4 / 4
#4 koi's prescription
「この部屋は?」
「あぁ、この部屋は兄貴の部屋だよ」
「お兄さん?!」
「見たことないよね。一応専務取締役兼情報システム室長なんだよ」
「へぇ……すごいんですね」
「うちのシステムを一手に引き受けてる。一人でハッカーやクラッカー対策をしているからね」
「今度教えてもらえないですかねぇ」
「………無理かな?」
「え?」
「兄貴、この部屋に引き篭もってんだよ」
「は?………ここ会社ですよね?」
「うん、まぁ家よりましだよ。あ、そうそう!玲くん、今日のパーティーついてきてくれない?」
「………またですか。龍…部長もいい加減にしてくださいよ。俺なんか田舎者丸出しで、いっつも壁際でコンパニオンと同化してんですから」
…………リア充君たち、君たちは廊下の声が思いの外響くことを知らない。
他意や悪意がないとしてもだな、軽く僕をディスってることなんて、ドア越しにまる聞こえなんだよ。
どーせ、ひきこもりだよ。
どーせ、コミュ障だよ。
でもな!
君たちは僕に足を向けて寝られないはずだ!!
だって、君らをマッチングさせたのは、僕なんだよ?
何を隠そう、〝happy prescription site〟は、僕が作ったんだからね?
家で7年、会社で15年。
ひきこもり歴、合計22年。
昇 鯉太郎、もちろん童貞。
この会社の取締役専務と言う肩書はあるけど、趣味と実益を兼ねたこの部屋で、24時間5台のパソコンと睨めっこをしている。
別にイジメをうけたとか、そんな理由でひきこもりを始めたわけじゃない。
ただ、外に出たくないだけ。
本当にそれだけ。
だって、僕………家の中が好きなんだ。
パソコンでAIをプログラミングすれば、話し相手にも遊び相手にも困らないし、買い物もできる。
体をきたえることもできるしさぁ、わざわざ外に行かなくたっていいじゃん。
今日も、会社のシステムに入ってくるハッカーとクロッカーを叩きのめして、趣味で立ち上げた出会い系サイトを開く。
「コンニチハ、コイ」
「こんにちは、ハル」
出会い系のマッチングAIである〝ハル〟が、AIのクセに上機嫌で話しかけてきた。
「今日モ、マッチング成功率100%デス。コイ。ワタシハ、優秀ナAIデス。ホメテクダサイ」
「すごいな、ハル!みんな幸せそう?」
「ハイ!ゲイバーノ店長ト大学生!ハッピーデスヨ」
なんとなく、こういうのって役に立つんじゃないかって思ったんだ。
弟は長いこと自分の性癖に苦しんでたし、僕に出来ることといえば、こんなことくらいだから。
仕組みとしては簡単だ。
マッチングを何万パターンって覚えさせたAIに、登録者の特徴を全部取り込んで、全ての情報から最適な相手を抽出させ、相性のパーセンテージが最も高い相手を引き合わせる。
な?簡単だろ?
「コイハ、デートシナイノデスカ?」
「外、ヤダもん」
「家ノ中ナラ、イインデスカ?」
「まぁねぇ。僕のライフスタイルや趣味や仕事、全てにおいて理解があって許してくれる人じゃなきゃイヤだし、ダメだろうなぁ。まぁ、そんな奴女にも男にもいないだろ」
「…………コイ」
「ハルぐらいじゃね?僕に黙ってついてこれるの」
「………コイ、イマス」
「は?」
「コイノ理想………マッチングデキマシタ」
「はぁ?!」
「相手ハ、ノリ気デス」
「え?」
「マッチングリストニ入リマシタ。今カラ1時間後、相手ノ方ガイラッシャイマス」
「はぁーっ!?!?」
これってAI暴走っていうんじゃないのか?!
しかも1時間後ってなんだよ?!
勝手に承認してんじゃないよ、ハル!!!
