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第30話
「なぁ、どうかしてると思わねぇか?」
俺はミハイルの用意したPC を黙々と操作するニコライに声を掛けた。が、ニコライはじっとディスプレイを睨んだまま手先だけを動かし続ける。
「ヤツはなんでこんな真似をするんだ?.....俺が憎いんなら、目障りなら、あっさり消せばいいじゃねぇか?!」
俺はニコライが投げて寄越した紙の束に眼を通しながら、畳み掛けるように言った。相変わらず俺の左足はベッドに繋がれていて、ヤツが来ると好き放題に弄ばれる。
以前と違うのは、ミハイルが不在が増え、俺の要望でノートPC が二台とプリンターが持ち込まれ、ディスクの上で小さな唸りを上げていた。それでもインターネットに接続するにはニコライの監視を受ける。ニコライはウィンドウで俺のアクセス状況をチェックしながら、高瀬諒の『復讐』に必要な資料を取り出していく。
「私もそう言った」
ニコライは無機質な声で短く答えた。まるでPC が喋っているような抑揚の無い声。こいつがあのアメリカにいてMTを卒業しているなんて信じられない。冬のシベリアのように凍てついた表情は常にその冷徹さを崩すことが無い。
眼鏡の奥の目が刺すように俺を一瞥し、またディスプレイの解析画面に戻る。
「お前が瀕死で目の前に横たわっていた時、ミハイル様は『鉛玉を撃ち込むより面白いことがある』と言った。俺はミハイル様の判断に従うだけだ」
俺は、ちっ.....と舌打ちをし、だが一番引っ掛かっていたことを訊いた。
「ヤツはゲイなのか?跡目が無けりゃ困るんじゃないのか?」
ニコライはそれには答えず、だが珍しく眉根を寄せた。
「ミハイル様は人間には興味を持たない。だがあの方がお前の所有を希まれた。私が知っているのはそれだけだ」
「所有?......俺は物じゃねぇ!」
俺は憤慨した。が、それ以上ニコライの動揺を引き出すことはできなかった。ニコライは、エンターキーに軽くタッチして向き直った。
「高瀬物産の裏帳簿と現社長の所有するデータは、モバイルも含めて全てコピーした。どうやら関わっているのは、凌征会とかいう新興勢力らしいな」
「凌征会だと.....?」
俺にはその名前に聞き覚えがあった。株式市場に深く介入している経済ヤクザだが、幾つもの闇ブローカーに資金提供して勢力を拡大している。確か下部組織に半グレのガキどもを抱き込んで鉄砲玉にしているとも聞いている。だがその実態は外国のシンジケートの末端組織に過ぎない。
後ろにいるのは......。
「崔伯嶺か......なかなか厄介な代物だな」
「ミハイル......」
振り返るとヤツがネクタイを緩めながら近づいてきた。ブルーグレーの目が昏くギラついているのが分かる。
「シンガポールを根城にしているチャイニーズマフィアの頭だ。各国の要人と繋がっていて、なかなか尻尾を出さない。最近の急成長はかなり目障りだ」
「ミハイル様.....」
ヤツの口の端がに...と上がった。
「あの小僧の伯父を抱き込んだのは凌征会が会社を乗っ取るためだろう。物流会社を多く傘下に納めてきている....」
「密輸ルートの確保か.....」
俺は唸った。麻薬、違法ドラッグ、臓器売買....おそらく凌征会の資金源はそんなところだ。しかし、どうやって叩くか....。
「ニコライ」
ミハイルの声に、鉄面皮に緊張が走った。
「確か、日本には広域暴力団体が幾つかあったな。検察が眼をつけているのはどこだ?」
「田山組です。神戸が本拠地です」
ニコライが答える。俺はヤツが何を言い出したのか良く分からなかった。
「では、田山組の大がかりな取引の日程を探れ。そして検察にリークしてやれ。凌征会のアドレスから......な。高瀬物産の裏帳簿は内部告発でいい」
俺は舌を巻いた。田山組に凌征会を叩かせる.....それは表向きは日本の暴力団同士の抗争だ。おそらくはその周辺の手も打つはずだ。半グレ達を煽って物理的に衝突させる。
「ラウル.....」
唖然とする俺の肩をミハイルが軽く叩いた。
「サイバー攻撃はニコライのチームに任せろ。凌征会の始末も、な」
「ニコライがハッキングが得意だとは知らなかった」
肩を竦める俺に、ミハイルが眉をしかめて言った。
「お前ほどじゃない。.....まぁ発見が早かったし、お前に食らわされた損失など微々たるものだったがな.....」
くいっ.....とヤツの指が俺の顎を掬い上げる。
「だが、仔犬とは言え甘噛みでも癖になっては厄介だ。私がしっかり躾けてやる。決して主人に歯向かえぬように.....な」
頭を押さえつけられ、ヤツの舌に口中を犯される。厚い熱を帯びた舌が俺のそれを捕らえ絡み付く。
ー俺はこいつの支配など受け入れない!受け入れられるわけがあるか!ー
必死で押し退けようとする俺の身体をヤツの腕が抱きすくめる。
「ん.....んぅ。ん.....んふぅ」
頭がぼうっとして身体の力が抜けていく。
ヤツは好き放題に俺の唇を貪ると、脚に力の入らなくなって崩折れそうになる俺を軽々と抱き上げて、欲望に濡れた目で見つめ、含み笑いながら囁いた。
「レッスンの時間だ、ラウル。ご主人様にちゃんとお強請りできるようになるまで、お前の出番はない.....」
ヤツは俺をベッドに投げ落とし、俺はそっと眼を閉じた。いつの間にかニコライが出ていったこともPC がもちだされたことも気付かなかった。ただヤツの匂いだけが、俺のなかに充ちていった。
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