう突っ込まれる俺。
秋くんは今度は貴臣の方を向いた。
「お兄も怜くんと同じ大学行きたいんだね。で、その流れに便乗するんだけどさ、俺、お兄の高校に行こうかと考えてて」
「え、そうなのか」
貴臣は目を丸くして、ぱあっと花が咲いたように笑った。
受け入れられたことが嬉しいみたいで、秋くんの顔も赤く染まった。
「だ、だから今度パンフもらってきてよ。あと校風とかどんな感じなのかとか、色々と教えてよ」
「もちろん」
俺は2人の会話に割り込んだ。
「秋くん、もしかして美術科に?」
「……うん。まだ将来の夢なんて全然分かんないけどさ、好きなら続けてみたらって怜くんに言われたから」
「秋くん……!」
俺も花が咲いたような眩しい笑顔を秋くんに向けた。
みんな頑張れ。
もちろん俺もだけど。
秋くんはしばらく貴臣と高校について話こんでいたので、そっと見守ってあげた。
一旦話終えたところで、また秋くんは俺の方にも目を向けて言った。
「あとさ、俺、先生とはもう別れたから」
「え……」
「もうやめたんだ、変な関係は。あぁ、口だけで言っても信じてもらえないかもだけど、連絡先だって入ってないし、特別な感情も本当にないんだ」
「そうだったんだね……別れたのは最近?」
「誕プレ渡した後に、俺の方から言った。もう終わりにしてって」
一緒に買いに行った日の3週間後が先生の誕生日だったはずだから、ほんの数日前だ。
このことを伝えたくて、秋くんの方から会いたいと誘ってくれたのだろう。
「秋臣」
貴臣の手が、秋くんの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「よく頑張ったな」
貴臣の声って、好きだな。声も、か。
品位ある低音が、鼓膜に心地よく流れてくるのだ。
秋くんはますます顔を耳まで沸騰させて、その手から逃れた。
「いつまでもっ子供扱いしてんなよっ⁈」
俺は2人のやり取りを、頬杖を付きながら穏やかに見ていた。
きっとこの2人は、亀裂が入る前もこんな風だったんだ。
兄は優しく弟を見守って、弟は兄を慕って。
俺も一応、貴臣と秋くんの兄なのだから、余裕と自信を持って見守ってあげよう。
今日何度目かの『いい気分』を、しみじみと味わった。
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