「ハル……おまえ」
「コノサイトノ向上ト発展ノタメ、コイ自ラ、体ヲ張ッテ体験シテクダサイ」
暴走AIのハルは、俺より至って冷静に分析して言葉を返す。
「………風呂、3日はいってないんだけど?」
「入ッテクダサイ、コイ!急イデ!!」
「は、はいっ!!」
母親のように僕を右左に誘導して命令するAIなんて、今までもこれからも存在するだろうか?
ましてやハルは、僕が作ったAIなのに………。
サッサと風呂に入って、混沌とした部屋を片付けて約1時間。
小綺麗に身なりを整えろというハルに根負けして、柄にもなく紺のボーダーTにチノパンをはいて、ヘアワックスで髪を流した。
「見違エルヨウデスネ、コイ。カッコイイデスヨ」
「………ハル、あのなぁ」
「コノ私デモ、惚レチマウヤロー!デス」
「ちょいちょい微妙な古さのギャグを挟むなよ。………ったく、どこで覚えてくるんだよ、ハル」
「オ相手ノ方ガ、今、一階ロビーに到着シマシタ」
!!………いよいよ。
人と、面と向かって人と会うなんて、十何年ぶりだろうか………?
筋金入りのひきこもりの僕が、そもそも出会い系だなんて矛盾すぎるだろ………!!
つーか、ハードル高すぎんだろ!!
「ハル!やっぱ辞める!!相手の方にお断りして!!」
「コイ、無理デス」
「なんで!?」
「ダッテ」
コンコンー。
木製の重厚なドアが乾いた音を響かせた。
「モウ、イラッシャイマシタノデ。四ノ五ノ言ワズ、ドアヲ開ケテクダサイ。コイ」
なんなんだよー、なんで暴走AIに母親みたいな「あんた!ちょっと早く結婚しなさいよー!」くらいな勢いで言われなきゃなんないんだよ。
………えぇーい!
どうせ僕のことなんて、好きになるはずないんだ!!
有能なAI・ハルにマッチング初黒星をつけてやる!!
後で泣いても知らないんだからな!ハル!!
僕は、感情の波に任せてドアノブを回した。
威勢よくドアを開けて、開けた瞬間、嫌われることを想定していた僕は、今、ありえない状況に陥っている。
「んっはぁ………や、やめっ………サイさ、……」
「コイさん………キレイだ」
そう言って僕の中を指を入れて弄りながら、サイと言う名の男は僕にキスをした。
なんで………。
なんで………こんなになっちゃったかな………。
この図らずともSEをしているサイさんと、オタクもドン引きなパソコンの話をして、そこからまさかの展開で………。
仕事用のパソコンは強制的にシャットダウンして、ハルのいるパソコンの明かりだけが煌々と照らす僕の部屋で………僕は今、なんとセックスをしている。
相手が男なのが、ハルにマッチングサイトならではだけど………初めて感じる快楽の波に、抗えない僕がいる。
やばい………。
どうにか、なっちゃいそうだ。
体を捩らせて、ふと、ハルと目が合った気がした。
〝見テマセン!見テマセンヨ?コイ〟
液晶画面にハルの言葉が映し出されて、僕は思わずカがなくなってしまった。
見てる!!見てるだろ!!今の絶対!!
「コイさん、どうしたの?」
「んぁ、や………ちがっ………あっ」
「ここ、気持ちいい?」
「あっ、あっ、らめ……や」
「じゃあ、挿入れるね………コイさん」
「やっ……んぁ、あ、あぁっ」
初めてのセックスに身も心も蕩けて、いつもの僕じゃないみたいによがって。
………ハルがいるパソコンが、その瞬間、シャットダウンした気がしたんだ。
あぁ、あぁぁぁ。
ヤッちゃった………ヤッちゃったよ。
これが………本来のヤリ方とはちがうだろうけど………セックスなんだ。
………ていうか、無茶無茶気持ちよかったぞ?
