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第20話
「あなた、誰?」
けぶるような瞳が俺を見つめた。俺の愛しいエメラルドグリーン.....俺は少し俯いて彼女に言った。
「俺はラウルのダチなんだ。ラウルからの伝言を持ってきた」
「あの人は無事なの?」
カウンターから乗り出す彼女の頬は少しやつれて、元から細かったが、前よりも痩せたように見える。
「たぶん.....。ラウルが言ってた。今年も誕生日を一緒に祝えなくて残念だ.....って」
「あの人が無事ならいいの」
「レイラ......」
彼女は棚の奥から真新しいワイルドターキーの瓶を取り出し、封を切った。グラスにロックアイス。深みのある音色が俺達の言葉を紡ぐ。
「飲んで...」
香港にいた頃には、俺の誕生日にはいつも、客が引いた後のバーのカウンターで、ふたりで祝った。とっておきのバーボンを開けて乾杯をして、朝まで、ふたりきりで過ごした。
「ラウルに伝えて.....」
彼女は傍らのフォトフレームをチラ.....と見た。レイラと俺が楽しそうに笑ってる。春節の祭りの写真だ。憶えてる。花火を見ながらキスして、そして始めてひとつになった.....。
「私はいつまでだって待ってる。坊やとふたりで.....」
「えっ?」
俺は思わず顔を上げた。
ー俺の子供が?!ー
彼女はうっすらと、だが聖母のように微笑んだ。
「あの人が日本に発つ前、最後にベッドインした時、嘘をついたの。ピルなんか飲んで無かった.......あの人がもう帰ってこないような気がして、あの人の愛の証が欲しかったの」
俺の目から、一筋の滴が零れた。
ー俺の息子.....ー
胸の中に小さな灯が点った気がした。と同時に深い絶望が俺を襲った。
ー俺は息子には会えない。ー
ガラス窓に映る俺はあの時の俺じゃない。似ても似つかない、頼りないガキだ。憎い男に抱かれて喘ぎよがり啼く雌だ。それでも.....
「大丈夫だよ。あいつは、ラウルはきっと帰ってくる.....」
おそらくは叶わない夢、だが彼女の希望だけは絶ち切りたくなかった。
ふと、遠くから人、ざわめきが聞こえてきた。ロシア語の冷たい響き.....。
ー奴ら、こんなところまで、何故だ.....ー
GPS は捨ててきたはずだ。誰かがチクったのか?
「もう行くから.....」
慌てて外へ出ようとする俺の袖をレイラの細い指が掴んだ。
「裏口があるわ...」
レイラは俺を店の裏手へ連れ出した。小さな木戸があり、他人の小さな庭を通って、港へ抜ける道だ。
「これを持っていって.....」
木戸のあたりで周りを窺いながら、彼女が俺に何かを手渡した。
「これは?」
「あの人の袍(パオ)なの。会えたら渡して、一番のお気に入りだったから......」
俺は頷き、彼女の頬にそっとキスした。
「ラウルからだよ.....あぁ子供の名前は?」
「ユーリ...七月生れなの」
「そうか.....」
奴らの声が近づいてきた。俺はレイラに背を向け、闇へと向かった。
「さよなら、レイラ.....」
「さよなら......」
彼女の声がか細く切なく囁いた。
俺は庭を走り抜けたところで、上着を脱ぎ捨て、袍(パオ)をまとった。
奴らの足音が近づいてくる。俺は大きく息を吐き、そして呟いた。
ーさよなら、レイラ......ユーリを頼む....ー
俺はそのまま港に出た。倉庫街を抜ければすぐ海だ。
だが、俺の希望はそこで絶たれた。ミハイルの部下が俺を取り囲む。俺は果物ナイフを武器に奴らに立ち向かった。カンフーの蹴りで三人ばかり蹴り飛ばし、ナイフで切りつけて道を開いた。
その時、一発の銃声がして、俺の手に衝撃が走った。ナイフが弾き飛ばされ、乾いた音をたてて、アスファルトに落ちた。
「遊びは終わりだ。パピィ」
ニコライが俺の両腕を羽交い締め、ミハイルの無機質な靴音が近づいてくる。ヤツは上目遣いに睨み付ける俺の頬を容赦なく張り、顎を捉えた。
「帰ったら、お仕置きだ」
ヤツのブルーグレーの瞳が昏い光を放って俺を見据えた。身体の芯から凍てつくような眼差しに微動だにできなかった。ヤツの唇が俺の口を塞ぎ.....俺は強い葉巻の匂いにむせて、そして気を失った。
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