「似合うじゃないか」 　ミッドナイトブルーのタキシードに白タイのいわゆる正装に着替えさせられた俺は、ミハイルにエスコートされて、パーティールームに引き摺っていかれた。テールコートとまではいかなかったのがやや救いだが、それにしても収まりが悪い。鏡をちらほら窺ってみるがどう見ても七五三にしか見えないと思う。 「君は中国語は出来ないと思うから、黙って ニコニコしていればいい」 　とヤツは親切に耳打ちしてくれたが、生憎と俺はヤツが雇った通訳よりは広東語は達者だ。 だが、パーティールームの扉を開けた途端に俺の造り笑顔は引きつった。 　そこに居たのは、かつて俺のファミリーのナンバーツーだった男とその取り巻き達.....いや正確に言えば、俺のいたファミリーだけでなく香港の組織の顔役達のほとんどが雁首を揃えていた。そして口々に先を争ってレヴァント-ファミリーの傘下に入れたことに謝意を述べていた。かつてボスが健在だった頃には、ー命を掛けても、野蛮な外国勢力に屈しない ! ーと息巻いていた連中が、こぞって手のひらを返して、歯の浮くような追従を並べ立てていた。 　俺は奴らの造り笑顔を見ているうちに段々胸が悪くなってきて、真剣に吐き気を覚えてきた。ミハイルにー休みたいーと言うと、 『顔が青いな。悪酔いしたか？』 と俺の頭を撫で、ニコライにレストルームで休ませるように命じてくれた。立ち去り際に、誰かがミハイルに俺の事を尋ねていて、ミハイルがニヤリと笑いながら、ー情人(ﾁﾝﾚﾝ)だーと答えたのは聞かなかったことにし。 　俺はレストルームのゴブラン織りのソファーに横たわり、給仕が持ってきたおしぼりを額に乗せて、ニコライにあっちへ行け、と手先で合図した。ニコライはややしばらく躊躇っていたが、如何にも気分が悪そうな俺の様子を見てレストルームから出ていった。 　実際、酔ってはいなかったが、すこぶる気分は悪かった。必死でシマを守ろうとしていたボスやオヤジ達を『時代遅れだ』と謗り、俺達は『犬死にだった』と言い放ったファミリーの奴らに心底怒りを覚えた。 　 　俺は頃合いを見てボーイを呼び、トイレの場所を尋ねた。 『吐きそうなんだ....。トイレに行きたい』 　俺はボーイに支えられてレストルームを出た。そしてトイレに行く振りをして、慎重に辺りを窺いながら、階段で地下の厨房に降りた。 　忙しなく働くシェフ達の目を盗んで手近な果物ナイフを一本掠め取り、スラックスの腰に隠した。 　俺に気づいて訝しげにこちらを見るシェフ達に片言の英語で、 ー飲み過ぎて外の空気が吸いたいが、迷ったー と訴えた。 親切なシェフは、下働きの少年に俺を非常口に案内させた。 　下働きの少年の小柄な姿が見えなくなったところで、俺はそっと外へと踏み出し、一目散に夜の街に走り出した。通りを二つ曲がった飯店の裏で、果物ナイフを首筋に潜らせて首輪を切り、ゴミ箱に捨てた。うっすらと首に血が滲んだが、そんなことは気にならなかった。 　俺はひたすら走った。細い露地を幾つも抜け、中心街から下町へと雑踏を掻い潜り、まとわりつく夜気を振り払いながら、ヤツから一歩でも遠ざかるために、死力を尽くした。 　そして、一軒の場末のバーに辿り着いた。 　安っぽいネオンと色つきガラス。 　暗い店の中、カウンターの中にはうらぶれた風情の女が一人。 　俺は辺りを確かめて、建て付けの悪くなった木の扉を押した。 「レイラ.....」 　気怠げな緑色の眼が俺を見た。