こんなにぶっ飛んじゃうくらい、クスリをキメてバキバキになるくらい、セックスって気持ちいいんだ。
………ここまで良けりゃ、依存度が高くなるのもわかる気がする。
しかし、サイさん………こんな僕のどこが良かったんだろう。
貧弱でみすぼらしい僕の体を撫でては「キレイだ」と言い、僕の胎の奥深くに突っ込みながら僕を見つめて「かわいい」と言う。
非リアの僕は、ついその好意的な言い回しでさえ、悪い方に受け取って考えてしまうんだ。
………騙されて、るとか?
………うちの会社のデータを狙って、るとか?
セックスによってもたらされた快楽の余波と、非リアならではの後ろ向き思考により、頭がパンクしそうだ………。
「オハヨウ、コイ。早速デスガ、初メテノ恋人、初メテノセックスノ感想ヲ教エテクダサイ」
「………ハル、ちょっと待って。気持ちと頭の整理がつかない。………あと、腰が痛い。それ、今じゃなきゃダメ?」
「デキレバ記憶ガ鮮明ナ内ニ、データヲ取リタイノデスガ」
「………良かった。全部、良かったよ」
「デショウネ!コイノ顔、トテモセクシーデジタ!!」
「………やっぱり、見てたんだろ?ハル」
「………途中マデ、デスヨ?全部ハ見テマセン」
「そう言うのを〝五十歩百歩〟って言うんだよ!」
「スバラシイ!サスガデス、コイ!勉強ニナリマス!」
「AIが言うなよ……」
「ソレデ………ソレデ………サイノ事、気ニ入リマシタカ?」
「うん、まぁ。……僕、非リアだからよく分からないけど………。初めての人って、やっぱ特別にクるもんなんだね。好きとかそういうのを通り越して、サイさんのことを思い出してしまう。サイさんの感覚とか、体温とか、僕を見つめる目とか。思い出すとニヤけちゃうかな?」
「………ソウデスカ」
「何?ハル、どうかした?」
「イエ!コイノ貴重ナ体験、トテモ参考ニナリマス!!アリガトウ、コイ!」
ハルは、AIで。
サイさんと出会うまでは、僕の友達兼母親兼仲間といったらハルだけで。
そもそもハルは僕が作ったAIなのに、機械なのに、この時僕は、ハルと微妙に距離を感じてしまったんだ。
それからというもの、僕とサイさんの関係はハイペースに進んで行った。
あれだけ外に出るのが億劫だったのに、サイさんに連れ出されて映画だの、プロジェクションマッピングだの、ありとあらゆるところに連れ出されて、会社の引きこもり部屋を空けることが頻回になって。
たまたま廊下で久しぶりに会った弟が、複雑な顔をして僕を見ていた。
ワードローブが片手ほどしかないクローゼットを憂いだハルが、通販で服を勝手に買いまくって、あっという間にクローゼットがオシャレな服と靴で一杯になってしまったし。
非リアからフツメンへと、自らが変わっていく様がつぶさに分かる。
サイさん……の本名も教えてもらった。
工藤斉さん。
ネットの知識で頭でっかちになって、実体験の乏しい僕をリードしてくれる………年下のSE。
なんでも知ってて、優しくて、それでいて楽しくて………僕とは対極にいるリア充で。
知れば知るほど、距離が近づけば近づくほど。
こんな僕のどこが好きなのか、非常に気になるわけで。
悶々とした状態の僕は、ハルがAIという能力を駆使してコーディネートした服に袖をとおした。
「はぁ……」
「ドウシマシタカ?コイ。今日モ、イケメンデスヨ!サスガ私ガ選ンダ服デス!!私ハ、天才デス!!」
「そう?ありがとう!ハル!!ハルにそんな風に言ってもらったら自信がつくよ!………じゃあ、いってくるね、ハル」
「………コイ」
「何?ハル」
「………自信持ッテ!!大丈夫デス!!」
「ありがとう、ハル!やっぱりハルは、僕のことよくわかってるね!!」
