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第15話

 俺はそれから『散歩』の度にそいつを探すようになった。  勿論、ミハイルは俺の傍から離れることは無いし、ほんの少し離れても、側近のニコライが俺を見張ってる。  ニコライは以前の俺の時から知ってる。腕のたつ隙の無い男で頭もキレる。しかもミハイルの幼なじみで誰よりも忠誠心が強い。まぁ幼なじみだと知ったのは最近だが.....。  ニコライの野郎は俺が嫌いらしく、俺を見る度に眉根をひそめて ーミーシャは本当に慈悲深い.....ー と溜め息混じりに呟く。まぁこの身体の元の持ち主が辿るであろう運命を考えたら、まだまし......という程度には慈悲深いかもしれないが、俺には地獄だ。  そんな訳もあって、ニコライの監視はきつい。少しでもミハイルに反抗的な態度を示そうものなら、即座に殺されかねない視線で睨まれる。  それでも俺は『あの男』に逢いたかった。逢って確かめたかった。 ーお前は、俺なのか?ーと。  だが、なかなか『あの男』らしき姿を見かけることは無かった。もともと『散歩』じたいが毎日行けるわけではない。一週間か二週間に一度.....しかもミハイルがかなり機嫌の良い時に限られる。  高い塀と鉄の門に囲まれた屋敷の中庭に出る時だって、ニコライの監視つきだ。少しでもおかしな素振りを見せれば、腕を引っ掴んで部屋に引き摺り戻される。  だから、どうしても息苦しくなった時は、ミハイルの機嫌を取るしかない。胸糞悪いことこの上無いが、甘えた声で胸元に頬を寄せて、 ー庭でお茶がしたいー と強請るのだ。するとヤツは少しだけにやけて、中庭にテーブルを出させて、アフタヌーン-ティーをセットさせてくれる。  差し向かいで紅茶とスコーンをいただくのはなんとも言えず複雑な気分だが、外の空気は心地良いし、ホッとする。  ヤツは時たま、穴が開くほど俺を見ているが、俺が俺だとは気付かないはずだ。 『左利きだったのか?』 と訊かれた時は一瞬ぎょっとしたが、ヤツが生前のあのガキを知るわけはないし、知っていてもそんなことは覚えていないだろう。 『そう......だけど?』  俺は如何にも平然と答えて、ジャムのついた指先をペロリと舐めた。ヤツの口許がニヤリと歪んでいた。が、俺は見ない振りをした。ヤツのどんな言葉にも行動にも動揺してはいけない。ヤツは『魔王レヴァント』なのだ。    とは言え、猥雑な街に長く慣れ親しんだ俺にはこの禅寺のような静謐な空間はひどく苦痛だった。香港の、東京の狭い路地の雑多な色、匂い、さざめきが恋しかった。完全なるホームシックというやつだった。  だから、ヤツが、ー出張ついでに旅に連れていってやるーと言い出した時は心底嬉しかった。  そして、 『日本までは行かれないが、香港ならアジアだし、近い雰囲気があるから、里帰りの気分は味わえるだろう』 というヤツの言葉に天にも昇る心地だった。香港ならストリートの隅々まで知っている。  元の俺を知ってる連中が俺に気づかなくても、ヤツから、ミハイルから逃れることだけは出来る。だいぶ身体も出来てきたから、場末のバーのウェイターくらいはできる。  俺はヤツに感謝の念を込めて『奉仕』しながら、必死に脱走のプランを練った。この忌々しい首輪とご立派すぎる邸宅(ケージ)におさらばする日を指折り数えて待っていた。

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