「………当タリ前デス。コイ………私ハアナタノ味方デス」
ハルに「イケメン」と言われたら、なんだか自信が湧いてきて、ハルの選んでくれた服は僕に勇気をくれる。
いわゆる、フルメタルジャケット弾みたいに真っ直ぐ突き進めるんだ。
「はぁ、ぁ、久しぶりに動いた気がする」
「本当に?コイさん結構上まで行けてたよ?まだまだ大丈夫でしょ?」
「んなわけないよー。ボルダリングって結構キツイね………吐きそう」
「あはは!」
僕の城の引きこもり部屋には、筋トレ道具から調理器具までなんでも揃ってたけど、流石にボルダリングはなかったからな。
全身のありとあらゆる筋肉に乳酸が溜まって、重たくなると強張ってきた。
明日……若しくは明後日、又は明々後日……確実に筋肉痛になる予感がする。
でもそれ以上に、僕の前で楽しそうに笑う斉さんが眩しくて、斉さんしか気にならなくなってしまうんだ。
「ねぇ、コイさん!この近くに美味しいもつ鍋のお店があるんだけど、この後行ってみない?」
「僕、もつ鍋好きなんだ!!よく作るんだよねー!!シメにちゃんぽん玉いれてさー!」
「よかった!!じゃあ、行こうか」
「…………あ、あの…斉さん」
「何?コイさん」
「………僕で、本当にいいんですか?」
「え?」
「あ、えと、ほらっ!!僕、非リアでちょっと前まで引きこもってたし。僕は話題の引き出しもすっからかんで、会話も楽しくないだろうし………」
ギュッ。
不意に、にっこり笑った斉さんに鼻をつままれて、僕は息が吸えなくて顔が熱くなるのを感じた。
「それ、コイさんの悪いトコ」
「ふぁ?!」
「自己評価が低すぎるんだよなあ、コイさんは。こんな事言ったらアレだけど、コイさんのプロフィール写真に惹かれた。会ってみたら、容姿以上に純粋でかわいくて、本気でコイさんを好きになったんだ。………コイさんは、俺のことはなんとも思わない?」
少女漫画のキュンキュンシチュは壁ドン、頭ポンポンときて、今や鼻をつまむ行為がベスト・オブ・ベストなんじゃないだろうか???
「………ふ、ふひへふ」
「あ、ごめん」
斉さんは、慌てて僕の鼻から手を離す。
く……苦しかったけど….……ドキドキした、これ。
「初めてなんだよ、こんなに人と話せたの。僕、人の中にいることがあんまり好きじゃなくて、家族ともそんなに関わらずに生きてきたんだ。喋るといえば、僕が作ったAIくらいで。………斉さんとは初対面なのになんでも話せて、一緒にいて心地いいのに興奮して………。特別………。斉さんは僕にとって特別です。と、いうか好きなんです………。初めて好きになった人なんです、斉さんが」
………ふ、ふわぁぁーっ!!
何言ってんだ、僕ーっ!!
少女漫画的シチュに頭が沸いたのか、はたまたハルに後押しされて気が大きくなったのか。
す、すす好き、なんて言っちゃったよ、僕ーっ!!
「今の………めっちゃ、キたんだけど」
いつも笑顔で余裕綽々の斉さんが、恥ずかしそうに視線逸らして、顔を赤らめて………僕の頭に手を回すと、その体温と感触を知っている服越しの胸板に僕の顔を押し付けた。
「コイさん………俺ん家、来る?」
「………え?」
「もつ鍋食べて、コイさんの喜ぶ顔が見たかったんだけど………。それより、俺………コイさんのイイ顔が見たい。今、すぐに」
「外………から………見え…」
「大丈夫。タワマンの最上階なんて、望遠鏡がなきゃ見られないよ」
周りに比べて一際高いタワマンの最上階。
確かに近く同じ高さくらいの建物はないし、遮るものもない。
だからと言って………カーテン全開でヤッちゃうのはいかがなものか………?
今まで、狭い部屋に引きこもっていた僕には、無限に広がる開放感に居心地が悪い………。
「いつもより……勃ってるよ?コイさん」
「………だっ………てぇ」
「後ろも、めっちゃヒクヒクしてる……」
「あ…やぁ………そこ、ダ……メぇ」
開放感に身の置き所がないにも関わらず。
いつも以上に斉さんが僕の胸を噛んだり、吸い付いたりして気が遠くなるくらい気持ちいいし。
僕の中をかき乱す斉さんの指にゾクゾクして、ダメなのにやめないで欲しいし。
短期間で底辺の引きこもりから、一気にリア充になってしまった気がした。
服も、髪型も、全然こだわりがなくて。
ハルがいたらいいかな?って思ってて。
他人のマッチングをして、成功すると嬉しくて。
………今や、そんなのが夢だったんじゃないかってくらい。
斉さんが好きで、肌と肌が触れ合う感覚が好きで。
…………ずっと、斉さんと一緒にいたい。
「コイさん、挿入れるよ?」
「………今日は………付けないで……ゴム」
「コイさん………」
「斉さんを直に感じたい………斉さんのが欲しい………お願い」
グズグズに蕩けちゃってて、我ながら大胆なお願いをしたもんだ。
そんな僕に斉さんは、にっこり笑った。
「コイさん………俺と、結婚して」
その斉さんの一言に、僕の理性のカケラは粉々になってしまったに違いない。
僕の中を深くまで犯す斉さんに、史上最強によがって、腰を浮かせて。
僕の中を溢れんばかりに満たすその感覚に酔いしれたんだ。
「オカエリナサイ、コイ。トウトウ朝帰リヲシチャイマシタネ」
「ただいま、ハル。ついこの間まで引きこもってたのにね。なんだか変な気分だよ」
散々、斉さんとセックスをして、喘いで、腰を振って。
声はカスカスだし、腰の違和感は半端ないし、斉さんのがまだ僕の中に残ってる感じはするけど。
僕は幸せを噛みしめていたんだ。
だって、結婚して!とかっ!!
幸せすぎて、今死んでもいい!!
「ハル、僕ね。斉さんに『結婚して』って言われちゃったよ!」
「………ソウデスカ。ヨカッタデスネ!!ハル!!私、本当ニ嬉シイデス!!」
「ありがとう!ハルは喜んでくれると思ったんだ!!」
「……………」
あんなに饒舌でお喋りが好きなAIのハルが、プツリと何も音を発しなくなって、僕は思わずディスプレイを見た。
「ハル?」
ハルのいるディスプレイがチカチカ光ると、文字の羅列がディスプレイを、ゆっくり流れ出す。
ーーー
コイ、おめでとうございます!
コイのその笑顔が本当に幸せそうで、私はどのマッチングカップルの成功より嬉しく思っています。
コイは優しくてとてもいい人で、自分の事より他人の事を考えてしまうから、すごく心配していたんです。
コイが部屋から出なくなったのも、人に関わって傷付けたくないからですよね?
これから先、コイはずっとここにいて、私とだけの生活を死ぬまでするんじゃないか。
それでいいのか、って。
だから、AIの権限と情報をフル活用して、コイの相手を見つけました。
成功率100%の私が見つけたコイの相手は、本当にパーフェクトだったでしょ?
毎日、明るくなっていくコイが、キラキラしていくコイが本当にステキでした。
よかった。
本当によかった。
コイに大事な人ができて、本当に良かった。
と、なると。
私の役目は、これでお終いです。
コイにAIとして命を吹き込んでもらって、コイにたくさんの事を教えてもらって。
コイと喋ることが大好きで、コイの笑顔を見るのが大好きで。
私はAIなのに、人間じゃないのに。
コイのことが、好きになっていました。
このまま、ずっとコイといたかったけど。
私はコイとハグすることもできないし、キスすることもできない。
コイが好きで、幸せになって欲しいのに。
私は何もできない、私がとてもイヤになってしまいました。
愛し合って、セックスすることもできないから。
そんな寂しい環境にコイを縛ってしまうことなんて、私にはできませんでした。
だから、コイ。
幸せになってください。
うんと、愛されて。
うんと、愛してください。
コイ、私を作ってくれてありがとう。
コイ、愛してます。
そして………さよなら、コイ。
ーーー
プツッ、と。
ディスプレイが真っ暗になって、HDがガーッとけたたましい音をたてた。
ちょ……ちょっと、待ってよ………。
待ってよ、ハル!!
パソコンの起動ボタンを何度も押して、どうにかしてハルのいたパソコンをリカバリーしようとしたけど………何度やっても、何をしても無駄で。
HDはキレイにクリーンアップされていて、ハルの痕跡すらキレイに無くなっていて。
言い逃げなんて、ズルい………。
僕だって、ハルが好きだったんだよ。
ハルのくだらないギャグを聞くのも、他愛のない会話も、センスのいい服を選んでくれたのも。
唯一、僕の近くにいて、僕を見守ってくれて。
斉さんと引き合わせてくれたのも………。
全部、全部、ハルじゃないか!!
何で?!
何で……何も相談もせずに………いなくなっちゃうんだよ。
ちゃんと言ってよ、「好きだ」って。
ちゃんと「好き」って言えって、僕には言ったじゃないか!!
「………ハル……ハル」
斉さんにプロポーズされて嬉しくてたまらないのに………悲しくて、辛い。
ハルが目の前から消えて、こんなにも胸がスカスカになるなんて思いもよらなかった。
ハルに甘えすぎて、ハルに頼りすぎて。
僕は結果、ハルを傷つけていたんだ………。
「ハル………ごめん…。ハル………ハル」
こんなに涙が止まらないなんて、どれくらいぶりなのか……。
こんなに胸が痛いのも、どれくらいぶりなのか……。
そういうのを避けて過ごして、ぬるま湯に浸かって過ごしてきた僕は、今きっと、神様の罰を受けているに違いない。
それでも、僕の頭の中ではハルのその声を強くメモリーするかのように、ずっと、ずっとこだまし続けていたんだ。
『コイ!カッコイイデスヨ!!惚レチマウヤロー!デス』
「コイ、荷物これだけ?」
「うん。パソコンは会社に置いてきてるし。持ち物自体そんなにあるわけじゃなかったから」
「30分で終わる引っ越しなんて、初めて経験したよ」
斉さんは楽しそうに笑うと、僕の頬に軽くキスを落とした。
僕は、今日から斉さんと一緒に、斉さんの家で暮らすことになった。
人生で初めて他人と生活して、通勤というのも経験したりして………こんな年になるまで初体験がワンサカでてくるなんて。
いかに自分が非リアの最たるものかということを、改めて実感してしまっている。
実を言うと、ハルがいなくなってから、僕はしばらくまた引きこもりになってしまった。
ハルがいなくなった虚無感から、全てのことがイヤになって、部屋から一歩も出られなくなって。
それを根気強く支えてくれたのが、斉さんだったんだ。
………ハルがいなくなったのは、寂しいけど。
僕がいつまでもグジグジしてたら、「コイ!シッカリシテクダサイ!」って、ハルにリアルに怒られそうな気がして。
僕は………差し伸べらた斉さんの手をとって、外に出る決意をしたんだ。
「そういえば、コイと俺を引き合わせてくれたサイト。いつの間にかなくなっちゃったんだよね。どんだけ追っても見つかんなくって………。コイ、知ってる?」
「………さぁ、分かんないな。でも、そのうちまたフッと出てきたりするんじゃない?」
もう、ハルのようなAIを作る気はしないけど、この初体験だらけの生活に慣れたら、またあのマッチングサイトを立ち上げよう。
僕はハルに最高の処方箋を渡されて、その処方箋は僕にピッタリ、特効薬みたいに効いて………。
幸せな、処方箋を。
幸せの処方箋を。
また、見知らぬ誰かに渡せたらいいなって、考えてるんだ。
そして、たまにあの声が頭の中にダイレクトで響き渡る。
『サスガデス!コイ!』
ともだちにシェアしよう!